恩師のライフキャリアシリーズでは、益田市でいきいきと生活されている教員の方を紹介し、自分なりの豊かな暮らしについて考える機会をお届けします。今回紹介するのは、島根県立益田養護学校の三宅康将(みやけ・やすまさ)先生です。
島根県立益田養護学校は、小学部・中学部・高等部を設置している特別支援学校です。2000年に、益田圏域の保護者の方々の強い願いと祈りと運動のもと生まれた学校で、「地域とともに、自立と社会参加を目指し、児童生徒を育成する学校」「地域の特別支援教育を推進していく学校」スクールミッションとしています。学校の詳細は、こちらからご覧ください。
恩師に出会い、教員になろうと決めた高校時代

–本日はよろしくお願いします!最初に、自己紹介とこれまでのご経歴を教えていただけますか?
三宅康将です。益田養護学校に勤めています。島根県邑南町の出身で、小中高と邑南町で過ごし、島根大学の教育学部に進学しました。卒業後は特別支援教員として採用され、島根県内の様々な学校で勤務してきました。
–邑南町のご出身なんですね!幼少期はどのような子どもだったんですか?
邑南町は自然が多くある場所で、小学校までは毎日3キロの道のりを歩いて通っていました。学級委員長や児童会長といった立場を務めることが多い子でしたね。注目を浴びることが好きだったのもありますし、両親が教員でしたから、「ちゃんとしないと」という意識もはたらいていたように思います。
ただ、真面目一辺倒というわけではなくて、ちょっぴりやんちゃな一面もあったと思います。友だちと秘密基地を作ってみたり、色々な通学路を試してちょっとした冒険をしてみたり、自分が楽しいと思えることをいつも探していましたね(笑)
–自然豊かな環境のなかで、楽しいことを自分で作り出していたんですね。
そうですね。その環境が自分にとって当たり前だったので、田舎だと感じることもなく、そこにあるものでどんな面白いことをしようかということばかり考えて、わくわくしていました。
–学校の先生になりたいと考えるようになったのはいつごろからですか?
具体的な進路として考えだしたのは高校時代です。その時に出会った先生の姿が大きく影響していたと思います。私にとって、まさに「恩師」と言える先生との出会いでした。この先生の存在があったから、もっと勉強しようと思えたし、学校の先生という仕事が、可能性に満ちたとても素敵なものに思えたんです。
–どんな先生だったのか、ぜひ聞かせてください!
一見すると強面で厳しく、普段はほとんど笑顔を見せないような方でしたが、実はいろいろなところに温かみを感じる方で、生徒のことをよく見てくれる先生でした。授業もとても面白い。それで勉強が楽しくなってきて、本気で打ち込めるものを見つけたような思いがしました。
高校3年生になった年、その先生が担任になって、勉強を頑張ろうという思いに拍車がかかり、それまで以上に一生懸命勉強していたんです。するとある時、突然ホームルームで「すごく頑張っているやつがいる」と、自分のことをみんなの前で褒めてくれて。成績も少しずつ伸びていた時期だったのですが、「こうやってコツコツ頑張れば、ちゃんと結果が出るんだ」と言ってくれました。そうやって努力の過程を見てくれているのが本当に励みになりましたね。
もちろん日々の勉強は自分のためにするものですが、「この先生に喜んでもらいたい」という気持ちもありました。「おお、頑張ったな」って言ってもらえるのがすごく嬉しいから頑張っているという部分も大きかったです。
–その先生との出会いが、三宅先生を教師の道に導いたんですね!
本当に、自分の中に訴えかけてくるものを感じる先生だったんです。こういう感覚を他の人にもぜひ届けたいというのが、教員を志した時の率直な思いでした。その恩師は高校の先生でしたが、こんな先生ともっと早く出会いたかったということもあり、小学校の先生を目指すことにしました。それで、島根大学の教育学部に進学したんです。
親友との出会い直しにつながった特別支援教育

