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2025年10月6日 (月)

益田のひとづくり仕事,働くひと生きがい

「UIターン者のライフキャリア」空水土 石田樹理さん

UIターン者のライフキャリアシリーズでは、県外からUIターンされ益田市でいきいきと生活されている方を紹介し、自分なりの豊かな暮らしについて考える機会をお届けします。今回紹介するのは、益田と東京の二拠点生活を送り、益田では空水土(くうみいど)という会社を立ち上げ、養蜂をされている石田樹理(いしだ・じゅり)さんです。

益田と東京、それぞれの良さを肌で感じた幼少期

-本日はよろしくお願いします!最初に、自己紹介とこれまでのご経歴を教えていただけますか?

石田樹理です。高津出身です。高津小学校から高津中学校、そして益田東高校に進学し、一度益田で就職してスポーツクラブでインストラクターをしたのちに、上京して東京で他の仕事をしていました。その後2017年頃から、東京と益田を行き来しながら生活するようになりました。

-学生時代、益田のことはどのように感じていましたか?

今も昔も益田への思いは大きく変わっていないのですが、「無条件に大好き!」ということはなくて、様々な感情があります。

ただ、自然が豊かで、人が多すぎることもないし、かといって不便さも感じない、そういう良さは子どもの頃から感じていました。

母の実家が東京にあるので、小さいころから東京と益田の両方を知っていたので、お店がずらりと並ぶ都会の景色も見ていましたが、必ずしもチェーン店があることが豊かさだとは思っていませんでした。いとこも東京から遊びに来るとすごく楽しそうに過ごしていましたし、そういう姿を見るにつけて益田には益田の豊かさがあると感じていたんです。だから、「田舎には何もない」という言葉を聞くたびに、違和感を覚えていました。

-その頃は将来的に益田に住みたいと思っていたんですか?

そういう気持ちは、実は当時はなかったですね。

中学生のとき、とある先生が、外から益田に来た人に対して、差別的な発言をしているのを聞いたことがあって。それを聞いて、どうしてそんな線を引くのかと憤りを感じました。周囲の友達がそれを聞き流しているのも嫌で、そういう田舎ならではの閉鎖的、排他的な部分が受け入れられなかったんです。そういったこともあって、益田から少し心が離れてしまっていましたね。

 

ダンサーとして上京。東日本大震災を機に「ふるさと」について考えるように

-高校卒業後、益田で就職されてから東京に行かれるまでの経緯について聞かせていただけますか?

高校卒業後は、一度益田で就職することにしました。私はダンスをしていて、市民劇のミュージカル等にも出ていました。そういったこともあり、身体を動かす仕事がいいなと思っていたところ、スポーツクラブで採用していただきました。

-益田で仕事をしていた期間はどれくらいですか?

2年ほどです。体調を崩したことをきっかけに辞めて、その後市民ミュージカルに出演するなどしているうちに、「やっぱりダンスをしていたい」「ダンサーとしての道が開けるなら挑戦してみたい」という思いで東京に行くことにしました。20歳くらいのときでした。

-東京での生活はいかがでしたか?

大変でしたね。大手プロダクションに所属していたのでダンサーとしての仕事もそれなりにありましたが、生活は厳しくて。アルバイトでイベントコンパニオンやMCをやるようになり、そこからイベント制作の世界に入りました。

今も東京では、イベントのディレクションをしています。フェスやブランドの展示会、パーティーなど幅広いイベントに携わっています。

-ダンサーをきっかけにして、お仕事の幅を広げてこられたんですね。そこから養蜂へとつながったのが不思議に感じます…!どういった経緯だったんですか?

実は、私の父が、セミリタイア後に趣味として、先にミツバチを飼い始めたんです。私は最初は「また変なことを始めたな」と思ってました(笑)なので、益田で本気で養蜂をやるようになるとは思っていませんでした。

でも、2011年の東日本大震災の後、友達の福島の実家が原発事故でなくなってしまったと聞いて。そのときに「ふるさととは何か」「ふるさとを失うというのがどういうことか」と考えるようになったんです。

その頃に父のはちみつを食べ、「この土地の風や自然が全部詰まった味だ」と思ったんです。当初、父は「近所に分けるだけでいい」と言っていましたが、私が手伝うからと言って販売に踏み切ったんです。

-石田さんにとって、はちみつは「ふるさと」の象徴だったんですね。お仕事として養蜂に携わるようになるのと同時に二拠点生活もスタートしたのでしょうか?

