恩師のライフキャリアシリーズでは、益田市でいきいきと生活されている教員の方を紹介し、自分なりの豊かな暮らしについて考える機会をお届けします。今回紹介するのは、益田市内で勤務経験があり、現在は鹿足郡吉賀町立蔵木小学校でお仕事をされている谷上元織(たにがみ・もとおり)先生です。
谷上先生は益田出身で、益田市や鹿足郡を中心に、地域活動や子どもから大人まで楽しめる様々な場づくりをされています。今回は、谷上先生が、どのようなライフストーリーを歩んでこられたのか、お話を伺いました。
「もとくん来てるよ!」地域の人から見守られ育まれた幼少期
-本日はよろしくお願いします!最初に、自己紹介とこれまでのご経歴を教えていただけますか。
谷上元織です。高津の出身で、小中と高津地区で育ち、益田高校から県外の大学に進学して、民間企業での勤務などの経験を経て、教員になりました。今は鹿足郡の吉賀町立蔵木小学校で教頭をしています。
-幼少期の思い出やエピソードを教えていただけますか?
周りの大人から聞いた話では、3歳過ぎてから急にものすごく喋るようになったらしいです。とにかくよく喋る子で、我が強くて、いたずらもよくする。規範意識の高い両親に育ててもらったせいか、意外と真面目な一面もあって、正義感も変に強かったように思います目立ちたがり屋の性分だから、級長も率先して引き受けていて、立候補して児童会長もやって。
-様々なコミュニティを柔軟に作り出し、毎週のように地域活動をされている谷上先生ですが、幼少期から地域のつながりを感じる場面は多くあったのでしょうか?
ひとつ、自分の原体験かなと思うエピソードがあるんです。3歳ぐらいのときに、しょっちゅう家を抜け出して遊びに行ってたんですよ。人の家に勝手に入ってこたつで寝てるような子だったんです。そんな私を心配した母が、白いTシャツのど真ん中に名前と住所と電話番号を書いたんですよ、ゼッケンみたいに(笑)そしたら、地域の人がその服を見て、「もとくんいるよ」「どこそこで見かけたよ」って、家に連絡してくれたっていう。
-服に電話番号が書いてあったんですか!?
親も苦肉の策だったんだろうけど、あとあと考えると、けっこう面白いですよね(笑)幼少期は当たり前のように地域の大人たちが身近にいたから、逆にそれを意識する場面はあまりなかったですが、服を見てみんなが連絡してくれたっていう話を聞かされるたびに、そういう地域性のなかで育んでもらったんだなと感じますね。
-親御さんも地域への安心感があるからこそ、そういう策をとったんでしょうね。
そうですね。いろいろな人に見守られながら、友だちとたくさん遊んで、まわりの人にはたくさん迷惑もかけながら育ってきたのだと思います。
-先生になろうと思ったのはいつ頃でしたか?
高校時代ですね。先生って、子どもと一緒に楽しそうに活動しているイメージがあって、何となく憧れがありました。いまにして思えば、実際の仕事は当然それだけではないのですが、当時は、子どもたちと「いえーい、行くぞー!」って盛り上がっている、楽しそうな教員像が自分の中にありました。それで教職課程のある大学に進学しました。
-大学卒業後はそのまま教員になられたんですか?
最初は民間企業に就職しました。忙しいながらも充実した日々でしたが、やっぱり自分がやりたいのは教員だ、という思いが募るようになりました。そうして採用試験を受け、講師の話をいただき、教員人生が始まりました。
教職の楽しさと苦しさ。「どうしてできないんだろう」と悩んだ日々
-念願だった小学校の先生になったわけですね。実際に教壇に立ってみていかがでしたか?
初任校はとにかく楽しかったですね。子どもたちから「先生」と呼ばれると、その響きが嬉しいしドキドキするし、ありがたい気持ちになって。子どもたちのために自分には何ができるだろうと、夜遅くまで残って、あれこれ授業のことやクラスのことを考える毎日でした。
保護者さんからも温かい言葉をかけてもらったり、お弁当を差し入れてもらったり、本当に感謝するばかりの日々でした。それで、「これは自分の天職だ」と感じ、教員としての力をつけたいと強く思うようになりました。セミナーにも数多く参加し、本もたくさん読みましたね。
-そうした学びを生かしてお仕事をされたんですね!
はじめはただただ楽しかった教員の仕事も、やりがいを感じる中でいつしか本を書いたりセミナー講師をしたりしているような「スーパー教員」に憧れるようになり、自分もそんなふうになりたい、と本気で思っていました。有名な先生の実践に学び、自分も教室でやってみようとするけれど、なぜか、というか当然というか、うまくいきませんでした。
今思えば、「子どもに隙を見せないきちんとした教員」になろうとしている自分がいました。「教員として」毅然とした態度をとろうと、子どもたちに強めの言葉を投げかけたり。そういう日々の中で、子どもたちとの間に溝ができ、深まっていくのを感じたんです。
なんとかしたくて、またセミナーに行ったり本を読んだり。それでもうまくいかない。学んでも学んでもよくならない、そんなジレンマを抱えながら、同世代の先生方が上手にやっているように見えて、どうして自分だけできないんだろうと、どんどん自信を喪失して焦ってばかりいました。
自分の苦手を受け入れる~きっかけは子どもたちのサポート~
-今の谷上先生からは想像できませんが、そんな時期があったんですね。そうした状況を抜け出すきっかけとなったのはどのようなことだったのでしょうか?
