大学生インタビューシリーズでは、益田市でいきいきと暮らしている大学生や、益田市の暮らしを体験したことのある大学生を紹介し、自分なりの豊かな暮らしについて考える機会をお届けします。今回紹介するのは、龍谷大学で大学生活を送る向原宏一郎さんです。向原さんは大学1回生の時に、1年間休学して益田暮らしをするという選択をしました。益田での生活を経て感じたことや考えたこと、また、その体験が今の大学生活にどのようにつながっているのかについて、お話を伺いました。
物心ついた時からサッカー少年、サッカー生活の充実を求めて明誠高校へ

-本日はよろしくお願いします!最初に、簡単な自己紹介をお願いします。
向原宏一郎です。広島出身で中学校まで広島で過ごしたのち、益田の高校に進学しました。大学入学を機に県外に出ましたが、大学一回生の時に、一般社団法人豊かな暮らしラボラトリー(通称ユタラボ)で1年間インターンシップをしようと決めて益田に戻り、二条地区での空き家暮らしも経験しました。現在は復学し、地域に関することを中心に学んでいます。
-広島のご出身なんですね!広島ではどんな子ども時代を過ごされたんですか?
3歳からサッカーを始めて、ずっとサッカー一色でした。私は覚えていませんが、親によると自分から「やりたい」と言ったそうです。サッカーは大好きなものでもありましたし、生活の一部で、「やるべきもの」という思いもありました。いつしか当然のようにプロを目指して練習に励むようになっていました。
-益田市の高校を選んだ経緯について教えていただけますか?
当初は「サッカーがしっかりできる学校」という基準で、広島県の強豪校への進学を考えていました。ですが、中学3年の時にけがをして、公式戦に出られない時期があったんです。思うようなプレーができず、親からの期待もプレッシャーとなって、純粋にサッカーを楽しむこともできない状況でした。
それで「親元を離れてサッカーを楽しめる環境で過ごしたい」という気持ちが生まれました。そこで明誠高校の練習に参加したときに本当に楽しくて、「自分のやりたいサッカーができそうだ」と感じたんです。それが決め手でしたね。
-部活動の楽しそうな雰囲気が、向原さんの気持ちを動かしたんですね。実際に入学してからのサッカー生活はどうでしたか?
寮生活だったので友だちもすぐでき、先輩にも可愛がってもらってとても過ごしやすかったです。けがのこともあり、入学当初は自分の力量に不安もありましたが、先生方の指導を受けて力を伸ばすことができました。私生活でも食事や生活習慣をサッカーにつなげて考えるようになり、やりたいことをやりきるために必要なものを選び取る力が身についたと思います。
-高校生活の中でプロを目指す気持ちには変化があったのでしょうか?
高3の夏ごろまでは本当に悩みましたが、高校で本気でサッカーと向き合い、強い選手の姿を見たりプロになる未来を思い描いたりしたからこそ、自分の限界も頭をよぎるようになりました。
そこで、サッカー以外の可能性も考えようという気持ちが生まれたんです。それまでサッカーしかしていなかったので、他に何ができるのかを知りたい、試してみたいという気になりました。そこで、大学に進学することにしたんです。今でも「サッカーを続けていれば」と思うことはありますが、だからこそ「自分の選んだ道を正解にしよう」と努力できていると感じます。
「地域の日常」を感じたい、1年間のインターンシップで再び益田に

