2020年1月17日 (金)

益田20地区,豊川地域づくり仕事

地元企業50社が協賛! 島根県益田市で「ねぶくろシネマ」の開催を実現した市川恵さんが「益田なら、Iターンでもやりたいことが実現できる」と示せた価値

勤務地の小学校で、映画上映会をやりたい。

そんな小さな思いから、「グリーンズの学校・映画館長クラス」を受講したのが、島根県益田市で社会教育コーディネーターとして働く市川恵さん。ところが、それをきっかけに事態は思わぬ方向に。やがてまちじゅうを巻き込んだ一大イベントへと発展していきます。今回は、そんな市川さんのマイプロジェクトの物語をご紹介したいと思います。

小学校を地域コミュニティの拠点にしていく

地域の人たちとリノベーションした豊川小の交流スペース

そもそも、市川さんの仕事「社会教育コーディネーター」っていったい何をする仕事なのでしょう?

「小学校を地域コミュニティの拠点にしていく」というのが、私の仕事です。勤務地は小学校で、職員室にも机を置いていただいています。 たとえば、空き教室を活用した「地域交流スペース」の運営や、授業を一緒につくっていくお手伝いもしていますね。生活科や総合的な学習の時間のように地域と関わる授業で「まちたんけん」のサポートをしたり、その土地ならではのものをつくっている人に話を聞きに行くときに、私がつないだりもしています。

※交流スペースの改装に関わった中高生たち(とよかわっしょい!!)の記事は、こちら

※豊川地区の自治組織(とよかわの未来をつくる会)のHPは、こちら

市川さんの普段の活動の様子。こちらは豊川小のオープンスペース。益田市では、地域住民が小学校に関わりやすいよう、空き教室を上手に活用しています 。

通常、こうした仕事は地域おこし協力隊や集落支援員の制度を使う自治体が多いそう。けれども益田市では、きちんと予算を確保するとともに、より自由に動きやすいようにと、社会教育コーディネーターという独自の制度を設けています。

地域交流スペースは、地域の人たちみんなで空き教室をリノベーションしてつくりました。ほかにも家庭科室とオープンスペースなど、校舎の西側にあたる一帯をいろいろと変えて、地域の人が入ってきやすい場づくりをしています。

お互いを認め合って共生できるコミュニティをつくりたい

大学生時代にお世話になった「株式会社巡の環(現・株式会社風と土と)」の阿部裕志さんと、海士町住民の中野さん

市川さんは、最初から社会教育コーディネーターになろうと思っていたわけではありません。中学受験をして、地元ではない都心の学校に進学したことから、まず「教育」に関心をもつようになりました。

地元は東京の江戸川区というところです。江戸川は下町文化が残るエリアで、友だちも金髪だったりルーズソックスを履いていたり、ちょっと目立ってやんちゃな子が多かったんです。でも中学に進学したら、偏差値で人を判断する価値基準があって、それがカルチャーショックでした。

一方で中学の友だちは友だちで、受験勉強などのプレッシャーの強い環境にさらされて、精神的にダメージを負っている子がたくさんいました。市川さんは、それぞれの環境を見ていて「もっとひとりひとりの話を聞きたい」「もっとひとりひとりを理解したい」と思うようになりました。

大学では、自由教育(個性を尊重し、自由に才能が伸びるよう、児童の自発的な活動を重んじる教育)やサドベリースクールに関心を持ち、研究しました。島根県との縁ができたのもこのときです。

高校魅力化プロジェクトの取り組みが始まって話題となっていた島根県の離島のまち、海士町にフィールドワークの授業で足を運んだのです。まちぐるみで子どもたちを見守る大人たち、いきいきと学校に通う子どもたちを見ているうちに、市川さんは、いわゆる学校教育だけでなく、地域コミュニティをベースにした教育に関心を持つようになります。

サドベリースクールは、偏差値でお互いを判断するのではなく、お互いの得意なことや好きなことを認め合って、ルールも自分たちでつくっていくという学校です。自分たちはひとつのコミュニティであり、ファミリーなんだと言っているんですね。