ターニングポイントは明確に2つありました。1つは子どもたちです。
自分のスキル不足をなんとかしたいと必死だった頃のことなんですが、ある朝、クラスに行ったら自分の机がきれいに整頓されていたんです。私は整理整頓が苦手で、とんでもなく散らかしてしまうタイプだったのに(笑)ひょっとして管理職の先生がやってくれたのかなと、冷や汗をかきながらお礼に行ったら、みんな「知らない」と言うんですよ。
「なんでだろう」と思って子どもたちに聞いてみたところ、その子たちが整頓してくれたとわかったんです。びっくりして、「ありがとう、でも、どうして?」って投げかけると、「だって先生、苦手じゃないですか、片付けが。」って言うんです。それがすごく嬉しくて。苦手なことを感じ取って、サポートしようとしてくれた姿に、びっくりしたのと同時に心から感謝しました。
それまで私は、経験もスキルも足りない中、子どもたちに隙を見せない「スーパー教員」であろうと肩肘張っていたんです。だけどその一件で、「あるべき姿」から解放された、というか。どんなに隙を見せまいとしても、全部見抜かれているんだなと。
それからは、下手に取り繕うより、「こういうとこがあってごめんね」「ここは自分も頑張るね」という気持ちを、子どもたちに伝えるようになりました。子どもたちに自分を開いていけるようになりましたし、子どもたちそれぞれが苦手とすることに対しての関わり方も変わりましたね。例えば片付けが苦手な子には、「ちゃんと片付けなさい」ではなくて、対話するなかで「片付けが苦手なのに困っているんだね?。どうしたい?俺に何ができる?」みたいなやりとりをしながら、一緒にどうなりたいかの方法を考えるようになりました。
苦手というのは、独力で克服するという道以外にも、「サポートし合う」という道もある。一人一人がもっているものを受けとめて、みんなが幸せになるようなことを一緒に考えていけばいい。スーパー教員になって教え導こうとしなくてもいいんだということを、子どもたちから教えてもらいました。
社会教育に携わる日々が自分を変えた
-子どもたちが自然にやった行動が、先生にとって大きな契機となったんですね!子どもたちの優しさや、先生に注がれていた温かいまなざしも感じさせる素敵なエピソードです。もう1つのターニングポイントはいつだったのでしょうか?
益田市教育委員会に配属されて、派遣社会教育主事をしていた5年間ですね。派遣社会教育主事というのは、教員がその専門性を活かしながら自治体の社会教育行政に関われるように設けられたポストです。学校教育だけでなく、繋がりづくりを通して、一人ひとりの人の育ちや学びを促進していくことが大きなミッションです。そこで、多様な世代やさまざまな場での学びや繋がりの仕組みづくりに関わる中で、自分に明確な変化があったんですよね。
-どのような変化があったんですか?
端的に言うと、ひとの育ちや学びについての視野がぐんと広がりました。教育や学びは学校だけで担うのではなくみんなで作っていくものだということの大切さが実感できました。誰かのせいや何か任せではなく、それぞれが主体としてやっていくことが重要で、抱え込みすぎなくてもいい、と思えたことで、教育や学びに対してポジティブなイメージが高まったし、それを全力で発信するようなりました。教員として苦しんでいた時代を知っている人には驚かれましたね。
社会教育課での日々はチャレンジの連続で、そこになんともいえない面白さと充実感がありました。実現したい世界ややってみたい実践が、自分と地続きのものとして見えて、そこに向かえているという実感がある。面白いことになるぞってわくわくする。
そして、自分の感じている面白さを、言葉にして周囲に伝えるようになりました。言葉にすると、それを嘘にしないよう、覚悟をもって自分自身も含めて楽しめるような仕掛けを考えたり、取組を実現させるように行動したりする。そんないいサイクルが回り始めたんです。仕事もプライベートも「どうしたら(自他ともに)ハッピーになるか」ということを大切にするようになりました。
自分が挑戦を重ねていると、実感を伴って子どもたちのチャレンジを後押しできるんですよ。「めっちゃいいね」「やってみたら?」「失敗したっていいじゃない」とはっきり言えるし、たとえそれがうまくいかなかったとしても、「大丈夫、大丈夫」「やってみたからじゃん」って全肯定できるんです。
子どもも大人も、安心して挑戦をするには、失敗しても完璧じゃなくても全てを受け入れてくれる存在があるという実感が必要。だからこそ「よく分からんけど全肯定してくれるおじさん」の役割を、これからも担いたいと考えています。
-谷上先生は教職員をメインとしたコミュニティの「教員の元気が出る会」や、“まちの誰でもプレゼンター”と銘打った「シャカイノマド。」といったように、いろいろな場づくりをされていますよね。こうした活動も根底には社会教育主事としての経験や、そのときに抱いた思いがあるということでしょうか。
