益田20地区を巡る 都茂地区編
人口約900人の山あいにある都茂地区。春になれば金谷城山桜という樹齢約500年の桜が見頃になり、秋になれば柚子が豊富に採れる。
そんな自然の魅力に溢れた都茂地区に、10年前家族で移住した佐原夫妻は、現在、農地保全を軸にした農業を経営しているというが、実は、以前は今の生活とはまるで正反対の都会暮らしをしていたのだとか。
そんな2人が都茂地区に移住し、小田又という集落にて米作りを始めるに至った経緯、これまでの試みと今後について伺った。
都会暮らしから一転
佐原夫妻が、方向転換をするに至った理由は、何だったのか。
2人は少し考えた後、理由として挙げたのは、東京で東日本大震災を経験したことによる心境の変化だった。
物流ストップによる食料供給の停滞、さらには日々変化する情報について、当時をこう振り返る。
晃子さん「基本的に都会で暮らすのって楽なんですよね。お金があれば選択肢はあるし、考えなくても生活できるし。でも、震災が起こってからは、物資の調達だけじゃなくて、放射能に対する心配もあって、生活のために、正しい情報を得ようと、選ぼうと、考えなくちゃいけなくなってしまいました。何よりも、お米が手に入らなったことに対して、すごく不安になったことを覚えています。何が正解かを求めて講演会とか行ったりしても、何も分からなかったです」
宏臣さん「ちょうどその時期は、お互い少なからず、このままでいいんだろうか、という気持ちがあったのかな。僕は会社員としてこれで大丈夫なのかな?とか疑問を持ち始めていたところだったんだと思います」
そのような何もかもが不安定な頃、農業をするきっかけとなったのは、日本で合鴨農法(※)を広めた第一人者、古野隆雄さんが題材となっている映画『セヴァンの地球のなおし方』だったそう。
「そのお米が食べてみたい!」そう思い、安心で美味しいお米を入手することができた。
日本人の食の原点である「お米を作りたい」という気持ちが少しずつ芽生えた晃子さんは、せっかくなら合鴨農法で、自分の家と親戚と友達に分ける分のお米をつくると決める。
そうして夫の宏臣さんを説得し、とんとん拍子で島根への移住計画が進み、数か月後にはギリギリ田植えに間に合うタイミングでの来益となった。
(※)合鴨農法・・・「水田にアイガモのヒナを放飼し、無農薬による安全な米と鴨肉を同時に生産する農法です。1990年代に福岡県の有機農家の古野隆雄氏が”アイガモ・水稲同時作”を提唱し、全国に広まりました。アイガモのヒナを水田に放飼することにより、除草、駆虫、中耕・濁水、稲への刺激効果が得られることが科学的に証明されています。」
出典:アイガモ・水稲同時作(アイガモ農法)|みんなの農業広場
ある出会いがきっかけで、思いがけない方向に
移住した時点では「お米を作りたい」などの最低限のことは決まっていたが、新しい環境下でどうやって生活していくか、仕事・収入源はどうするかなどの見通しがついていなかったことは多々…。
そんなとき、引越し先だった市営住宅の近くに住む、あるおじいさんとの出会いによって、佐原夫妻の暮らしが予期せぬ方向に向かっていく。
聞けば、そのおじいさんは、もともと林業の分野で働いていたが、定年後「地域の農地が荒れないように」と奮闘する人物。
都茂地区に残された、様々な耕作放棄地を管理し、なるべく多くの土地を守ろうと奮闘するものの、体力の限界が近づいていた。
宏臣さん「今振り返れば、ちょうどいい時に越してきた若者だと、しっかり目をつけられていたのだと思います。はじめは毎日家に野菜を持ってきてくれていて、私がDIYしているところにも手伝いに来たりして、いろいろ世話をやきに毎日通ってきてくれるようになりました」
そういったことが続いたある日、「草刈りを手伝うか?」と誘われたので付いていくことにした、宏臣さん。なんと連れられた先は、農機具屋で、なんと新品の草刈り機を買ってもらってしまったんだとか。
宏臣さん「最初は、手伝いだけだと思っていたので、びっくりしました。 農機具屋を後にして、その草刈り機を持って色々なところに2人で回って作業するんだけど、ぐちゃぐちゃなところがきれいになっていくことがおもしろいわけ。これで農地保全のおもしろみにハマっていきました」
晃子さん「旦那の様子を見て、そこに私は流されていった形だったかな。『何かやれることがある』っていう気持ちは、当時も今も生活のモチベーションなのかもしれません」
このようにして、おじいさんが田んぼの維持管理のやり方や、農家として生きていく術(すべ)を教えてくれるうちに、気づけばあれよあれよと農家になる方向に事が運んでいった。
宏臣さん「でも、こんなところで農家なんてようやれるな、って言われてもおかしくないと思いますよ。
田んぼが小さくて、草刈りするところが多い。そもそも、新規就農で米農家になるには、莫大な先行投資が必要だし、ましてや合鴨農法というコストがかかる方法であれば、なおさら助成金があっても食べていけない。
最初は『ここでは生計をたてていくことはできない』と、周りに忠告されるばかりでした。それでも、当時そのおじいさんは、どうにかやっていく方法を一緒になって模索してくれる頼りになる存在でいてくれたんですよね」
試行錯誤は続く
こうして始まった、佐原夫妻の農家生活。
2人はこの10年間を通して、原点である合鴨農法というキーワードと農地保全を掛け合わせた農業経営を形にしてきた。
宏臣さん「試行錯誤が延々にあって、農業の本でいくら勉強したって、答えは出て来ません。ですから、考えるための土台として勉強はするけど、その土地に合った方法を自分で考えることが必要です。つまりは、これって悩み続けなければ続かないということだと思うんですよね」
一口に農業と言っても、日照時間・気温、さらには湿度の関係で、味や収穫量に変化が出る。
都茂地区を始めとした多くの中山間地域では、特に自然災害や動物被害に見舞われるなどの悩ましい状況下にあるため、臨機応変に方策を変えることを余儀なくされるのだとか。
こういった状況の下、佐原夫妻だけでなく、地域の農家さんもそれぞれ悩み、農業を営んでいるからこそ、現在2人が取り入れている農法は、普遍的で絶対的な答えであるとはいえない、と。
だからこそ2人が口を揃えて語るのは、「それぞれ土地によってそれぞれの向き合い方があり、その正解は誰かが簡単に教えてくれるようなものではない」ということだった。
しかし、2人が試行錯誤を積み重ねてきた成果として、土の状態が少しずつ良い方向に変わりつつあるのを感じており、「これまで行ってきたことが間違ってはいない」と小さな確信を得つつあるのだそうだ。
晃子さん「田んぼでお米をつくることが、地域をきれいにし、結果的に、国土保全に繋がる。だから、お米を食べることは土地を守ることでもあります。農家として、作るだけではなくて、販売していく中での難しさも痛感する中で、そう思ってお米を食べてもらえたらいいなと、広く消費者の皆さんに知っていただく方法を模索し続けていきたいです。そうして私達自身ずっと変わり続けていたいと思っています」
都会暮らしから一転、巡り合わせによって行きついた場所にて、試行錯誤しながら日々を更新していく姿が印象的である、佐原夫妻。
小田又集落の風土の中で営まれる2人の農家生活を、これからも応援したい。
取材:一般社団法人 豊かな暮らしラボラトリー
文責:益田市人口拡大課