2025年2月27日 (木)

益田と関わりたい方,私にとっての益田生きがい,趣味仕事,働くひと教育

「恩師のライフキャリア」岸宣之先生

恩師のライフキャリアシリーズでは、益田市でいきいきと生活されている教員の方を紹介し、自分なりの豊かな暮らしについて考える機会をお届けします。今回紹介するのは、益田東高校の岸宣之(きし・のりゆき)先生です。

益田東高校は、益田市染羽町に位置する私立高校です。「E笑顔で A明るく S爽やかに T楽しく」を教育スローガンに、地域に根ざした教育を大切にし、生徒一人ひとりの個性を尊重しながら、夢や目標に向かって成長できるよう支援しています。高校の詳細はこちらからご覧ください。

岸先生は、益田東高校への着任を機に益田市にIターンされ、高校で吹奏楽の指導に当たる傍ら、益田市民吹奏楽団でも指揮者を務めたり、益田市民によるチャリティーコンサート「100人の吹奏楽」の指導をされたりするなど、多岐にわたって活躍していらっしゃいます。今回は、岸先生がどのようなライフストーリーを歩んでこられたのか、お話を伺いました。

 

「こんな音を奏でたい」吹奏楽に打ち込んだ学生時代

-本日はよろしくお願いします!最初に、これまでのご経歴を教えていただけますか?

岸宣之です。益田東高校で理科の教員をしています。大分県の出身で、湯布院から30キロほどの距離にある玖珠郡玖珠町というところで高校時代まで過ごしました。岡山の大学で教員免許を取得し、大分で教員として勤めた後に益田東高校に着任して今に至ります。

-大分県のご出身なんですね!どのような学生時代を過ごされたのか教えてください。

中学校から吹奏楽を始め、高校時代は部活動に明け暮れていました。当時は年中、土日もずっと部活動の練習があり、ほぼ休みがないくらいでしたね。

-現在も、公私にわたって吹奏楽でご活躍の岸先生ですが、吹奏楽との出会いや、ここまで深くのめり込むようになった経緯について教えていただけますか?

吹奏楽を始めたきっかけは、小学生のときに聴いた、のちに私の母校となる高校の吹奏楽部の演奏を聞いたことです。当時の顧問の先生は、とても勢いよく指揮を振る方で、いわゆる地元の「名物先生」。実際に目にしたそのステージは、先生も生徒もとにかく楽しそうで、生き生きしていました。その姿に惹かれたんです。それで中学生になったとき、吹奏楽部に入部しました。

次に大きな契機となったのが、高校生の頃にCDで聴いた全日本吹奏楽コンクールの演奏でした。それまでは吹奏楽が好きでしたが、「そこそこにやる」程度。私より熱心な同級生もたくさんいました。ところがある日、全日本コンクールのCDを買い、家で聴いて衝撃を受けたんです。自分たちと同じ課題曲を演奏しているのに、音が全然違う。「高校生がこんな音を鳴らせるのか」と驚きました。

以来、毎年そのCDを買っては聴き、全国区の演奏への思いを募らせていきました。大学生になってからは自分で旅行にも行けるようになったので、青春十八切符を活用して、東京から九州まで、いろいろなところに演奏を聴きに行きましたね。

-音楽への強い思いが伝わってきました。学校の先生になりたいと思ったのにも、何かきっかけがあったのでしょうか?

高校時代の気づきが大きかったように思います。私はもともと勉強が嫌いでした。じっとしているのが好きじゃなくて、机に向かってペンを握るというのが、とにかく苦痛。だから授業なんて面白くないとずっと思っていました。中学生のときなんて、高校入試の問題を見て、教科書のどの単元から出題されているかもまったくわからないくらい迷子になっていました(笑)

ですが、高校生になって初めて、「勉強って面白いんだ」と思えるようになったんですよ。

-もともと勉強が嫌いだったというのには驚きました。高校の勉強はそれまでとどう違ったんでしょうか?