私は、偏差値で人が分断される社会構造ではなく、サドベリーのようにお互いを認め合って共生できるコミュニティをつくっていけないだろうかと思いました。

海士町でお世話になった中野夫妻と

さらに興味をもって調べていくと、サドベリースクールは、アメリカ北東部のニューイングランドという地方で行なわれている、タウンミーティング(地方自治の最小単位である「タウン」の全住民による総会。タウンに関する立法が住民の直接参加で決定される)をモデルにつくられた学校だということがわかりました。

タウンミーティングがモデルならば、それは日本にも、もともとあった文化なんじゃないか。日本には、町内会や自治会のほか、非行少年に地域の大人として関わる保護司の制度みたいに、日本特有の制度があります。これは、日本における地域の文化があったからこそできたことなんじゃないかと思って。

だったら外からサドベリーのような教育を輸入するより、古来の地域コミュニティの文化を再生したり、育んでいけるようなことに携わりたいと思うようになりました。

地域文化が今も根付く、海士町住民総出の宇受賀命神社のしめ縄づくり

映画上映会に関心をもち、映画館長クラスを受講

その後、カフェを通じてコミュニティ型社会をつくっていくことをコンセプトに掲げる企業に就職しますが、やがて「やっぱり教育を通じてコミュニティをつくっていきたい」と思うようになりました。 そんなとき、都内で行われていた島根県内の自治体による教育系の求人イベント「しまねの教育ナイト」に参加します。そこで再会したのが、海士町で出会い、市川さんが修士論文でインタビューさせてもらった岩本悠さん(島根県教育魅力化特命官。当時は島前高校魅力化コーディネーター)。市川さんが自分の状況を話すと、益田市を勧められ「1度見においでよ」と誘われました。

益田市の制度だったら、教員免許がなくても、職員室に机をいただいて小学校の子どもたちと関われるし、地域コミュニティにも関われる。すごく画期的な制度だと思いました。

そして市川さんは2016年、単身、益田市に移り住むことに。映画館長クラスを受講したのは、益田市に移住して半年後のことでした。

社会教育って範囲が広くて、わりとなんでもやらせていただけるんです。それで、校舎に映画を映し出して、校庭で子どもたちと映画が観られたらいいなと思ったのが始まりでした。 ちょうどその頃、グリーンズの学校で、映画館長クラスが開催されることを知りました。たまたま、映画館長クラスを企画した人が学生時代の友人だったという偶然もあって、個人的にお誘いを受けたんです。

映画館長クラスの様子。市川さんはオンラインで参加

映画館長クラスの講師のなかには、当時、東京で開催されて話題になっていた「ねぶくろシネマ」を主催する「合同会社パッチワークス」の薩川良弥さんの名前もありました。ねぶくろシネマをぜひやってみたい、話を聞いてみたいと思った市川さんは、島根からのオンライン参加でよければと参加することにしたのでした。

薩川さんには、小学校という場は大人にとってもノスタルジックな場だから、そこを活用することは、子どもだけじゃなく大人にとってもいいことなんじゃないかという意見をいただきました。 「現場を持ってるという意味で、市川さんは(受講生の中で)いちばん実行しやすいところにいると思う」と言ってもらい、それもあって、講座が終わったあと「やらなきゃ!」っていう気持ちになっていったんです。

ねぶくろシネマ開催に向けて協賛金を募る

ねぶくろシネマの会場設営風景

自分が在籍する小学校で「ねぶくろシネマ」を開催しようと動き始めた市川さん。しかし、いろいろ調べていくと、予算的にどうしても難しいことがわかりました。

これはさすがに地域では無理だという話になって諦めかけたんです。そのときに、ある友だちが「一緒にやろうよ」って言ってくれたんですね。 その子は結婚を機に東京から益田にきた子で、休みの日の過ごし方に困っていました。それで、なんか楽しいことを企画しようという話になったときに「ねぶくろシネマとかいいよね」って言われたんです。「え! 知ってるよ」みたいな(笑) 「じゃあ一緒にやろっか!」っていう話になったんです。

とはいえ、どうしたら実現可能なのかわかりません。そこで、お世話になっている益田市教育委員会社会教育課の課長さんに相談に行きました。

最初は、市の社会教育関連のイベントとしてできないかと相談に行ったんです。そうしたら「益田には若い人のやりたいことを応援してくれる企業が多いから、お願いにいったら絶対協賛してくれるよ」って言われました。