そうですね。いろいろやっていますが、どれもシンプルに言えば「つながり作り」の一言に尽きます。ちょっと難しい言葉で表現すると、「関係性の基盤を構築する」ということ。
思えば、「スーパー教員」を目指してあがいた日々は、「勝手に孤軍奮闘」している感覚が強かったなと。自分の未熟さもあって、周囲とのつながりが感じにくくなっていたり、サポートを拒絶してしまったり、社会に対して自分を閉ざしてしまっていたように感じます。だから今は、それを繰り返さないように、同じ思いをする人が生まれないように、関係性を作り、耕すことを大切にしています。
たとえば、「教員の元気が出る会」も「シャカイノマド。」も不定期開催でゆるくやっている集いで、毎回異なったトークテーマやゲストスピーカーを設定して、それに興味がある人が集まって学び、交流を深めるスタイルをとっています。
誰かが自分の日常や、思い、やっていることについてしゃべる。しゃべるということはスポットライトがあたるということです。誰もが驚くような何かをしたとか、特別な才能があるとか、そういう必要は全くないんです。どこにでもいる人が、それぞれにもっている面白さをみんなで面白がっていこう、つながっていこうという場です。
特別なものをもたなくったって、社会の一員なんだと感じたり、自分の一歩が、人や社会とつながるきっかけになったんだと実感できたりできる。そういう体験があると、困ったときにも助けを求めやすい。たとえ困っていなくても、その出会いから面白い発展があるかもしれない。そのために、いつでも誰にでも門戸が開かれているプラットフォームを作りたいんです。
場づくりの先に描いたビジョン~誰もが幸せであるために~
-ご自身の苦しかった時代があるからこそ、つながりをつくりたいという思いがあったんですね。
そうですね。誰もが幸せに安心して生きていける社会を作りたいという願いがあって、そのためには耕された豊かな関係性が必要だと思うんです。困ったら助けを求める、困っている人がいたら駆け寄る。やりたいことをやりたいと表明する。そういう行動をとるには、自分を取り巻く環境への信頼や安心感が必要です。
そのために、日頃から関係性の基盤を構築し、周囲とのつながりを実感できるようにしておきたい。その基盤があれば、やってみたいことを行動に移しやすくなるし、いい環境だとパフォーマンスも上がる。一人一人の、個としての幸せがあって、そこから住みよいまちや社会が生まれると考えているので、その幸せを大切にするために、場づくりをしている、という感じでしょうか。
-個としての幸せですか??
そうです。いろいろな考え方があるとは思いますが、自分の幸せを後回しにして社会のために頑張ろうというのは、どこかで無理が生じてしまうのではないか、と私は思うんです。だからまずは一人一人が、幸せであることを大切にしたい。
-谷上先生のされている様々な場づくりの先には、そういうビジョンがあったんですね。これからの活動について、どのような展望をもたれているのか教えてください。
今やっていることはコミュニティづくり中心ですが、今すでにある地縁の、ローカルなコミュニティも、これから一層耕すために何か仕掛けていきたいですね。つながりをつくり、それを感じられる場をつくることで、誰もが幸せを感じられる、チャレンジできる、そういう世の中にしたい。誰にでも、いいときがあれば、わるいときだってある。得意不得意があって、できることできないこともある。それでも、そのままで生きやすい社会、幸せになれる社会にしようと、あれこれやっているところです。
今の自分を受け入れたうえで、1番ハッピーになれる道を探そう
-最後に、益田の子どもたちにメッセージをお願いします。
若い頃の自分を思い出すと、スーパーマンみたいな人が羨ましかったし、なってみたかった。それで劣等感を抱いたり、思い悩んだりもしました。でも、そのうまくいかない部分、弱さや曖昧さ、痛みとかを受けとめ、大切にしようと思えるようになったところから、人生が開けてきたように感じています。完璧なんて無理なんだから、今の自分を受け入れたうえで1番ハッピーな形はどれかなって探していくのもいいんじゃないかな。成長を否定するとかそんなことはなくむしろその逆で、安心感があるからこそ人はもっとこうなりたい、こんなふうに生きてみたい、というエネルギーが湧いてくると思うから。
困ったり悩んだりしたとき、もし自分に話を聞かせてくれるなら、そういうことを一緒に考えていけたら嬉しいなって伝えたいですね。
今の益田には、そのままを受け入れて、一緒になって考えていこうよっていうスタンスの大人が増えている気がします。だからもし、「話してみたいな」って思えるコミュニティがあったら、そこに飛び込んでみてほしい。「一緒に楽しくやろうね」って、そういう言葉を贈りたいです。
-貴重なお話、ありがとうございました!
文責:益田市連携のまちづくり推進課
文章:一般社団法人豊かな暮らしラボラトリー