-大学で地域のことに関心を持ち始めたのはどういう経緯だったのでしょうか。
最初から地域のことを学ぼうとしていたわけではありませんが、社会学部のコミュニティマネジメント学科に進学したこともあり、地域について学ぶ機会は多くありました。地域活性化を学んでいると、ときおり「都会が地方を助けてあげる」といった考えに触れることがあります。その度に「都会と地方は、ともに支えあう関係であり、対等のはずなのにな」という違和感を覚えていました。そうした思いから、実際に地方に身を置いて学び、現場を知りたいと思うようになったんです。
その時に、高校時代に地域の公民館で活動する授業があり、それをユタラボという団体がサポートしていることを思い出しました。そこで「何かやってみたい」という思いだけで、直接電話をかけたんです(笑)そうしたら、夏休みの1ヶ月間、ユタラボで活動をさせてもらえることになりました。
当初は1ヶ月だけ学ぶつもりでしたが、様々な仕事をしたり地域活動に参加したりする中で、「これでは足りない」「もっとここでいろいろな経験をしたい」という思いが強まり、結局1年間休学して活動することにしました。
-向原さんの行動力や決断力を感じさせるエピソードですね!最初の1か月で感じたことや、インターンシップを延長しようと考えた理由について教えていただけますか?
益田に来て過ごす中で、「ここにいる方が自分らしくいられる」と思いました。インターンシップを延長しようと考えた理由はいろいろありますが、まず、「もっと地域の方の日常に入っていきたい」と思ったんです。
短期間だと、どうしても地域にとって自分が“お客さん”のような存在になってしまい、表面的な部分しか見られないと感じて、それならば1年間過ごしてみて地域の人たちと同じ日常を体験したいと思ったんです。
また、ユタラボの方々の仕事や活動の様子を見る中で、自分ももっといろいろなことができるようになりたいという思いが強まりました。仕事と日常の両面において、様々なことに取り組んで力を伸ばしたい、挑戦してみたいと思ったんです。
-大学に入ったばかりで休学するというのは、結構ハードルが高いのではないかと思うのですが、そのあたりはどうでしたか?
全く迷いはありませんでした。大学入学から半年で休学するのは珍しいようで、みんな驚いていましたが、まだ大学の友人関係もそこまで深まっていなかったですし、生活に馴染みきってもいませんでしたから、むしろ「今がそのタイミングだ」と、勢いで飛び込みました。
-「地域の日常」をもっと体感したいと思ったきっかけは何かあったのでしょうか?
匹見地区で開催された対話型ワークショップが印象的でしたね。地域の方が「都会は車も多くて大変でしょ」「こっちは渋滞がないんだよ」と話されるのを聞いて意外に思ったんです。
それまで自分の中に、漠然と『地方には都会に憧れる人が多い』という固定観念があったように思います。だから、「みんなここでの暮らしを気に入っているんだ」と、大きな気づきが得られたように感じました。そこから、もっと地域の声を聞いてみたいと思うようになったんです。
-それで深く生活に入っていこうとインターンを延長されたというわけだったんですね。実際に益田暮らしを送る中で印象的だった出来事はありますか?
途中から、二条地区の空き家を借りて生活していたのですが、隣のおばあちゃんがよく野菜を持ってきてくれたり、朝に声をかけてくれたりしたのが嬉しかったですね。
桂平小学校で放課後に実施されているボランティアハウスで小学生ともたくさん遊びましたし、公民館で開催されるイベントにもよく足を運びました。一番印象的だったのは、益田暮らしも終わりに近づいた頃の盆踊りです。私の「やぐらを建てたい」という一言に、地域の方々が協力して建ててくれたんです。コロナ禍もあり二条では数年にわたって建てていなかったそうなのですが、「二条のためにいろいろやってくれた宏一郎がやりたいって言うなら」と、皆さんが行動してくれて……。それが何より嬉しかったですね。
-素敵なエピソードですね!インターン生としてのお仕事は具体的にどんなことをしていたんですか?
小中学生と地域の大人たちが1対1で対話する「対話プラス」の企画運営や、市内企業の新入社員の方のつながり作りや益田暮らしをより豊かにするためのプログラム「MASUDA no DOUKI」に関することをしていました。また、ユタラボオフィスを週に3日間開館して運営している地域交流スペースのスタッフとして、高校生や社会人の居場所づくりに関わっていました。
-そうした活動の中で得られた学びについて聞かせてください。
たくさんありますが、一番大きかったのは「人と一緒に働くことの楽しさと難しさ」です。チームとして業務を進める中で、「相手をリスペクトする」ということや「チームメイトを気にかけてさりげなく言葉をかける」といった姿勢の大切さを感じる場面が多くありました。
例えば、自分と異なる意見を持っている場合でも、否定から入らずに、一回受け止めた上で、自分の意見を伝えてみる。少しつらそうな様子に見えたら、「ご飯行って話そう〜」「お菓子食べる?」といったちょっとした声かけをする。仕事には直接関係ないような雑談も含めて、「あなたのことを気にかけているよ」ということが相手に伝わるようにすることが大切だなと思ったんです。
人と関わる姿勢はすぐに身につくものでもなければ、相手や状況次第で変わる部分もあります。そうした難しさと向き合いながら仕事をする中で、チームメイトとの関係づくりの大切さや、気配りについて学んだと感じています。
-いい関係性のため意識的に行動できるか、気配りができるかというのはとても大切なことですよね。1年間の中で、思い出深い現場のエピソードがあれば教えてください。
最後の仕事として関わった、「対話プラス」の現場です。公民館や市役所、学校とのやりとりを任されて、リーダーのような立場で働かせてもらいました。ユタラボ職員のみなさんが「最後の現場だから」と応援してくれて、「頑張ろうね」というメッセージをいろいろな形でもらいながら準備を進め、当日を迎えました。
仕事をし始めた最初の頃は、パソコンを触るのもままならなかったのですが、当日は自分で作った資料を使いながら司会をしました。「ここまで大きく育ててもらったんだな」「そんな成長した姿を少しは見せられていたらいいな」という思いを持って、自信を持って臨むことができました。忘れられない、いい思い出です。
地域の魅力を学生の力で発信・学生団体rindoの活動