先生方の授業スタイルが個性豊かだったというのが大きかったですね。たまたま高校で出会った数学の先生の授業スタイルが、私にはとてもしっくりきたんです。

その先生の授業では、黒板の書き方がすごく工夫されていて、構造的にまとめてあったんです。だから、どこに何が書いてあるか、すごくわかりやすい。

それを見ていると、私は耳から入る情報よりも、目から入る視覚情報の方が、圧倒的に理解しやすいタイプだということに気づいたんです。説明を聞いてもなかなか覚えられなかったけれど、その先生の黒板の内容を、写真を撮るように記憶してしまうことはできる。昔から映像を記憶するのは得意で、興味を抱きながら目にしたものは、なんでもそのまま覚えちゃう。その先生が書かれた黒板も、今でも思い出せるくらいなんですよ(笑)

そうやって、自分にしっくりくる学び方さえ分かれば、勉強って面白いんだ、と気づいたんです。先ほど話したように部活動も楽しくなっていたタイミングだったので、「学校はこんなにも楽しい場所なんだ」「先生というのはこの楽しさを提供できる仕事なんだ」と思うようになりました。教員を志すようになったのはその頃でしたね。

 

 

大分での教員生活、益田東高校との出会い

-岡山の大学に進学されたということでしたが、進路選択をする上で考えていたことや大切にされたことについて教えていただけますか?

「分野を絞りすぎることなく、広く学べること」でしょうか。当時、祖父が車屋を経営してして、自動車や機械に囲まれて育った影響か、私も科学技術への興味が強かったため、物理学を専攻しようと考えるようになっていました。ただ、その車屋で一緒に働いていた父がよく「科学を語る上で、偏った知識ではいけない」と言っていたんですね。

その考えに共感し、大学選びのときには理学部の中でも学科があまり細分化されていないところを探しました。最初から「数学科」「物理科学科」と細分化・固定化されているところよりも、横断的に学べるところに行きたいと考えて大学選びをしましたね。

-実際の大学生活はどうでしたか?
とても楽しかったです。いろいろなことが学べるし、時間に余裕が生まれたので、趣味の旅行を兼ねて演奏会を聴こうと全国各地に行きました。

-岡山はどこに行くにもアクセスがよさそうですね。卒業後の進路については、ずっと教員一筋だったんですか?

他の道を考えたことは一度もありません。数学と理科の教員免許を取得して、採用試験に臨みました。試験ではずいぶん苦労しましたね。勉強の楽しさに目覚めたとはいえ、私にとって筆記試験の勉強はやっぱり辛くて……。残念ながら新卒のタイミングでは正規採用には至らず、いったん大分で臨時任用教員として勤めることにしました。それから8年にわたり、大分の公立高校で講師をしながら、採用試験を受け続けたんです。

-そこからどのような経緯で益田市にいらっしゃったんですか?

ちょうど30歳に差し掛かる頃、筆記試験を通過し3次試験まで進めた年がありました。採用には至りませんでしたが、その実績があると翌年の筆記試験は免除されます。ようやく機運に恵まれた思いでした。ところが、次の年の試験では、2次試験で落ちてしまったんです。

今度こそと思っていたタイミングだったので、合格発表の日はどん底まで落ちた気持ちでしたね…。ただ、そこで落ち込みすぎないのが私の性分で、そんな気持ちを立て直すためにも、落ちたその日には「私立高校の採用を見つけてその学校に行こう」と決め、インターネットで採用募集を出しているところ調べ始めていました(笑)

-落ち込んだ気持ちをすぐに前向きなエネルギーに変えているのがすごいです…!最終的に益田東高校を選んだのにはどんな理由があったんですか?