–ここからは大学生活について聞かせてください。実際に大学生活を送ってみていかがでしたか?
いろいろな気づきがありました。なかでも自分の人生に大きく影響したのは、特別支援教育との出会いです。最初は小学校の教員免許を取るために学ぶ分野の一つとして講義を聞いていたにすぎなかったのですが、いつしか自分にとって学びたい領域になっていき、特別支援の道に進もうと思うようになりました。
というのも、実は私には聴覚障がいのある親友がいたんです。ただ、幼少期からの付き合いだったので、私はあまり特別に意識したことがなくて。中学を卒業後、その子がろう学校に進学した時にも、私は「お互いに行きたい学校に進学した結果、別々の進路になった」と認識していたくらいだったので。
でも、大学で特別支援教育を学び始めて、「あれ?そういえば……」と気づき、初めて彼のおかれていた状況を理解できました。思い返すと、中学校生活の中で、周囲からからかうような言葉をかけられる場面もあって。学べば学ぶほど、彼にはきっと普段の生活の中で困っていたことがあったのではないかと思い当たることが増え、「もっとこういうことを理解していれば…」と思うこともありました。
–三宅先生が特別支援教育の道に進まれたのは、そういうことがあったからだったんですね。
そうですね。私にとって大学生活の中心には、特別支援教育と、親友の彼との出会い直しがあったように思います。その親友には、大学時代にもいろいろな話を聞かせてもらいました。そうする中で、「彼との関わりをちゃんと見つめ直したい」という思いが募り、卒業論文も彼の人生について取材しながら書き上げたんです。これまで自分がしてきた一つ一つの関わりが、実際のところ彼にとってどうだったか、きちんと捉えたかったんです。
–ご友人も、自分自身のことを深く考えてくれている三宅先生の姿が嬉しかったのではないでしょうか。
そう思ってくれていると嬉しいですね。大学生活も終わりが見えるようになったころ、卒業後のことについて話したことがあったのですが、「お前は絶対に先生になった方がいい、俺が保証する」と後押ししてくれました。その言葉は、本当に嬉しかったし、この世界で頑張ろうという思いが強まりました。
–素敵なエピソードをありがとうございます。先生として特別支援教育に関わるようになってからのことで、特に印象的だった出来事はありますか?
いろいろな先輩教員に育てていただいた日々でしたが、なかでも1番思い出に残っているのは、歴史の授業の一環として学校に竪穴式住居を作ったことですね(笑)
–竪穴式住居!?ぜひ、詳しく教えてください。
まだ教員になって駆け出しのころです。目の前の生徒たちが体験を通して歴史を身近にとらえられたらいいなと思って、先輩教員に相談したところ「協力するからなんでもやってみるといいよ」と言ってもらえたので、古代の衣装や食事を実際に作ってみることにしました。
授業を考えていく中で、もっと面白くしたいと思うようになり、いっそ作った服を着て住むような家を作ろうとひらめいたんです。それで、その先生にまた相談したら、「やってみよう」と応援してくれて。生徒たちたちやほかの先生方、そして保護者さんで協力して、校庭の片隅に竪穴式住居を建てることができました。
それを作るまでの過程が本当に楽しくて、自分にとって特別支援教育の面白さと可能性を感じる原体験となりました。目の前の子どもたちを見つめながら、ゼロベースで授業を考えることができる。自分の個性を打ち出しながら唯一無二の授業を作ることができる。その時のわくわく感と気づきが、今の教員生活にも生きていると感じています。
–楽しそうですね…!生徒さんたちにとっても忘れられない思い出になったことと思います。
地域連携を通して「人と関わる心地よさ」を感じてほしい

–続いて、地域との連携についてお話を聞かせてください。現在、益田養護学校における地域連携の窓口役を担っていらっしゃる三宅先生ですが、こうした取り組みは、どのような思いや経緯から始まったのでしょうか?
もともとは私も、授業の中で地域とつながることしかできていませんでした。でも、あるとき新しく来られた校長先生が「地域連携セクション」が立ち上げられて、私にも声をかけてくださいました。私としても仕事を続ける中で「もっと地域に関わってみたい」という気持ちが芽生えていたので、「ぜひやらせてください」とお願いしてスタートしました。
–実際に地域と深く関わるようになって、いかがでしたか?
「面白い」の一言に尽きます。これまでの教員生活では出会えなかったような人や、関わりがそこまで深くなかった人と頻繁に会うようになりました。学校の窓口として繋がることで、他の先生や子どもたちなど、学校全体のことを知ってもらえたり、関わりたいという気持ちを持ってもらえるのが嬉しいんです。
そして、地域の人に関わってもらえると、先生や子どもたちにもその気持ちが伝わっていき、もっと知りたいと思う。この「幸せの連鎖」を感じられるのが、やりがいにつながりました。地域との連携が充実すれば、授業でできることの幅も、子どもたちの可能性も広がると実感しましたね。
–地域との連携が「幸せの連鎖」をもたらしたんですね!地域連携の授業は、最初、どのようにスタートしたのでしょうか?
最初のうちは公民館とのつながりの中で実現したものが多かったです。これまでも公民館活動との連携というものはあったのですが、セクションが立ち上がり、より深く連携を図ろうとしたことで、子どもたちの成長過程や教育活動の全体像を意識してつながり直すことができたように思います。
また、担当として全体を俯瞰してみると、それぞれの学部、小・中・高でさまざまな動きがあって、様々な方々が学校と関わってくださっていることが分かったんです。「この方は小・中・高すべてに関わってくれているんだ」と気づいたとき、地域のありがたさ、人とのつながりのありがたさをあらためて感じました。
–地域連携を進める中で感じたことや、これから取り組んでみたいことについて聞かせてください。
目の前の子どもたちにとって、安心感がもたらされて生き生きと活動できるような地域連携のバランスを考えていきたいと思うようになりました。
私は、子ども時代からいろいろな人と接して、「人と関わることって心地いいな」と感じる経験を積み重ねることが、子どもたちの幸せにつながると私は考えています。ですが、養護学校に通う子どもたちの中には、人混みや集団に対して不安を抱えている子も多いので、少しずつ、ゆっくりと関係性を築いていく必要があるんです。
地域との関係性を耕し続ける一方で、より一層「子どもたちにとってどうなのか?」という視点も大切にしながら、連携をとっていきたいと思っています。これからは、子ども一人ひとりに合った地域との関わり方を、もっと丁寧に考えていきたいですね。
地域連携セクションには10年構想があって、今はその4〜5年目にあたります。これからの数年で、本当に子どもたちの未来につながるような、しっかりとした足場を作りたいと考えています。
–子どもたち一人一人にとっての心地よさや安心感、その子らしいペースを大切にしたいという三宅先生の思いが伝わってきました。
最後に、生徒さんを含め、益田の子どもたちに伝えたいメッセージがあればお願いします!
人生一度しかないので、やりたいことを行動に移してほしいです。今しかできないことをする、今できなくても絶対にどこかでする。これは、私が自分自身に対しても日々言い聞かせていることでもあります。自分のやりたいことをやるということが、幸せにつながっていると思うんです。
–貴重なお話、ありがとうございました!

文責:益田市連携のまちづくり推進課
文章:一般社団法人豊かな暮らしラボラトリー