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2026年1月14日 (水)

益田のひとづくり仕事,働くひと地域づくり生きがい

「UIターン者のライフキャリア」森下高博さん

UIターン者のライフキャリアシリーズでは、県外からUIターンされ益田市でいきいきと生活されている方を紹介し、自分なりの豊かな暮らしについて考える機会をお届けします。今回紹介するのは、自動車教習所「Mランド益田校」の森下高博(もりした・たかひろ)さんです。

 

学びの面白さに目覚め、演劇に心を揺さぶられた小学校時代

-本日はよろしくお願いします!最初に、自己紹介とこれまでのご経歴を教えていただけますか?

森下高博です。現在の津和野町日原の出身です。ちょうど青野山が見えるふもとで育ちました。日原小学校から日原中学校、津和野高校へと進学し、大学進学を機に一度県外に出て、Mランドに教習指導員として就職するためUターンしました。

-日原のご出身なんですね。幼少期の思い出など教えていただけますか?

日原小学校までは自宅から距離があったので、バスで通っていました。子どもが多い世代なので、学校に行くと同級生がたくさんいて、友だちと一緒に、川で釣りをしたり、カブトムシを取りに行ったりしていましたね。とはいえ性格は、外交的というよりは、おとなしい、おっとりした子どもだったと思います。

-子どもたちが集まって自然の中で遊んでいる風景って素敵ですね!当時夢中になったものや、印象的だった出来事はありますか?

小学校4年生のときに、今振り返って人生の転機だな、と思う体験をしました。その一つが尊敬する担任の先生との出会いです。その影響で理科が大好きになったんです。あるときその先生が、音の伝わり方の実験をクラス代表として私にやらせてくれたんですよ。みんなの前で実験をした経験、私にとってそれは大きな自信になりました。

そしてもう一つ、たまたま同じ年の暮れ、テレビでミュージカルを見たことも、私の今に大きく影響していると思います。それまでミュージカルを見たことはなかったのですが、偶然見たその作品が終わるころには、ボロボロ泣いていたんです。ドイツの児童文学作家ミヒャエル・エンデ原作の「モモと時間泥棒」でした。こんなにも感動するものがあったのか、と衝撃を受けました。この時の衝撃は間違いなく今の自分につながっています。私にとって大きな転換点だったと思いますね。

-森下さんは市民演劇などにも出演経験がおありだと聞いていますが、舞台に関わるようになられたのはその体験があったからなんですね!

 

子どもたちとの交流に力を入れた大学でのサークル活動

-大学時代に学んだことや取り組んだことについて聞かせてください。

大学は、法学を学ぼうと思い、愛媛県の松山にある大学に進学しました。ボランティアサークルに所属して、子どもたちに人形劇を楽しんでもらったり、一緒にゲームをしたり、子どもたちと関わる活動に熱中していました。子ども会での公演や交流を中心に活動をしていましたが、クリスマス等のイベントシーズンには、様々なところからお声がけをもらって、1日3、4か所回ることもありましたね。

-子どもと関わる活動に力を入れていらっしゃったんですね。もっとお話を伺いたいです。

特に思い出に残っているのは、「ワークキャンプ」という、複式学級の小さな小学校の子供たちと様々な活動を行う企画や運営です。一週間程度そこの地区の公民館に寝泊りさせて頂きながら、子供たちと水泳大会やキャンプファイヤ―をなど色んなことをする。

実は、宿泊期間中はニックネームで接するのが慣例で、最終日に、子どもたちと別れるときに本名を明かすんです。それまでの活動で親しくなった者同士なので、最後に本当の名前を伝えると、改めて心を開いた仲間であると感じられて、とても心に響いたのを覚えています。

-子どもたちにとっても忘れられない瞬間だったでしょうね!子どもたちとの触れ合いの中で、特に印象に残ってることは何ですか?

親御さんと一緒に暮らすことのできない子どもたちが生活している施設を訪問したときのことでしょうか。お兄ちゃんお姉ちゃんと、一対一でじっくり話したいという思いが強い子どもたちが多く、一生懸命、全部話そうとしてくれるんです。

そうした子どもたちと心を通わせる経験を経て、私自身、他者に自分を開くこと、そして人それぞれ違って当たり前で表現方法や発信の仕方など様々だし自分自身内向的から外交的性格へと変化しました。今は演劇もしていますが、ホールのような多くの人が集う場所で自分を表現できるのは、あの時の経験があったからこそだと思っています。

 

教習指導員としてUターン 

―誰もが安心して学び、免許が取れる仕組みを作りたい―

-子どもたちとの活動に熱中されていた大学時代を経て、その後Mランドに就職されたのは、どのような経緯があったのでしょうか?