いくつか候補の学校にメールをしたのですが、最終的な決め手は、益田東高校が自分のやりたいことができる環境にあったことです。「専門は理科の物理です」「吹奏楽部の指導が大好きで、今後も力を入れたいと思っています」とメールを送ったところ、すぐに教頭先生から「是非とも前向きに受験してください」と返信をいただいたので、お電話で詳しくお話をうかがいました。するとちょうど来年度に向けて物理教員を求めていたことに加え、吹奏楽部の担当者も探していたところだったと言うんです。

少し前まで、全国大会に何度も出場されたような指導力のある先生が担当されていて、引き継ぐ人材がほしかった、ということなんですね。偶然にも私がやりたかったことや専門性がぴったりとはまり、益田東高校で勤務することをすぐに決めました。

-すごいタイミングでしたね!知らない地への赴任に対して不安などはありませんでしたか? 

大学進学で九州を出ていたこともあり、初めての地に躊躇する気持ちは全くありませんでした。それにやはり教頭先生の熱量に背中を押された部分が大きくて。「こう言っていただけるなら、勤めたい!」という気持ちになりました。

-実際に益田東高校でお勤めになっていかがでしたか?

それまで勤めていた大分の公立高校とは違う面も多くあり、最初は驚いたり戸惑ったりすることもありました。全国各地から多様な生徒が集まっていたり、寮での宿直業務があったり。これは私立ならではかもしれませんが、運転手さんがお休みのときにはスクールバスの運転もするんですよ。でも、慣れるとそれも仕事の面白さにつながってきました。

-岸先生がスクールバスを運転することもあるんですか!それはたしかに、なかなかないかもしれませんね。  

楽しそうな部活の秘訣は、相手を尊重する姿勢

-ここからは吹奏楽についてのお話をうかがいたいと思います。まずは、益田東高校吹奏楽部に出会ったときの思い出について聞かせていただけますか?

最初に感じたのは「すごくいい音を出すな」ということです。外部講師の方もしっかり教え込んでくださっていたので、部員たちはみんな楽器の扱いが上手なんです。ただ、当時は部員が減少していて、3学年あわせて15人。そのうち10人が3年生ですから、引退後はどうしていこうと、ずいぶん悩みましたね。

-苦しい時期もあったんですね。その後、部員数はどのような推移をたどったのでしょうか?

私が着任して4年になりますが、ここ2年で部員が一気に増え、今年は30人でコンクールに出られるほどになりました。1年目が15人、2年目は7人。少人数でなんとかつないで迎えた3年目、なんと12人も入部してくれて一気に2倍以上の規模になったんです。

そして今年はついに30人。この調子で来年は40人くらいまでいきたいなと思っています。田舎の小さな高校なのに、部員が増えて、しかも過去最高値の更新に手が届きそうなところまで来ている。部員が減って当たり前の時代に、奇跡的なことだと感じますね。

-すごいですね!そこまでの盛り上がりを見せてきている理由や背景はどのようなことにあると思われますか?

そうですね、私が特段何かをしたわけではないのですが、部員たちに聞いてみると口を揃えて「楽しそうだから入部しました」と言うんですよ。一時は部員4人で活動をしていたこともありましたが、そのときに中学生として見学に来た子たちも「先輩方がとても明るくて優しかった」「ここに来たら、のびのびできそうだと思った」と口にしていました。その代の子たちが大勢入部してくれて、今につながっています。

-部活動の雰囲気が人を引き寄せたんですね。

吹奏楽部にも色々なスタイルがあって、一人一人の主張が強くそれが迫力につながっているという学校もあれば、それぞれの音が滑らかに溶け込んだ音色を奏でる学校もあります。私は、「溶け込んだ音」のとても好きなので、周りとしっかり合わせようと意識することを重視しています。それを部員たちも感じ取ってくれているように思うんですよ。

音を溶け込ませようと意識すると、一緒に演奏する相手の存在を自然と意識するようになります。相手がいないことには溶け合った演奏なんて成立しないわけですから。だから、部員たちの間には、互いを大切にし合うような気持ちが芽生えてくるのかな、と感じますね。

もちろん人間同士ですから時に揉めたりもしますが、いざ演奏に向かい合おうというとき、先輩や後輩、同級生の存在が必要だということにはみんな気づいている。お互いを尊重できていることが、今のチームの強みだと感じますね。

-調和のとれた演奏をしようという先生の熱意が、生徒同士の結びつきをも強めているように感じました。岸先生は、高校生への指導だけでなく、市民吹奏楽団や「100人の吹奏楽」の指導など、多岐にわたる活動をされているとのことですが、こうした活動はどのようにして始まったのでしょうか?