そうですね。ちょうどその頃、東京の本屋さんで薦められて読んだのが、田中輝美さんや藤山浩さんの本でした。「島根出身ならこの本を読んだ方がいいよ」と言われて手に取ったんです。

そこに、私が子どもの頃から抱えていた「私のふるさとには何もないわけじゃない」「面白いもの、美味しいものだってたくさんある」といった違和感が言語化されていて、「この人たちがいるなら地域と関わるのも楽しいかも」と思えるようになりました。それがきっかけでUターンや二拠点生活に気持ちが向かっていきました。

-本との出会いが、道を大きく変えたんですね!

 

はちみつを通して「ふるさとの味」と自然の「今」を伝えたい

-実際に養蜂に取り組むようになっていかがですか?

先ほどの本との出会いもそうですが、養蜂に関わるようになってから、巡り合わせやご縁のようなものを感じることが増えて、そこに一つの面白さがあるように思います。

実は、うちの蔵を見ていたら、曽祖父も明治・大正時代にセイヨウミツバチの養蜂を試みていた痕跡があったんです。当時はおそらく海外からいろいろなものを輸入しないと養蜂に必要な環境を整えることができなかった時代なのですが、その時代にこんな田舎で新しいことをしようとしていたということがすごいなと思って。曽祖父はうまくいかなかったようですが、それを私がチャレンジ精神ごと引き継いで成し遂げたい、と思うようになってきたんです。使命感が芽生えたというか。

-すごいご縁ですね!明治・大正時代に益田で養蜂をしようとしていた人がいたことにも、それが石田さんの曽祖父に当たる方だったことにも驚きです。

びっくりしますよね(笑)

また、はちみつがとれる豊川地区の子どもたちと関わることができたのも大きな転機となりました。当時豊川小学校で社会教育コーディネーターをしていた方が仲介してくれて、小学生たちにはちみつを食べてもらったことがあったんです。

そうしたら子どもたちが「春の原っぱで寝転がった時の味がするね」と言ってくれて。「まさにそれなの!」と感激しました。はちみつには、花の薫りはもちろん、風や葉っぱの匂いがぎゅっと詰まっているんです。子どもたちの豊かな感性に心動かされるのと同時に、その子たちにとってはちみつが、「ふるさとの味」になると改めて感じました。

その経験が、今の販売の方針にもつながっています。デパートや特産品のバイヤーの方から連絡をいただくこともありましたが、自然環境に負担をかけてまで大量に作って多くの人に届けるよりは、何より地域の人にこのはちみつの中に子どもたちが感じているふるさとの空気が詰まっているとみんなに分かってもらいたい。そこで、環境に無理をかけず、地域の自然をそのまま伝えるツールにしたいと思うようになったんです。

-空水土さんは「エシカル」をキーワードに養蜂をされていらっしゃるということですが、背景にはそうした経験や思いがあったんですね。

そうですね。はちみつをたくさん採るために、それにふさわしい種の花を多く育てればはちみつの生産量も上げることはできますが、それでは自然のバランスを崩してしまいます。その年その年の自然環境のままに、その中で取れた分だけでいいんです。

ミツバチを見ていると気候変動がかなり深刻なことも肌で感じられますし、はちみつの生産量の変化はそのまま、この地域の環境の変化を伝えるメッセージになっているとも思うんです。

-この自然を生かしながら、取れた分だけをこの地域でしっかり味わってもらうということを大切にされていらっしゃるんですね。

一度EC販売も考えましたが、実際に大手通信販売企業の倉庫や配送センターの実態をみたくてアルバイトをしてみて、「ここを通してまで売りたくない」と思いました。さばききれないほど多くの商品が次々とベルトコンベアで運ばれ、それを延々と人の手で仕分けするという繰り返し。過酷な労働環境だと感じましたし、大量の商品が働く人たちを苦しめ、結果として働く人たちも商品を丁寧に扱うだけの余裕がもてないような負のサイクルが見て取れたんです。