じつは私たちが相談に行く前に、20歳になる子が成人式に向けて立ち上げたプロジェクトがあって、それにいろいろな企業がお金を出してくださったという実績がありました。益田市の企業は若い人たちの取り組みにこんなにお金を出してくれるんだって市役所の人も驚いたみたいで。

それで「市川さんたちもやってみなよ、益田の企業だったらきっと応援してくれるから」って言われたんです。

じつは益田市は中小企業の数がとても多いまち。そこで、市全体を対象にしたイベントとし、行政には頼らず、自分たちで企業に協賛金を募る形でやろうと話が進んでいきました。

お願いに廻ったほぼすべての地元企業が協賛!

ねぶくろシネマのフライヤー

企画書をつくり、友人とふたりで企業を廻り始めた市川さん。初めてのことで、本当に協賛してくれるのかと不安もありました。しかし、約2ヶ月半かけて50社近くを廻って、なんと、会いに行ったほぼすべての企業が協賛してくれました。

私も「こんなにみんな出してくださるんだ!」と驚きました。1企業につき最大10万円までで設定していたのに、もっと出すよと言われて、いろいろな方に関わっていただきたいのでと、お断りしたことすらあります(笑)

いちばんの課題だった資金の問題は、こうして無事にクリアすることができました。益田市には、地域のため、そして若い人たちがやりたいことを応援したいという気持ちをもっている企業が、本当にたくさんあったのです。

応援してくれる人がたくさんいることを実感

資金集めと並行して、会場の準備やフライヤーの配布なども進めます。市全体を対象にしたため、会場は「島根県立万葉公園」になりました。万葉公園は一面に芝生が広がり、益田市民の間では「益田の北海道」とも言われている場所。空港が近く、周りに民家もないため、音を出しても問題ないことも決め手になりました。

こうして2017年10月8日「ねぶくろシネマ in 島根・益田」は開催されました。上映したのは、アニメ映画の『ミニオンズ』。市内の飲食店などにも出店してもらい、予想を超えるたくさんの人で賑わいました。

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益田は、映画を見るにしても県外だと山口や広島、県内でも出雲まで2、3時間かけて出なくてはいけません。いわゆる社会教育系のイベントはありますが、子ども向けにつくられていることが多いです。でもねぶくろシネマはフェスみたいな雰囲気があって、過ごし方も自由度が高いから、子どもも大人もみんなが楽しめる。

やってみて思ったのは、こういうイベントをみんなが欲していたんだなということです。いろいろな世代が一緒になって楽しめる空間が、それまであまりなかったんだと思います。

当日は、地元のIターン・Uターンの友だちにもボランティアスタッフとして入ってもらったそう。ローカルテレビでも紹介され、交流のある地域の方々も応援してくれました。

挨拶する市川さん

応援してくれる人たちがこんなにいるということが感じられる体験になったのは、すごくよかったです。じつは上映する映画を決めるとき、会場の下見で益田に来てくださった薩川さんから薦められた映画が『ミニオンズ』だったんです。薩川さんが言っていたのは、『ミニオンズ』は作中でいつも応援したいリーダーを探していて、それが益田の人々と重なったということでした。

「僕が益田に行って感動したのは“地域の人の応援の気持ち”です。 ふたりが無事、地域の企業から協賛金を集められたことにも、本当に感動しました。ミニオンズがいるから怪盗グルーも困難を乗り越えていろいろなことを達成できる。『ミニオンズ』は、応援してくれる人がたくさんいる益田の魅力を表していると思います」。そう言われて、上映する映画は『ミニオンズ』に決めたんです。

Iターンの市川さんが大きなイベントを開催することの意義

益田市は、政策的にも「ひとが育つまち 益田」にしようと取り組んでいるまちです。

多くの若者が、進学や就職のタイミングで、一度このまちを出て行っちゃうんですよね。だけど、ここで育った経験や地域との関わりが、大人になったときにその人にとっての糧となるように。また、若い世代がいつかこのまちに帰ってきたときに、経験が積めて成長できると感じてもらえるようなまちにしたいと言っていて。それを私たちは、ねぶくろシネマを開催するときのコンセプトに入れたんです。

