2021年3月31日 (水)

益田のひとづくり地域づくり生きがい益田20地区,美濃

地域を輝かせることが、自分が与えられた環境で輝く道に

益田20地区を巡る 美濃地区編

ふるさとの知られざる歴史を通して魅力を掘り起こし、伝え続ける石橋静子さん。

美濃地区の桜田城跡をはじめとした多くの遺跡にスポットライトを当て、次世代にふるさとを継承しようと日々走り続ける地域のキーパーソンだ。

しかし、若いときはジャーナリストになる夢を追いかけるため、生まれ育ったこの地から飛び出すつもりだったそう。

月日が流れ、あるタイミングで転機が訪れ、地域に光を当てることが石橋さんのライフワークになった今、「現在置かれている環境を大切に精一杯生きたい」と語る石橋さんに、これまで歩んできた道のり、そしてこれからについて伺った。

 

転機は思わぬところで

この地から飛び出そうと大阪に出たが、数年で、事情により道半ばにして故郷に帰ってくることになってしまった。

それから目標はいつか遠のき、結婚し、子育ての忙しい日々に埋没し、ジャーナリストになるという夢は少しずつ現実から遠ざかっていった。転機が訪れたのは、そんな頃。

 

ある日突然、益田市初のタウン誌「レディース益田」(平成20年改名後「結」)を立ち上げるため、そのスタッフを募集するというニュースが飛び込んできた。

夢を達成できずに挫折したときの気持ちがよみがえり、再び訪れたチャンスに、即座に応募した。めでたく採用され、5名の同志と共にスタートしたものの、波乱万丈の道を歩むこととなる。

 

しかし当時は、タウン誌という概念が地元では浸透していなかった時代。

「地域で輝いて生きる人、ふるさとの歴史、自然、文化などの発信を通じて地元を元気にする」という願いの下で作られる情報誌だということが、なかなか理解されなかったそうだ。

そこで、石橋さん達は、潜在しているニーズを掘り起こすところから始めなければならず、ビジネスとして成り立たせるには苦労が絶えなかったと、石橋さんは振り返る。

「まず、創刊して1か月で創業者が採算が合わないからと手を引くことになり、最初はどうなることかと思いましたが…。創業者が抜けてからも、試行錯誤を繰り返しながらなんとか25年間発刊し続けることができました。最後まで安定しなかったのも、今思えば青春だったような気がします。 いいことばっかりではなくて、毎号発行するたびに生みの苦しみで壁にぶつかったりした経験は本当にかけがえのない体験でした。」

エンドレスな日々の中で常に動きながら考えて、家庭と両立させながらの生活サイクルが始まってからは、ひたすら前だけを向いて文化、経済、時事的なこと、全ての分野において膨大な資料を読み漁った。

「これは、『地域が輝いてほしい。地域は人を創り出すもの。』という想いでした。」

そんな石橋さんをはじめとし、多くの人の想いをのせた月刊「結」は、休刊となった今でも惜しまれる存在にまでなった。

25年間走り続けた後、出版を辞めることになった際、これで十分後悔しない、と思った石橋さんも、「同じところに留まっていたくないので、辞めたらなんらかの形で学ぶことを死ぬまでやっていたい」という気持ちで次の一歩を踏み出そうと模索していた。

そんなタイミングで、故郷・美濃と引き合わされるきっかけが訪れたのは、決して偶然ではなかったのかもしれない。

「故郷を愛するには知らないといけない」

タウン誌の仕事が終わり、程なくして誘われたのは、なんと美濃公民館の公民館主事だった。

これまで益田市というフィールドにて、地域の魅力を伝える仕事に従事していた石橋さんも、実は生まれ育った故郷・美濃地区を深く見つめ直す機会はあまりなかったそう。

「地元に頼まれたのなら、お役に立たなければ」と、結果的に4年間主事を務めることになったが、ここで、編集者時代の経験が活きた。

「この、美濃の隠れている遺跡を紹介する記事を連載することにしました。地域のみなさんが何もない所と思わず、ふるさとの魅力を知るきっかけになればいいな、と思ったんです。」

 

元々、地域のポストサークルが美濃の歴史をまとめ発行していた「美濃の里」を参考に、石橋さんは、自分の足で、未だ周知されていない歴史跡を発掘していくように地区内を歩き回り始める

そこで自身も故郷を再発見していったのだったそう。

もちろん、それは石橋さんだけではなく、いつしかこの連載を通じて多くの地域の人を巻き込み、いくつものプロジェクトへと発展していくこととなったのだ。

その代表的な取り組みの一つが、桜田城跡の整備。

この遺跡も、地元の中でも知名度が低かったところを、石橋さんが取り上げようと聞き込み調査をする中で周知され始め土地主の協力のもと、訪れた人が登りやすいよう遊歩道を作ったり、看板を建てたり、歴史ウォークというイベントも開催した。

「やはり、地元の魅力を探し、地区の人が楽しむことで、なにか地域づくりの突破口があるんじゃないかって。

私はただ言い出しっぺに過ぎず、地域のみなさんの協力があってこそのプロジェクトです。そんなところは美濃らしさであり、美濃の財産だと強く感じます。」

これからは、子どもたちに故郷のことを伝えて知ってもらえるような活動をしたい、と目を輝かせながら石橋さんは語った。近々、美濃地区の史跡をまとめる冊子が発行される。

ただひたむきに挑戦する道を進む、人生のモットー

「歴史って地味な分野と思われがちで、私も以前は特別好きというほどではなかったんです。

でも地域の歴史を抑えておかないと何も伝えられないと思って、学校へ行こうと決心しました。」

一昨年から放送大学の教養学科 古典文学 ・中世史・古代史を学びたいと、学問の世界に戻った石橋さん曰く、「私なんかまだまだ入り口に立ったばかりで、終わりがみえない」とのこと。

いつまでも追い求める姿勢を貫く、そのモチベーションはどこから来ているのか。

それは、タウン誌時代に色々な人生に触れる機会に恵まれたことも関係しているのだという。

「どんな凄い人に出会ったとしても、そっくりマネはできない。では自分がどう生きるのかを考えた時、いくつになっても自分なりの何かを追い求めていたい。今でも忙しいということは、きっと死ぬまで何かを探しているんだろうと思います。」

 

与えられた環境の中でどう生きて、自分をどう活かすかという人生のテーマに対して、石橋さんが見つけていった答えは、

不可能と思われることも、どこかに必ず突破口があり、前を向いて進んでいると道は開ける。その気持ちを持ち続けるためには、楽しむ要素が大切と。

いつまでも歩みを止めず、前進していく石橋さんの挑戦の数々を、これからも見届けたい。

取材:一般社団法人 豊かな暮らしラボラトリー
文責:益田市人口拡大課

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