2021年3月30日 (火)

益田20地区,鎌手益田のひとづくり地域づくり

跡継ぎしたから出会った、人の温かさが溢れるこの街

益田20地区を巡る 鎌手地区編

地域の人たちの手によって植えられた、200万球を超える水仙が冬の時期に咲き誇る唐音水仙公園。さらには、エメラルドグリーン色の海が広がり、夏には海水浴客で賑わう土田海岸がある鎌手地区で「西楽寺」の僧侶である川本 太都樹(かわもと・たつき)さんと奥様の法子さんが今回の主人公。

実家の跡継ぎに悩みながら日々暮らしていた法子さんと、
京都・嵐山で生まれ育ち、家業である紳士服の仕立て屋が時代の変化によって、継ぎたくても継げなかった太都樹さん。そんな2人がそれぞれの人生で悩みながら、生き方について今も考え続けている様子をお届けする。

出会いのきっかけは京都のパン屋だった

小中高とサッカーに熱中していた太都樹さんは、社会人でもサッカーを続けられる会社を選んだものの、1年で退職。いくつかの仕事を転々としていた矢先、大事故に巻き込まれたそう。

「事故がきっかけで、芸人になろうと思い上京しました。ただ、中途半端な夢だったので、活躍できずバイトに明け暮れる日々。その結果、お金もないし精神的にボロボロになり、京都に戻ることになりました。」

一方の法子さんは次女で、姉が東京に上京していたことで実家の跡継ぎを勧められ、お寺の系列大学である京都の大学に進むことになったという。

「正直、心の中では継ぎたくないなと思っていましたね。」

ただ、この法子さんの進学により、2人のドラマが動き出す。

当時、龍谷大学の近くに「ボロニヤ」というデニッシュパンを販売しているパン屋があり、そこで2人は出会った。

太都樹さん 京都に戻った当時は25歳。将来、何をしようか真剣に考えた時にバイトで飲食系の仕事をしていたので、仕事をするなら飲食業だと思っていました。

面接時にパン屋を立ち上げる話を聞いて、どうせやるなら一人目の職人になろうと思い、パン職人を目指すことに決めました。妻と出会ったのは、京都のお店でしたね。

その後、交際に発展し、結婚をした2人。
結婚の裏側で2人は共に葛藤し、大きな決断を下す。

法子さん 地元に帰らなければいけない気持ちと地元に帰りたくないという気持ちで悶々とし、彼にお寺を継いでもらうのはどうなのかと葛藤していました。
結果的に、大学を3回生の時に辞め、益田には戻らないと家族に宣言し、結婚をして嵐山に嫁ぎました。

太都樹さん 店のパンの売上げが下火になってきたところで、どうしようかと悩みました。そして、働いても割に合わないこと、働いている会社でやりたいことができなかったので、会社を辞め、お店を持つための修行を居酒屋でスタートさせました。

跡継ぎを決心し、僧侶への道に転身

その後、自身のカラオケキッチンバーのお店をはじめた太都樹さん。
当時、奥様の実家であるお寺のことは全く考えていなかったものの、自分の店を経営する中での苦労。さらには、自身の実家を継業できない状況によって、奥様の家業を継ぐことを次第に意識するようになったという。

太都樹さん 将来的にお店を続けるためには、お店の運営形態を変えるしかないと考えながら、妻の実家の跡継ぎについて考えるようになりました。自分のような者が継いでいいのかと思いつつも、家族から勧められなかったことにより、家業を継ぐことができなかったこと、そして継ぐことが出来る状況ながらも跡継ぎがいないお寺。

いろいろ悩みましたが、この寺を継がなければ自分たちの実家でなくなる、里帰りできなくなってしまうことも考え、お寺を継ぐことを決めました。

法子さん 1人目の子どもが生まれた状況でしたし、主人の仕事は夜お酒を飲む仕事だったので、身体的にもしんどそうでした。主人が実家の跡継ぎをすることを父に伝えると、喜怒哀楽をあまり表情に出さないのですが、喜んでくれていたと思います。

未経験から僧侶へ。
その道のりは決して平坦なものではなく、僧侶の資格を取るために学校で学ぶ必要があった。太都樹さんは、1年半かけて資格を取得し、その後は鎌手に足を運びながらも京都を本拠地に法事やお詣りの手伝いや雇い僧侶の形で8年弱働いた。

ようやく鎌手に腰を据えたのは、今から2年前のことだ。

法子さん 父が高齢だったこともあり、跡継ぎを本格的にするために鎌手へ戻ることになりました。

鎌手びとの魅力は「人」の温かさ

京都で様々な経験をし、僧侶として自信を持って活動をされている太都樹さんとその姿を支え続ける法子さん。ついに、今年の10月に代替わりすることになったそう。

そんな2人に鎌手の良さを尋ねると、口を揃えて「人の良さ」という返答が。

太都樹さん 鎌手に来て救いだったのは、いろいろな場に参加する中で地域の人が受け入れてくださったことですね。当時、お寺の跡継ぎやIターン者ということもあり、何もわからない中で参加したのですが、今となっては「人とのつながり」によって地域での分からないことがわかるようになりました。

また、仕事柄年配の方と関わる機会が多いからか、より地域の人の暖かさを感じる場面がありますし、何よりも小学校がみんな挨拶をしてくれる。それが驚きでした。

「ただいま」「おはよう」という挨拶が見ず知らずの人同士でも生まれている。それは鎌手の魅力の1つである「海」のような穏やかな心を持った人たちが集まっているからではないだろうか。

法子さん 地元の人と接すると、顔を知っている人が多いからか安心感が違います。

京都に住んでいたとき、息子が夏休みになると「島根に行こう」と言って海水浴のために帰省をしていました。それは京都にはない、この鎌手にいる人が親戚のような暖かさを有しているからかもしれないと今思えば感じます。

「市街地に比べると少し不便かもしれないですね」と太都樹さんが話すように、鎌手は市内中心部から車で15分ほどの距離に位置する。

生活する上で少し不便かもしれないが、元来私たちが大切にしていたはずの人と人との助け合いが強く残っている、そんな気がする。

最後に、川本さん夫妻はお寺の将来をどう考えているのだろうか。

太都樹さん 私たちは10月に代が変わるので、まずはその準備をきちんと行っていきたいです。そして、お寺の敷居を下げ、老若男女がもっと来やすい環境を整えていきたいので、お参りするだけではなく、若い人にも足を運んでいただけるように心掛けていこうと思います。

温故知新を大事にしながら、時代にとらわれない形を。
お寺の跡継ぎを通して、人と人・地域そして新しい生き方をつないでいくために川本さん夫妻は今日も“勤め”を果たしていく。

取材:一般社団法人 豊かな暮らしラボラトリー
文責:益田市人口拡大課

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