UIターン者のライフキャリアシリーズでは、県外からUIターンされ益田市でいきいきと生活されている方を紹介し、自分なりの豊かな暮らしについて考える機会をお届けします。今回紹介するのは、益田市地域おこし協力隊の柴田健治さんです。
益田は中世日本の名残をストーリーとして感じさせる地として、2020年にその町並みが日本遺産として登録されました。柴田さんは2022年に益田市に地域おこし協力隊としてUターンされ、以来、日本遺産のPRや、柴犬発祥の地としての益田ならではの企画を数多く立案・運営されています。
「自分の道」を探し続けて、様々なキャリアへ
-本日はよろしくお願いします!最初に、これまでのご経歴を教えていただけますか。
柴田健治です。幼少期から高校卒業まで益田で育ち、その後しばらく県外で生活した後、2022年に地域おこし協力隊としてUターンして今に至ります。
-益田のご出身なんですね!幼少期の益田の思い出について教えていただけますか?
悩みが多いタイプでしたね。人間関係のことや恋愛のことで、ずっと悩んでいる、そんな子ども時代でした。
-幼少期から歴史はお好きだったんですか?
小学生の頃は、歴史好きな子どもだったと思います。初めて買った小説は『毛利元就』でした。兄の影響で『三国志』にもハマりました。
-初めて買った小説が『毛利元就』というのに驚きました。『三国志』を読もうというのも、すごいですよね。
『三国志』の方は、たまたま家に漫画があったんですよ。全60巻。兄が楽しそうに読んでいるのが気になって、自分も読んでみたら面白かった。小学校4年生ぐらいのときです。自由研究も三国志の武将を200名ぐらいひたすら書いて提出しました。
-益田の歴史にも当時から関心はあったんですか?
触れる機会はあったけれど、深入りはしなかった、という感じでしょうか。『毛利元就』の小説中に益田氏がちょっと登場するんですよ。益田氏はその名の通り、中世に益田一帯を治め、現在の益田の基盤を築いた一族ですね。それを読んだ小学生の頃は、「益田の人が出てるな」という感想を抱くくらいでしたね。中高生になってからは、他にも気になることや夢中になることができたりして、歴史からはしばらく遠ざかっていたように思います。いま、歴史を中心とした益田の文化資源をPRする仕事に就いていますが、今あらためて益田の歴史の面白さを再発見しているような感覚です。
-学生時代に思い描いていた将来像ってどんな感じでしたか?
将来の夢はコロコロ変わりましたね。両親が教員だったので、小学生の頃の夢は教師でしたが、中学生になってからは漫画の影響を受けて競馬の騎手になりたいと思い、乗馬クラブに通うようになりました。
将来のことについて深く悩むようになったのは高校時代です。実は高校2年生の時に留年しているのですが、同級生だった子たちが卒業するのを見送る中で、自分はどう生きていこうかと考え続けました。
-高校を卒業されてからはどのような道を歩まれたんですか?
まずは広島にある旅行関係の専門学校に進学しました。当時はとにかく一刻も早く益田を出たい、ここじゃないところに行きたい、その一心でしたね。それで旅行について学んでみよう、旅行を仕事にしてみよう、となったんです。専門学校に2年間通い、卒業後は浜田にある旅行会社に就職しました。入社前後はワクワクしていたんですが、何かが違うように感じて半年でやめてしまったんです。
心から決めた道をブレずに歩みたいと思っているのに、その道がどれなのか分からなくて、悩みながらいろいろなことをやってきました。音楽に興味をもっていたこともあり、旅行会社をやめてからは広島に戻ってライブハウスで働き始めたんです。22歳くらいでしたね。
-旅行会社にライブハウス!本当に様々な体験をされてきた上で今があるんですね!
