2022年5月24日 (火)

益田のひとづくり教育益田20地区,豊川生きがい

子育て父親談義 − 地域と教育の境界線で起こってきたこと − 

同級生と上・下級生。
教師、保護者と地域の人。
地の者と移住者。
子どもや大人。

人口減少が著しい環境の中でも、このような立場や肩書きを超えて、一人一人が活き活きと関わりを連鎖させながら、地域と教育をアップデートし続ける地域があります。

ここは、全校約30人の児童が通う小学校。

小規模校に分類されるものの、不思議とそうとは思えないほどの活気が漂っています。

その秘密は、小学生だけではなく、保護者を始めとした地域住民、保育園児など、数も年齢の幅も広い人々が出入りしているという点にあります。*(1)

寺田さん
親としての学校への関わり方は色々ありますね。なぜか小学生、高校生たちと一緒にマラソンを走ったりもしました。(笑)体力的に大変な時もありますが、そういったことも、自分としてはただ楽しいんですよね。親仲間がいるのも心強いし、子どもにとっても遊んだり頼れる人が多くていい環境だろうなと思います。

 

斎藤さん
やっぱり、大体みんなのことがわかる規模であることが大きいんじゃないかな。僕は他の地域からの移住者だったけれど、今や自然と子どもの友達や、学年が違う子達からも向こうから自転車でチリンチリンって挨拶してくれるようになっていって。それはすごい嬉しいよ。

 

このように話してくださったのは、お子さんを豊川小学校に通わせるお父さんの寺田さんと齋藤さん。お二人の対談から見えてきたのは、「地域で生き、子育てをする」ことのリアルだけでなく、子どもたち、地域の双方にとっての”可能性”でした。

*(1)豊川小学校は、新学習指導要領の理念である、「社会に開かれた教育課程」の実現に向けて、益田市で初めて”コミュニティスクール”に指定された学校。「『コミュニティ・スクール豊川小学校』と『とよかわの未来をつくる会』が地域学校協働活動を一体的に推進することにより、学校が保護者や地域住民等と教育課程に関する情報や課題・目標を共有し、学校教育を学校内に閉じずに、地域の人的・物的資源を活用しながら授業等を実施している。」(参考:「子育て情報」とよかわの未来をつくる会HP https://masuda-toyokawa.wixsite.com/miraidukuri/blank

 


今回の主人公
寺田将也さん
豊川地区の出身でUターン。3児の父。保育園の保護者会副会長、とよかわの未来をつくる会ひとづくり部会の委員を務める。また、地域のソフトボールチーム(豊川クラブ)に所属している。

斎藤俊二さん
益田市内の他地区から家族でIターン。地域自治組織の立ち上げ時、2017年から役員を務め続ける。寺田さんと同じく、地域のソフトボールチーム(豊川クラブ)に所属。


 

子育てがきっかけのUIターン。親同士、横の繋がりが心の拠り所

− お二人とも共通点として、豊川へのUターン・Iターンはお子さんがきっかけだとお伺いしました。

寺田さん
そうですね。職業柄、山陰圏で転勤を繰り返していて、子どもの小学校はどこにするか、永住地をどこにするか、って妻と話し合っていた時に、かつて親のどちらかが育った、知っている地域がいいよね、という結論に落ち着きました。それで、僕の出身地だった豊川に戻ってきました。

 

齋藤さん
僕もそういった意味でタイミングは一緒です。もともと住んでいた地域の小学校が閉校になることが決まったことがきっかけで、通える範囲に学校がある地域に引っ越そうと物件を探していたんです。そんな時、豊川の中でも山と川に囲まれたいいところを見つけて、移住してきました。

でも、当時は寺田くんと違って、正直地域について深く知っていたわけではなかったかな。



− 市内の他地区からの移住とはいえ、新しい土地での子育てに慣れるのに時間はかかりましたか?

 

齋藤さん
うーん。いや、引っ越してきたら、すぐに誰かがなんらかの会に誘ってくれるから、そんなことはなかったですね。集金常会*(2)だったり、何かしら機会があるもんです。

中でも、まず子どもを近所の保育園に入れたところで、『親父(オヤジ)会』というものがありました。そこで、お父さん同士で仲良くなれたのが一番大きかったかもしれません。

 

寺田さん
そうそう、園長先生も交えて、くだらない話も、保育園の夏祭りでどんなことができるかも交えて、飲みながら話すっていう会です。

 

− 飲みながら!それでも『やりたいこと』って、そんなに簡単に出てくるものなんですか?

 

齋藤さん
うーん、何を話していたかは思い出せないんですけど(笑)
なんだかんだ色々出てくるんですよね、不思議と。
誰かが『これは?』っていうと、それにみんな乗っかっていくというか。

 

寺田さん
誰も『ダメ』って否定せんですよね。
必ず行事ごとにそのメンバーたちが集まってきて、『なんかしよう』ってなる。
同じ父親でもちょっと年齢にバラつきがあったりするから、地元で生まれ育った自分としても、新しい出会いがあって楽しいです。

 

 

− 確かに・・・!この繋がりはお子さんが小学校に上がっても引き継がれていくものなのでしょうか?