どういうことかというと、私たちふたりが挑戦することの意義は、ふたりとも20代のIターンで益田にやってきた身だということです。益田なら、こんな私たちでもやりたいことを聞いてもらえて、それを応援してもらえて、実現することができる。それを見てもらうことがねぶくろシネマの大きな価値のひとつだと思いました。そこに共感してくださって協賛してくれた企業が多かったです。

当初考えていたものよりかなり話が大きくなって大変だったけど、そのことでお世話になっている益田市に恩返しできた部分もあるのかなと思っています。行政主導の取り組みじゃなく、なにげない私たちの会話から生まれた取り組みが実現して、しかも市の目指している方向に適ったものがやれた。それがいちばんよかったことだと思います。

こうして大盛況で終わり、さまざまな価値をまちにもたらすことができたねぶくろシネマ。しかし、準備から当日の運営まで、ふたりで取り組むのはものすごく大変だったそう。そのため、翌年は無理せず、お休みすることにしました。

企業の方々にも、このイベントの継続性についていろいろ聞かれました。ただ、私はそこはあまり重要じゃないと思っています。

このイベントを継続して益田に定着させることが目的ではなく、益田ではやりたいことをやりたいと思った時にやれる、それを応援してくれる人がたくさんいるからできるということのほうが大事なんじゃないかなと。むしろ私は、その次のフェーズの課題が残っているなと思っています。

経験を生かして、小学校での映画上映会も開催!

次のフェーズとは、これを続けたいと思う若い子たちが現れること。同じような若い世代が、やりたいと思ったときに、実際にやろうと動くこと。

今は単発で終わってしまっているから、まだ途中だなっていう気持ちではいるんです。でも私たちだけがやり続けても、それはあんまり意味がないんじゃないか。次にやる子たちが現れて、それを後押しできたら終わりかなと思っています。

ねぶくろシネマをまたやってほしいというリクエストは多いので、誰かが名乗り上げてやってくれたら嬉しい。もちろん、ねぶくろシネマじゃなくてもいいと思いますし、むしろ変化し続けていってほしいなとも思っています。

次回ねぶくろシネマをやるという具体的な計画はありませんが、その経験は市川さんの仕事に生かされています。その後、小学校でも映画上映会を開催したのだそう。

休日に小学校を開放し、親子で楽しめる映画の上映会を行なったんですが、地元の中高生たち(とよかわっしょい!!)が協力して会場の準備をしたり、ポップコーンをつくって販売してくれたりしました。そうした場があると、子どもたちが普段学校のなかでは話せないことをぽろっと話してくれたり、また違った関わり方ができるようになったりもします。それが充実感につながっています。

薩川さんから言ってもらった「学校は誰にとってもノスタルジックな場なんだ」という言葉が、今も心に残っています。学校は、誰もが経験したことのある懐かしい場所だからこそ、学校の施設を活用していくこと、そしてそのひとつとして映画上映会を行なっていくことに可能性を感じているんです。

小学校でも映画上映会を開催! 大人から子どもまでたくさんの人が小学校に集った

映画館長クラスを受講したことをきっかけに、これからの指針となる言葉を受け取り、そこでの出会いが、ねぶくろシネマや小学校での映画上映会の実現につながっていきました。講師の薩川さんは下見もかねて益田市を訪れたとき、まちの空気を体感して「益田なら実現できると思う!」と、市川さんの背中を押してくれました。

スクールというのは、もちろん学びの場です。しかし同時に、大切な仲間や協力者とつながる出会いの場でもあります。学びと出会いが、最初の一歩を踏み出す勇気をくれる。スクールには「踏み出すきっかけをつくる」という意味合いも大きいのだなと感じました。

現在も益田市で社会教育コーディネーターとして働く市川さん。この経験は、市川さんの仕事の糧となり、今もしっかり息づいています。ライター:平川友紀(ストーリーライター/文筆家)

greenz ライター:平川 友紀(ストーリーライター/文筆家)

※今回の記事は、こちらのgreenz.jpの記事を、転載させていただきました。

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