実はこれ、まだ序章なんですよ(笑)しばらくは広島のライブハウスで働いて、Tシャツ屋さんの仕事も掛け持ちしながら生活していましたが、あるときライブハウスの仲間たちと盛り上がって、「上京しようぜ」「おー、いいねいいね、おもろそうじゃん」なんていうノリで、みんなで東京に行ったんですよ(笑)それを機に、今度は東京を拠点に生活するようになりました。
-フットワークの軽さに驚きです!東京でも音楽関係のお仕事をされていたんですか?
最初の頃は一瞬バンド活動もしていたんですけど、ステージに立ってみると人前に立つのが苦手ということに気づきまして、すぐにロックンローラーの道は諦めました(笑)まそれからは東京でふらふらふらふらしていました。ふらふらしているだけで、東京はとても楽しかったです。
次に転機が訪れたのは25歳ぐらいの時でした。たまたま雑誌でボートレーサー募集という記事を見てビビッときたんです。私は細身な方で身長も170㎝くらい。ボートレーサーの世界ではちょうど私くらいの体格が一番活躍できると知りました。器用さにはちょっと自信があり、ここならもしかしたら自分の持ち味を活かした活躍ができるかもしれないと思って、30歳になる年までずっとボートレーサーの試験を受け続けました。
-ボートレーサーになるための試験があるんですか!?
日本で唯一のボートレーサー養成機関が福岡にあって、そこに入所するための試験があるんです。学科試験や体力試験、適正検査など、三次試験まであります。受験の年齢条件が30歳までなので、その年まで受験を重ねて最終面接までは進んだのですが、やはり狭き門で……。諦めようとなったタイミングで、ライブハウス勤めで知り合った先輩がラーメン屋を開くという話を聞いたので、手伝うことにしました。それから5年間はラーメン屋の店長だったんです。
–想像を遙かに超えるほどさまざまな経験をされていらっしゃって、本当に驚きました!
「益田で活動したらおもしろくなる」確信してUターンを決意
-ということは、けっこう最近までラーメン屋さんで店長をされていたんですね。
そうそう、ついこの前までラーメン屋で馬車馬のごとく働いてました(笑)ただ、そこにコロナ禍で……、次の生き方を考えるようになったんです。
-コロナを機に益田市にもどられたんですか?
そうですね。2020年4月に緊急事態宣言が出て、ラーメン屋は休業や時短営業を余儀なくされました。それまでは週に1日しか休みがないぐらい働いていたのに、急に働けない状況に陥って、立ち止まりこれからのことを色々考え始めるようになりました。
店を開けられない分、時間だけはたっぷりあったので、歴史の本を読んだりもするようになって、それで、益田の歴史っておもしろいな、と、幼少期の歴史熱が再燃したんです。そのとき、益田親施(ちかのぶ)という人の辞世の句に出会い感動して「益田のために生きたい」という思いが少しずつ強まったんです。
-益田氏の辞世の句に後押しされた柴田さんが、今、中世益田氏のPRをはじめとするお仕事についていらっしゃるというのには、不思議な縁が感じられますね。ちなみにその辞世の句って、どのような句だったんでしょうか?
「消えゆけば 草葉の陰に 思うべし 君の御国の 果てはいかにと」という句です。
これを詠んだ益田親施という人は、江戸時代末期の益田家の当主で、長州藩の家老でもあったんです。ここ益田も戦場になった長州征伐の1回目の時、長州藩主に代わって自刃せよと幕府軍に迫られるんですよね。つまりは長州藩のお殿様のために、身代わりになって切腹したんです。この句は「私はこれから切腹しますが、お殿様やこの国の行く末はどうなっていくのでしょうか。陰からずっと見守っています。」という意味です。この句に触れたとき、その内容にも、そこに至るまでのストーリーにも心を動かされました。
ちょうどその頃、2020年6月に、この益田の町が日本遺産に登録されたんです。まさに生まれ育った三宅御土居や萬福寺や七尾城、その地元に残っている歴史ストーリーが日本遺産になったということが本当に嬉しかったことを覚えています。そういったことが重なって、自分の役割はもしかしたら益田にあるのかもしれない、益田のために身体を使った方が自分の価値も発揮できるのかもしれないと思うようになりました。それで、益田に帰ることを意識するようになったんです。
-いろいろな出来事が重なって、Uターンの決意につながったんですね!最初から地域おこし協力隊として益田に帰ろうと考えていらっしゃったんですか?