ミツバチも環境も大事にしたいし、はちみつを人に届ける過程で、誰かが大変な思いをしたり苦しんだりするのは見たくない。だから私は、EC販売はせずに地域の人たちにはちみつを届けていこうと決めました。情報があふれる時代だからこそ、自分の目で確かめて「誰かが不幸せになる仕組みを通さない」という選択をすることが大切だと思っています。

-石田さんの「自分の目で確認する」という姿勢がとても素敵だと感じました。

今は情報がいくらでも流れてきますけど、真実かどうか本当にわからない。画像だって生成できちゃうし、SNSで声が大きいものが正しいとされてしまうのは、とても危ういと思います。

-だからこそ、自分の目で見て納得できないものは使わないという姿勢を貫いていらっしゃるんですね。

はい。ですから、うちのはちみつを卸している先も顔が見えるお店ばかりです。「Fruits moritani」さんや、「栗栗珈琲」さん、「酒場ノンぺ」さんでも扱ってもらっています。お料理や飲み物だけではなくて、過疎ビールにもうちのはちみつが使われているんですよ。

-そうだったんですね!今度お店でチェックしてみようと思います。

 

違和感と向き合う、感じたままを口にする

-学生時代と今とで、益田に対する思いに変化はありましたか?

そうですね、今でも「もろ手を挙げて大好き!」というわけではないです。時々、前時代的な価値観を押し付けてくるような人に出会うこともあり、学生時代に感じた閉塞感を思い起こしたりもします。ですが、こうして二拠点生活をしながら暮らしているのを受け入れてくれる人も多いし、多様な人に出会っていくにしたがって、このまちに対して「嫌だな」と思っていたわだかまりが溶けていくように感じます。

もちろん、嫌だと思う感情を完全になくすことは難しいと思うんです。私が苦手とする閉鎖的な価値観とこの地で出会うことはこれからもあると思います。実際、「二拠点なんて中途半端なことをせずに、早く島根に戻って子どもを生んだ方がいいよ」と言われて唖然としたこともありますね。

だからこそ、そうした場面にあったときに、受け流すのではなく、しっかり思っていることを伝えて、ときにぶつかっていくことも必要なのではないかと思っています。

-学生時代のエピソードもそうですが、抱いた違和感をなかったことにせず、きちんと大切にして向き合っていらっしゃるのだと感じました。

そうですね。違和感を抱いたときには、その感覚を深掘りするようにしています。「何が嫌だったんだろう?」と考えてみるんです。たとえば先ほどの場合だと、その発言をしたその人自体が嫌なのではなくて、「女性はこうあるべき」という価値観自体が苦しかったんだな、という思いにたどり着くんですよね。そして、もしかすると、私が腹が立つことを口にした人も、こういう固定観念のなかで苦しさを抱えていたのかもしれないとも思います。

違和感に覚える度に、きっと私以外にも違和感を覚え、怒ったりしんどかったりしている人がいるのではないかと思うんです。だから今は、次の世代の子たちのためにも、おかしいと感じたら、感じたままに口にしてみよう、怒ってみようと考えています。子どもの頃からそれができていれば、もっと生きやすい学生時代だったのかもしれませんね。

 

自然の中でくたくたになるまで働く喜びをいつまでも

-では最後に、これからの目標やありたい姿があれば教えてください。

そうですね。まずは、今の二拠点生活をこのまま続けていきたいです。東京と益田、私にとってはどちらの暮らしも大切で、どちらもあることでバランスが取れているので。

益田では、いつまでも今抱いている幸せを感じ続けていたいです。自然の中でくたくたになるまで働いて、笑顔になるような、そういう幸せです。

先日も近所の人が稲刈りをしていたのですが、一日中働いて疲れ切っているはずなのに、全身から「お米がとれた」という喜びがあふれているんですよ。そういうフィジカルな喜びがここにはたくさんあるんです。そういう喜びにもっと光が当たってほしいと思っています。人口減少など課題はたくさんあるかもしれませんが、まずは、今ある幸せを「穏やかに程よく」味わっていきたいと思っているんです。

-貴重なお話、ありがとうございました!

文責:益田市地域振興課

文章:一般社団法人豊かな暮らしラボラトリー

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