学生時代は漠然と、卒業後は島根に戻ろうと考えていました。最初からこの仕事に就こうと明確に考えていたわけではなく、就職活動中にたまたま、今の勤務先であるMランドの求人を見つけたんです。自動車教習所の教習指導員というお仕事はその時はあまりイメージは沸きませんでしたが、なんとなく面白そうだな、と思って採用試験を受けたところ、晴れて就職することになりました。

-最初は偶然の出会いだったんですね。実際にお仕事をされてみていかがでしたか? 

Mランドは受講者の幅が広いこともあり、そこから日々勉強という必要性が生じますし、成長させてもらっているなと思っています。

-受講者の幅が広いというのはどういうことでしょうか?

Mランドは、全車種の教習を実施していますし、免許合宿がメインですから、全国から人が集まります。また、外国人の方も多くいらっしゃいますから、英語も中国語も勉強しました。

教習指導員の基本の仕事は、技能教習と学科教習の指導ですが、教習所運営のための様々な仕事も兼務しています。最初は営業を担当し、生徒募集で大学生協など全国を回りましたね。その後、入校手続きや検定の事務をする部署を経て、今は総務をしています。


-教習指導員というと授業と実技指導のイメージでしたが、幅広いお仕事をなさっているんですね!

そうですね。様々な経験をさせてもらいましたが、なかでも印象的だったのは30歳になる年のことです。会社から「大学院に行かないか?」と声をかけてもらい、比治山大学で心理学の勉強をすることになりました。

当時の副学長が、「交通心理士」を増やそうということで社会人入学を推奨していらっしゃって、うちの会社にもその話が来ていたようなんですね。直感的に「行きたい!」と思い、会社からの提案に二つ返事で応じて、それから指導員と大学院生という二足の草鞋生活が始まりました。それまでの指導員としての仕事を凝縮し、週の半分は広島で講義を受けたり卒業研究をしたりする、そんな2年間を過ごしました。

-すごいです!お話を聞くとハードな生活にも思えますが、大学院での日々はいかがでしたか?

本当に面白かったです。私は研究主題に「心身に障がいのある人の教習の方略」というのを設定しました。私が就職したころの教習所は、入校希望がとても多く、定員オーバーで入れない人もいるくらいでした。

そのような状況だと、せっかく入校したのに勉強面でつまずいた人や、頑張っているのになかなか運転が上達しないという人は、いつしか自然にやめていく、ということが多かったです。私はそこに疑問を抱いていました。そんなある日、受付で一人泣いている子がいるんです。話を聞くと、特別支援学校の出身だと明かしてくれて。そういう人たちに対してこそ、適切なケアをして、免許が取れるようにしないといけないという課題意識が芽生えたんですよね。そこから大学院での研究主題にたどり着きました。

-お仕事と研究が結びついているし、今の社会にとても必要な研究テーマだと感じました。

今でこそ発達障がいへの理解も進んできましたが、当時はまだ、あまり知られていなかったように思います。コミュニケーションにおいて食い違いが生じてしまうことが多かったり、まっすぐ走ることができなかったり、そういう困り感を持っていると知った上でケアする視点が、社会にまだ足りなかったんですね。

でも、実際に困っている人たちがここにいる。そうした人たちもケアを受けながら免許が取れるようなシステムを構築したかったんです。そこで大学院を卒業して戻った時に、知的障がいや発達障がいの方でも安心して受けていただける「特別支援教習」というプランをつくったんですよ。

-そうなんですか!そういった取り組みはまだ全国的に例が少ないのではないでしょうか。

そうですね。ですから全国から障がいのある方、困り感をもっている方が受講のため集まってこられるんです。視覚障がい者・聴覚障がい者のための国立大学であるつくば技術大学をはじめ、さまざまな都道府県の養護学校を卒業された方が、Mランドで、運転免許にチャレンジしています。

-日々のお仕事のなかで感じられたことを大学院での研究主題にし、卒業後もその研究成果を生かしながら新しい取り組みをしてこられたんですね。

教習所には年齢もモチベーションも、それまでの状況も人生も全く違う人たちが免許を取りに来ます。

だからこそ私は、教習所の学科教習を「学びの捉え直しの機会」にしたいんです。たとえば、今まで勉強ができなかった人がここに来て、免許を取るために学ぼうとしたとき、「学ぶことって面白いな」「勉強ってこうやってやるんだ」と感じてもらいたい。そのための学科教習メソッドのようなものを作っていきたい。私は今、それを「新学科学習教育理論」と呼び、取り組んでいるんですよ。

-今まさに新しい挑戦をされているところなんですか!