益田で活動した方が今よりおもしろくなる、という確信はあったのですが、帰ろうという気持ちが先行して、仕事は特に決めていませんでしたね。ただ、地域おこし協力隊の制度は知っていたし、益田の日本遺産に関わりたいという気持ちもあって。
たまたまいいタイミングで、益田市の日本遺産PR事業において、地域おこし協力隊員が募集されるという報せが舞い込みました。まさに私が求めていた役目が益田に生まれたので、ここで挑戦することに決めました。
“シバケン”が“柴犬”でPR!益田に見つけたやるべき道
-地域おこし協力隊になってからの活動について、詳しく教えてください!
主たる活動は益田の日本遺産についてPRすることです。そして、個人的には益田を柴犬の町にしたいという思いがあるので、歴史と柴犬の二本柱で活動をしている感じですね。
-柴田さんは、益田が柴犬の発祥の地であることに着目して、これまで多くの企画をされたそうですね。
東京にいた頃、「益田が柴犬の発祥地」という新聞記事をたまたま読んだんです。益田の中でも知られていなかったので、本当にびっくりしたんですよ。
「益田に帰って自分に何ができるんだろう」と考えるなかで、「そういえば柴犬の発祥地だったじゃないか」とひらめいて、ちょうど私の名前が「柴田健治」で、略すと「シバケン」。これはもう、私がやるしかないと思ったんです。歴史が好きで、名前もシバケンで、益田に帰ってやるべき道が見えたというか、呼ばれたような気がしたんですよね!
-ご本人も運命的なものを感じていらっしゃったんですね!
印象に残るし、何かおもしろいじゃないですか!「『シバケン』が柴犬の活動してる」って。いや、他の人にとっておもしろいかおもしろくないかという以上に、自分が「おもろいじゃん」って思っちゃったんですよね(笑)今の自分にとっては、そのおもしろがれていることが、益田でいろいろな活動をする上での大きな原動力になっています。
-おもしろいです、1回聞いたら忘れない組み合わせ。これまで柴田さんが手がけてこられた柴犬企画には、どのようなものがあるんですか?
最近だと「甲冑柴犬と目指す!七尾城山頂ツアー」という企画をしましたね。その名の通り、甲冑風のドッグウェアを着た柴犬と一緒に七尾城の本丸を目指す企画です。参加された方の中には、柴犬が好きだからという理由で応募した方もいらっしゃいました。歴史好き、お城好きの方に楽しんでいただくのはもちろんですが、このように柴犬を掛け合わせた企画をすることで、柴犬好きの方が益田の歴史や七尾城に興味をもっていただくきっかけとなればいいと思っているんです。
-益田での地域おこし協力隊での活動が、柴田さんにここまでしっくりはまったのはどうしてだったんでしょうか?
私は35年間ずっと、自分の生き方について悩んでいました。モラトリアムというか、ずっと人生を保留してきたようなイメージを自分では抱いていました。目標を決めてしまえば突き進めるんだけど、それが決められなくて、「何がいいんだろう」と思い悩み続けてきました。
でもやっと、「これだ」っていうものが見つかった。だからもう振り向くこともないし、決めたものに突き進むことができる。これからは進むだけなんだ、やるしかないんだ、という思いを明確にできたので、この活動を全力で楽しめるんでしょうね。
視点が変わると世界が変わる。大人になって見つけた益田の良さ。
-活動をされる中で、益田というまちを、どのように捉えていらっしゃるんですか?
益田って、一皮剥くといろいろな良さが見えてくる、そんな町だと思っているんです。表層だけ見ていると気づけない良さが随所にあって、私自身、そうした良さは子ども時代には全然わからなかったんです。
たとえば……ちょっと益田の歴史豆知識をお話しすると、天心の上の方に山があるじゃないですか。あそこはもともとお城だったんです。
-そうなんですか!