それまでも社会人の吹奏楽団で活動していたので、益田でも続けたいと考えていたんです。それで調べたところ市民吹奏楽団があると知り、すぐに入ることにしました。最初は奏者として参加していましたが、専門の指揮者がいないということで頼まれ、今は全体指導に当たる立場として関わっています。

「100人の吹奏楽」との出会いは学校でした。「100人の吹奏楽」は、例年グラントワで開催されている、益田市の吹奏楽愛好者によるコンサートです。本校で音楽の非常勤講師をされていた方のお母さんが実行委員だったご縁で、指導に来てほしいという話が舞い込んだんです。偶然にもその年は、グラントワが改修工事をしていて、大ホールが使えず、東高校のの体育館で開催することになっていました。そんな流れで関わるようになり、今に至るまで毎年、舞台に立っています。
-東高にいらっしゃった経緯といい、「100人の吹奏楽」との出会いといい、タイミングの良さに、岸先生が益田に呼ばれていたかのようですね。吹奏楽をこよなく愛する岸先生をお迎えし、地域の吹奏楽にかかわる皆さんも一層活気づいたのではないでしょうか。

 

 

かけがえのない人生を力強く歩むために

-益田という町についても、お話を伺いたいと思います。最初にいらっしゃったときは、益田にどのような印象を抱かれましたか?

まず思ったのは、全国展開されているチェーン店が少ないということです。最初は生活用品を揃えるためにも知ったお店を探そうとしましたが、それがほとんど見当たらない。驚きました。

ただ、しばらく益田で過ごすうちに、なくても不便がなく、生活が成り立つことに気づいたんです。ローカルなお店がとっても便利で、生活用品も不足無く揃うし、美味しい飲食店も多いですから。

-たしかに県外から来られた方は驚かれるかもしれません。次に、益田の魅力だと感じている点について教えていただけますか?

益田で生活をするうちに実感したのが、経済面にゆとりが生まれたということです。収入の面で大きな変化があったわけではないのですが、益田では移動にお金がかからなくて、食べ物も安いから自然と余裕が生まれるように思います。九州にいた頃は車で移動する際は高速代がかなりかかっていましたが、ここで暮らしているとそれがほとんどない。私はキヌヤの地産地消コーナーが本当に大好きなのですが、おいしい野菜があんなにも安く買えるのはすごいことです。これは大きな魅力ですね。益田で庭付きの一軒家も買いました。今は家庭菜園での野菜作りを楽しんでいます。

-益田暮らしを満喫していらっしゃる様子が伝わってきました。最後に、生徒さんを含め、益田の10代の子たちに伝えたいメッセージがあればお願いします!

「自分の人生を、真剣に生き抜いてほしい」「最期の時に、かけがえのない人生だったと振り返れるような生き方をしてほしい」ということでしょうか。

先日、親戚の葬儀に出席し、親族で故人を偲びました。90代の方です。昔の話を紐解いていると、激動の時代を90年以上も生きてこられたということに心を打たれるんですよね。戦争が起き、終戦を迎え、景気も大きく変動して……。故人を見送るときに、かけがえのない人生がそこにあったんだと思えば思うほど、自分も力強く生きていきたいという気持ちが強まりました。なんとなく日々を過ごすのではなく、真剣に生きたい。目の前の生徒たちにも実感をもって「自分の人生を真剣に生きよう」と伝えたいと思っています。

-貴重なお話、ありがとうございました!

文責:益田市連携のまちづくり推進課
文章:一般社団法人豊かな暮らしラボラトリー

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