-ここからは、大学に戻られてからの生活について教えていただけますか?学生生活で力を入れていることや、益田での経験が生かされていることがあればお話を伺いたいです。
復学してからは、引き続き大学で地域のことを学んでいます。高齢化率が高く、人口も減少している二条地区での暮らしを経て、地方の残し方や記録の仕方を学びたいと思うようになりました。土地の文化や伝統は、人がいなくなると消えてしまいかねない。だから、それをどう記録して残していくかを学びたいんです。
また、課外活動として、学生団体の立ち上げも行いました。
-学生団体の立ち上げまで!どのような活動をしているんですか?
rindoという団体で、地方の魅力をより多くの人に知ってもらう活動をしています。たとえば、地方の特産物を関西圏のマルシェで販売したり、SNSで企業や生産者の記事を発信したりしています。
きっかけは、益田で農業を頑張っている人たちを見たことです。地方の経営は本当に大変で、赤字に苦しんでいる方も多い。そういう人たちを見て、「地域活性化のため」というより「自分の好きな人たちの力になりたい」という思いで始めました。
-実際にやってみていかがでしたか?
とても難しかったです。マルシェで出店しても、思ったよりも全然売れないし、話も聞いてもらえませんでした。でも、団体のメンバーと「どうしたら立ち止まってもらえるか」「どうすればより商品の魅力や生産者の魅力が伝わるか」と作戦会議を重ねて、陳列や声のかけ方を工夫したところ、少しずつ売れるようになって、自分たちの工夫が実を結んだと感じました。企業の方から「助かっている」と感謝してもらえることもあって、微力ながら役に立てたと実感でき、それも励みになりました。
「益田で頑張れたから、自分ならできる!」やりきった経験が、今の活動の基盤に

-1年間の益田暮らしを経て、ご自身の価値観や考え方に何か変化はありましたか?
周りを頼ることが増えました。それまでは完璧でいないといけないと思うことが多く、サッカーでも勉強でも優等生であり続けようとしていました。何事も独力でできるようになるのが一番だと思っていたんです。
ですが、人とのつながりの深い益田での暮らしや仕事の中でいろいろな人に気にかけてもらって、わからないことやできないことに出くわしたとき、「人に頼ってみよう」「意見を聞いてみよう」と自分から相談や質問に行く回数が一気に増えたように感じます。「頼っていいんだ」「一緒にやればいいんだ」と思えるようになったことが大きいですね。
-ありがとうございます。最後に向原さんにとって益田はどのような場所か教えていただけますか?
「会いたい人がたくさんいる場所」です。ユタラボのみなさんや高校時代の先生、二条地区の人たち、ご近所さんたち。益田に帰ってくるときは、「人に会いに帰ってくる」という感覚です。
そして、今の活動を頑張る原動力になるような、「マインド」や「武器」をもらった場所でもあります。益田で自分なりに挑戦して、つらい思いをすることもあっても最後は楽しんでやり切った経験があるからこそ、どんなときでも諦めずに頑張れるし、自分ならできる!と思えているのだと思います。
-貴重なお話、ありがとうございました!

文責:益田市地域振興課
文章:一般社団法人豊かな暮らしラボラトリー