そうなんです。あとは、七尾城の入り口のこと。今は住吉神社の階段が七尾城の入口とされているけれど、昔はそうじゃなくて、益田川沿いの染羽のあたりだったんですよ。東高から川沿いに行くと曲がったあたりに広場があるんだけど、その川向こうが昔の入り口で。
-へぇー!
そんな風に、「へぇー!」て言ってもらえるのが嬉しいんですよね。益田の人も知らないような歴史の小ネタがいろいろなところに散らばっているのが、この町なんです。知らなかった何かを知ると、それを機に、町の見方が変わってくる。昨日までただの山だと思っていたところが、今日からは「山城」として捉えられるようになる。高校生のときはおもしろくない町だと思っていたけれど、今はおもしろい町になる。視点が変わって多面的に捉えられるようになると、魅力が一層増してくるんですよね。
-素敵な考え方ですね。益田で育っている子どもたちにも、ぜひ聞いてもらいたいです。
ありがとうございます。こういうことって人生にも通じると思うんですけど、同じ一つの事象であっても、見る角度によって、見え方は大きく変わるし、多面的に見るとすごくおもしろくなることってたくさんありますよね。歴史を通じて、次の世代にそういうことを伝えていけたらと思っているんです。
歴史を介して過去と未来の橋渡しをしたい
-柴田さんがこれから挑戦してみたいことはどんなことですか?
もっともっと、益田を歴史と柴犬の町にしていきたいですね。山城サミットでは、柴犬行列という企画を打ち立てました。歴史×柴犬なんて、他では見られないので、この特徴を全面的に打ち出していきたいなと。ゆくゆくは、柴犬を益田のお殿様的存在にする、というのが私の野望です。
注)全国山城サミット
全国の山城がある市町村等が情報交換を通して親睦と交流を深め、山城の保存方法や観光資源としての山城を活かした地域の活性化を図り、潤いのある豊かなまちづくりを進めていくことを目的に設立。2024年11月16日、17日の両日に、益田市で開催された。
-柴犬が?益田の?お殿様に!?
中世まで交易の町として潤っていたのがここ、益田の地でした。関ヶ原の合戦までは毛利元就で知られる毛利家の傘下として益田家の所領だったんです。ところが、関ヶ原の合戦で毛利は徳川に敗北し、山口一国に押し込められてしまいます。実はこのとき益田氏は徳川家康からヘッドハントされて徳川家の大名として益田の地を守って欲しいというオファーを貰っていたようなんですが、毛利家に恩義を感じていたためか、徳川家康の誘いを断り山口について行ききました。以後、江戸時代からこの益田は、「城主不在の地」になったわけなんです。
そうしたことから中世のものが近世の文化に上書きされることが少なく、日本遺産に認定されるに至ったという面もあるのですが、その反面、やはりお殿様がいないとなると、どうしても経済や文化の面でスピード感や活力は低下してしまうんですよね。
私はこの益田の地にはお殿様の代わりが必要だと感じていて、世界中で人気の柴犬こそ、そのお殿様の代わりになる存在なんじゃないかって、本気で思っているんです。
-たしかに、柴田さんが柴犬を益田のシンボルに位置づけて様々な企画をされたことで、経済効果や人の流れが生まれています。なにより、かわいい柴犬が市内でたくさん見られるようになって、その姿に自然と笑顔がこぼれます。柴犬は、益田を一層元気にしてくれる鍵となる存在なのかもしれませんね。
歴史って、過去のものだと思われがちだけど、それは今につながっているし、さらにその先には未来がある。過去の歴史と未来をつないでいこうと、そんな思いで活動をしているところです。
-貴重なお話、ありがとうございました!
文責:益田市連携のまちづくり推進課
文章:一般社団法人豊かな暮らしラボラトリー