2025年2月25日 (火)

仕事,働くひと

地域に根ざす介護の挑戦

令和5年度に「新事業チャレンジサポート事業費補助金」を採択した合同会社ミツマル福祉事務所代表社員間庭達也さんに、福祉に対する思いについて教えてもらいました。合同会社ミツマル福祉事務所は、居宅介護支援事業所として令和6年4月に開業し現在、多くの利用者に寄り添った福祉を提供しています。

テレビを見て受けた衝撃

-介護業界に入ったきっかけは何ですか。

間庭さん 大学受験の時に将来について考え、自然環境について学びたい気持ちと福祉について学びたい気持ちがあり、どちらの方面に進学しようか迷っていました。結局その時は「自然環境」を選択し大学へ進学後、自然環境に携わる会社に就職するんですが、楽しく働いていた反面、3年ぐらい経った頃に「このままでいいのかな」と思うようになりました。

その時にたまたまテレビで“カリスマ介護士”の特集があったんですよ。それを見ていて、「なんかすごいな、この方の話を聞いてみたい」と思って、メールで何度かやり取りした後、その方がいる名古屋に飛び込みで行きました。そこでその方が働いている特別養護老人ホームを見学させもらったときに、衝撃を受けて「ここで働かせてください」という形で働き始めたことがスタートですね。

-もともと大学時代は名古屋に住んでいたんですか。

間庭さん いや、全然。ずっと広島にいました。自分の本当にやってみたいことは何なんだろうと悩んでいた時期でもあったので、無資格未経験ではあったんですけど勢いで飛び込んじゃいました。そこで介護を学ばせてもらい、働きながら資格も取りましたね。

-きっかけはテレビだったんですね。すごく驚きました。

間庭さん そうですね。きっかけはテレビだったんですけど、大学受験の時に迷っていたことを思い出し、人を支える仕事にずっと興味があったので、どこかで自分がやりたかったことだったんですよね。そして、どんどんのめり込んでしまいました。介護の楽しさややりがいを感じながら、一方で辛い別れも沢山ありましたが、高齢者の方々から本当に色々なことを学ばせて頂きました。名古屋で10年介護について学び、妻も益田市出身だったので8年前に益田に戻ってきました。

今やらんと後悔する

-益田に戻ってきた当時、苦労された点もあったのではないですか。

間庭さん そうですね。私は父親の仕事の関係で小学校4年生までしか益田にいなかったので地元といえどほとんど知り合いはいませんでした。なのでどうやって輪を広げていこうかと考えた時に、外に出る居宅介護事業(ケアマネジャー)だといろんな繋がりが作れると思い、居宅介護自体は初めてだったんですけどちょうど新しい事業所が立ち上がる時期でもあったので、事業所に属しながら仲間や繋がりを作っていきました。

-女性が多い職場というイメージがあるんですが、男性のケアマネージャーも結構いらっしゃるんですか。

間庭さん 実は都会の方は男女の比率が半々ぐらいなんですけど、益田の男性ケアマネジャーは全体の1割程度ですごく少ないので、よく問い合わせがありますね。

-なるほど。いつ頃から開業したいと思っていましたか。

間庭さん いつっていう明確な時期はなかったですが、名古屋で働いていた時に労務や経理もしていたので、いつかは益田で自分もやってみたいって思っていました。そして年齢を重ねていくなかで残りの人生の時間というのを意識するようになって、「あと何年、最前線で働けるんだろう」と考えたときに意外と短いな、今やりたいことをしないと後悔するなと思い、このタイミングで起業することを決意しました。

そうなんですね。事業所名の「ミツマル福祉事務所」の「ミツマル」はどういう意味ですか。

間庭さん 三つの丸という意味なんですけど、近江商人の「三方よし」という言葉が好きで、「売り手よし、買い手よし、世間よし」、これを介護福祉の考えに変換して「本人よし、支援者よし、地域よし」と意味変をして「みんなが幸せになれるように」という意味を込めて付けました。

また、施設で働いていたときにすごく心に残っている利用者さんが同じ「間」という字のある苗字だったんですね。その方から「「間」という漢字には丸(日)が三つある」って言っておられたんですよ。その方は、戦時中ぐらいのときに「ミツマル自動車」という会社をされていて、この方との会話の中で「もし、僕が会社を作るときにはこの「ミツマル」という名前を使ってもいいですか。」と聞いたら「いいよ」と言ってくださったので、この「ミツマル」という名前をいただく形で「ミツマル」と名付けました。その方との約束を果たせました。カタカナもレトロな感じでいいですよね。

挑戦し続けること

-そうなんですね。起業して大変なところはありますか。

間庭さん 会社の経営者として、「うまくいかなかったらどうしよう」など日々、責任の重さはすごく感じています。でも、一年経って起業してよかったなという思いの方がすごく強いです。それは何故かというと、実際に起業してみて、なにかに挑戦することは大変な反面、自分自身の成長に繋がっているかなと感じています。一度きりの人生ですからこの挑戦を楽しんでいますね。

-最後に、今後のビジョンや目標についてお聞かせください。

間庭さん これからもどんどん挑戦していきたいです。自分だけでなく、利用者さんやスタッフ、周りの人たちの挑戦も応援していきたいなと思っています。それが自分自身の挑戦に繋がっていくのかなと思いますし、それを楽しみながらやっていければ一番ですね。また、最近は命の大切さを改めて感じる年代にもなったので、大切な人を大切にしながら人生を全うしたいですね。

5年ほど前からもっと枠を超えた活動をしたいなと思い、医療福祉関係の有志の方たちと病気や障がいがあっても、みんなが生きやすい益田地域を作っていけるような活動をしています。「つながりミッケ」というチームで、色々なイベントを計画してます。サークルというか部活みたいなノリがあって楽しく活動しています。いつかはそこでできた繋がりを事業で生かせるようになれたらいいですね。

-間庭さん、お忙しいところ貴重なお話を聞かせて頂きありがとうございました。

文責:産業支援センター

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