 

齋藤さん
言うなれば、保育園も小学校も”地域付属”みたいな感じなので。
小学校に上がってからは、保護者全員が入るPTCA*(3)でもらう役割を通じて、一年を通して何保護者同士で企画したり、実行する機会がたくさんあります。

 

寺田さん
もしかしたら保育園時代からの関係性のおかげなのか分かりませんが、不思議と会議や行事系はお父さん方が多いですよね

とにかく、そうやって長年関わっているうちに、自ずと同級生の子たちのことや学校の雰囲気も自分の子ども以外の子たちも分かるようになりました。

 

斎藤さん
大体みんなのことがわかる学校の規模っていうのも大きいかな。それは地域全体においても同じことが言えると思うよ。

 

− 忙しい保護者さんだと特に『子どものために』というモチベーションだけで動くことは少し負担に感じやすいのかな、と思っていました。でも何かしら親たち「も」、というか、親たち「が」率先して楽しむことができると、違うのかもしれません!

 

*(2)集金常会…自治会内の「組」で行われる月1の集会。
*(3)PTCA…従来のPTAに加えて、2021年度から”C”ommunityの要素も概念に取り入れルコとで、学校と地域との連携を強化する方針のもと、今後の発展が期待されている。

地域の変化から見える、小規模のならではの学校の在り方

− 豊川という一つの地域の中でも、この”規模”っていうのは変わってきたのかな?と思うのですが、寺田さんはご自身の幼少期と比較して、どう感じますか?

 

寺田さん
教育でいうと、学校の校舎以外の様子は当時と全然違いましたよ!!もうこの変化には、最初僕は戸惑っていて、自分よりも子供たちの方が順応するのが早かったくらい。

子どもの様子を見てても、「すごいことしとるな」って思いました。

 

− 「すごいこと」?

 

寺田さん
Uターンした頃の豊川では、僕が通っていた時代と比べて、地域との関わりが進んでいたんです。僕が通っていた頃の全校生徒は大体70人くらい。保護者たちの人数も多いということもあって、子どもたちよりも率先して盛り上がるような行事をいつも企画してくれていました。時には僕らよりも親たちが『はっちゃけすぎ』って怒られてたりとかもするくらいの活気があったかも。(笑)

でも逆に、学校における親以外との地域の人との関わりって、運動会、文化祭くらいしかなかったような・・・。

 

齋藤さん
今や、小学校の授業に地域の人が話に来たりとか、色々関わったりしてくれてるんですよね。その地域のおばちゃん、おじちゃんたちは、要はその世代の保護者たちなんですよ。
だから、かつての保護者たちがそうやって楽しんでいたからこそ、次は私も関係性が繋がってきたんじゃないかな。

毎年好評の「とよかわっ子祭」では、保護者が中心となって運営、オリジナルの演劇も披露した。
中でも目玉の一つは、小学生たちが「縦割り班」ごとの活動として行うさつまいも料理の出店。

豊川が継承してきたことと、その先の未来

− 逆に変わらない『豊川らしさ』はあったりするんでしょうか?

寺田さん
そうですね・・・小学校の『縦割り班』*(4)文化はすごい根強いなと、大人になってから感じました。僕が帰ってきた時、久しぶりに会った年上の人に当時の呼び名で呼んでって言ってもらって、すごく仲良くさせてもらえてるのは、すごく嬉しいです。

 

齋藤さん
子どもたちにとっても、同級生とだけじゃなくて、違う学年の子達とも距離感が近いのは、すごくいいことである気がするんですよね。兄弟・姉妹がいない子でも、年上になればリーダーシップをとって、年下の面倒をみることも学べる。

 

− 確かに、『繋がり』の性質の中でも、そこには互助的な意味もあるような・・・。

 

寺田さん
その様子を公民館の人たちも一緒になって見守ってくれているのは、すごく安心ですよね。子どもたちにとってもすごくいい環境なんじゃないかなって思います。

 

齋藤さん
そうですね。振り返ってみるとそんな感じでしょうか?
まあでも、僕たちはやっぱりただ”楽しい”だけだったりするんですけどね(笑)


*(4)縦割り班… 各学年ごとの生徒1~2名で構成される。
学校の諸活動、掃除や、昼休みの遊びなどにおいて発動することが多い。

 



最後のお二人の言葉からは、親であることの前に、『楽しい』という感情を共有するヨコの繋がりを感じますが、それだけでなく、
世代を跨いだタテやナナメの関係と言えるような例も、対談の中で自然と出ていました。

 

確かに地域に住む人の数は少なくなってきたかもしれない。

けれども、対談を通じて分かったのは、地域内に存在する関係性の強さや多様さでした。

これは、今日まで豊川地区が人口減少に伴い、柔軟に学校と地域の在り方を模索し、実行されてきたことの証であるのではないでしょうか。そしてこれからも豊川地区の未来は、多くの人の手によって、描かれていく気がしました。

取材:一般社団法人豊かな暮らしラボラトリー
文責:益田市連携のまちづくり推進課

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