そうですね。Mランドに限らず、広く「自動車学校の学科教習」の在り方を、変えていきたいんです。ありがたいことに、会社の創業者が、変わったこと、新しいことを導入しようという思いのある方でした。

例えば、私が入社した時、この会社は「ドライビングスクール」として生徒募集をしていましたが、今は「Mランド」です。どこにも「自動車学校」「教習所」といった名前がないんですうよ。これまでの「教習所」のイメージや枠組みを取っ払って、何をやってもいいと、そういうメッセージだと感じています。

-お話からお仕事への強い思いが伝わってきました。

 

観る側から演じる側へ。劇団に所属し、演劇をするように。

-次に、お仕事以外の暮らしの時間についても伺いたいと思います。

小学生の頃に演劇に魅せられたのをきっかけに、現在、森下さんご自身も舞台に立っているとのことですが、実際にどういう経緯で演劇の舞台に立つようになったんですか?

実際に舞台に立ったのは社会人になってからです。島根に戻って生活が落ち着いた頃、益田、浜田、鹿足の演劇好きの若者が結集した、夢のような劇団「市民演劇集団ドリームカンパニー」という劇団の旗揚げから参加しました。それまで役者経験はありませんでしたが、学生時代には人形劇もやっていましたし、挑戦してみようと思って飛び込みました。最初にやったのはつかこうへいさんの「幕末純情伝」で勝海舟役、その次が「蒲田行進曲」で倉岡銀四郎役。つかさんの脚本は長台詞で有名なのですが、台本2、3ページ分、マシンガンのように通してしゃべることがある。大変でしたが、一生懸命やった分、思い出に残っています。

-舞台に出演される中で、特に印象的だったエピソードを教えてください。

益田市の青年会議所が主催の市民劇で主演を務めたときの事です。幕末の益田が舞台で、岸静江國治という浜田藩の関守が主役。長州藩を防ごうと奮闘した岸は、鉄砲をその身に受け、陣太鼓が鳴る中、役目を全うして最期を迎えます。そのタイミングでスポットライトが当たる。

ところが、本番の舞台ではメガネ無しの(コンタクトは入れない)私には、そのスポットライトに入るための舞台上の目印が見えなくなってしまったんです。銃声を聞きながら「まずいぞ」と思いましたが、確信がもてないまま立った場所にライトがパッとあたったんです。奇跡でしたね(笑)その瞬間、安堵するやら感動するやら……。舞台は本当に生物(なまもの)だということ、その面白さも含めてあらためて実感した体験となりました。

-舞台に立つ緊張感や面白さが伝わってきました!

 

年齢や障がいの有無を問わず交流し学びあえる場づくりを目指して

-最後に、これからやってみたいことや、思い描かれている今後のビジョンについて教えていただけますか?

Mランドの未来構想に、「ごちゃまぜプレイスMランド構想」があります。これは、子ども、若者、高齢者、障がいのあるなしにかかわらず、全世代すべての人がそれぞれに学び、またそれぞれに交流し、お互いの人間性を育みながら精神的社会的進化を続ける場所を目指そうというものです。

具体的には、若者中心の教習所事業、高齢者の知恵や技を継承する伝承大学、アーティストのインキュベーション施設や芸術作品の展示、芸術の祭典、子どもたちのプレイパーク、このあたりにはまだない森の図書館、認知の小路など、そんなごちゃまぜの空間と場を作り、そこに雇用を創出したり、そこで人財の育成をしたりできたらと思っています。

やりたいことをあげるときりがありませんが、プライベートの演劇も、俳優として高みを目指したいと思います。今回のインタビューで初めて自分の人生を振り返りましたが、やはり主体性をもって生きていれば後悔もないし、起こることすべてが必要であり必然なのだと感じています。これからもまだまだ人生の転機が訪れるであろうことを願い、楽しみにしながら、どんなことにも積極的に取り組んでいきたいですね。

-貴重なお話、ありがとうございました!

文責:益田市地域振興課

文章:一般社団法人豊かな暮らしラボラトリー

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2026年1月14日 (水)

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