2021年3月31日 (水)

益田のひとづくり益田20地区,豊川地域づくり

子育てに後悔したくない!

益田20地区を巡る 豊川地区編

益田市駅から車を10分ほど走らせたところにある地区、豊川。
益田川が流れ、小さなこんもりとした山の麓に、豊川小学校・豊川保育園・そして豊川公民館がある。全校約30人の児童が通う豊川小学校は、益田市の中で最初にコミュニティスクールに指定された小学校でもあり、学校の中には「地域交流スペース」と呼ばれる場所もある。

そんな豊川地区で、2人のお子さんを育ててこられた小野春美さん。
中高時代に暮らした益田に、お子さんが生まれてからUターン移住した小野さんに、移住を決意した経緯や、豊川での子育てについてお話を伺った。

自分の原点、益田

「出身は東京なのですが、中学・高校の6年間を益田で過ごしました。東京の小学校から越してきて一番衝撃だったことは、友達同士も先生も距離が近くとても仲がいいことでしたね。」

転校してきたばかりの頃は、子供ながらに勇気を振り絞って方言を使うことで、周りに馴染もうとされた小野さん。高校では、バレーボールを続けるべく、強豪校に進学した。

「バレーボールで食べていけるわけでもないし、親には反対されたんですが、担任の先生が私の思いを尊重してくださって、後押ししてくれました。」

生徒一人ひとりと丁寧に向き合い、進路について一生懸命に考えサポートしてくれた先生。そんな姿に憧れて、自身も教員になりたいと東京へ進学した。

「東京へ出て社会人になってからも、益田の友達とは交流が続いていました。私が体を壊した時も、真っ先に飛んできてくれたのは益田の友達でした。東京に暮らす益田の人たちとの助け合いがありました。」

「たった6年間だったけど、子供時代に益田で過ごしたこの期間で、私の人間性は形作られたのではないかなと思っています。」

地区民運動会やどんど焼き、中学校卒業時の地区の神社でのご祈祷など、地域の方にお世話になりながら6年間育った益田。益田こそ自分の原点だと感じ、東京に出た時も、周りには「私は島根県出身です」と自己紹介していたという。

子育てに後悔しないため、Uターンを決意

「当時私たちの間では、『益田には何もない。おっても仕事もないから、出ることの方が当たり前』という空気がありました。」

実際、高校卒業後の同級生も1割程しか益田に残っていなかったという。

その後、東京で就職後、結婚をし、念願の子どもも授かった。しかし、共働きになり、保育園に子どもを預けることに。

『このままいけば、将来は鍵っ子になってしまうのではないか』

本当にこの環境が子どもにとっていいのか悩み始めた。子育てに後悔したくない。親が与える環境の影響を大きく受ける子どもにとって、どんな環境が一番いいんだろう?と考えた時に、東京で鍵っ子として育てるよりも、祖父母がいる環境で育てたほうがいいのではないかと考えるようになった。東京育ちの旦那さんも「いつか田舎で暮らしたい」と思っていたことも後押しとなり、実家のある豊川地区にUターン移住することを決意した。

地域に育てられた子どもたち

益田での子育ては、東京での子育てとどんな違いがあったのだろうか。

「東京の保育園には、よれよれの服で来たら「このご家庭大丈夫かしら」と心配されるのですが、豊川ではむしろ「汚れてもいい服で来てください」と言われました。泥んこ遊びをするからどろどろになるんですね。うちの子は汚れることに慣れていないから、田植えやボディーペインティングを嫌がっていたのが印象に残っています。」

「親の私よりも、子どもの方が顔が広いんです。地区を歩いていると、私の知らない方から「〇〇くんばいばい」と声をかけられる。「あれは誰?」って子どもに聞いたら、「いつもあそこで畑を耕しているおじいさん」って。地域の方が、子どもに対して関心が高かったり、普段から関わってくださっているんだなと感じました。」

東京の保育園とは違って、自然の中で遊ぶ体験をたくさんさせてあげられた。地域の人から声をかけてもらって、畑仕事に参加したり、レンゲ畑でお花をたくさん摘んだりもした。東京では、「子どもの声がうるさい」とクレームが入ることもあるそうだが、益田では「子どもの声がすると元気が出てええのぉ」と言ってくれる地域の方々に温かく見守られながら、子どもたちはのびのびと育っていった。

「息子が小学校6年生、娘が小学校3年生になったとき、小学校のPTA会長になりました。PTAのひとが半分に減ったので、地区の人に応援を頼んでみようと、連合自治会にお願いしてみたらすっごく怒られて。地区の方は、すでに見守り隊などで子どもたちにたくさん関わってくれていたんですね。地区のみなさんが我が子にしてくださっていることを、親は知らない。そのことがすごく恥ずかしくなりました。」

例えば、小学生が学校へ向かって歩く3kmの道のりを、見守り隊の人は一緒に歩いてくれていた。道中トイレに行きたくなったら、トイレを貸してくださっているおうちがあった。そんなことを保護者が知らなかった。

PTA活動に関わってほしいと地域の方にお願いをした際、最初は怒られたけれど、『子どもたちのためにこういう活動をしたい』ということをPTAだよりなどを通して伝えていくと、納得してもらえた。また、地区の子どもに関わる組織も、高齢化と人数不足で困っていたこともあり、ならば、PTAと地域で協力して子どもたちを育てていこうと「つろうて子育て協議会」が立ち上がった。『地域の子どもは地域の宝。みんなで育てていこう。』そんな風土がある地区なんだと強く感じた。

子どもたちのやりたいに、本気で向き合う大人の存在

「豊川では、子どもたちのやりたいを子どもの戯言だとバカにするのではなく、どうやったら実現してあげられるか、会議で必死に考える大人たちの姿があります。」

豊川の大人はクオリティにも厳しい。子どもたちがやっていることだからと甘く見るのではなく、「これじゃあいけんよ」とはっきりダメ出しもするそう。

その分大人たちも本気だ。小学校にピザ窯が欲しいという話になったときには、公民館の館長さんや地域の人たちがわざわざ石窯づくりを学びに行き、本格的なピザ窯を作ったという。

「やりたいと言ったことを本気で応援してくれる大人がいる。子どもたちが安心してトライできる環境が、豊川にはあるんじゃないかなと思います。」

そうやっていろんなことに挑戦しながら、学校の先生や親以外のナナメの関係の大人に救われて、「化ける」子どもたちがたくさんいる。

「子どもたち1人1人を見てくれることによって、学校や家庭では見えなかったその子自身の可能性を見出してくれるアンテナがたくさんある。それこそが、地域で子どもたちが育っていく一番の良さだと思っています。」

「つろうて子育て協議会」では、子どもたちに地域の活動に携わらせたいと思い、豊川の未来像を考える席に中高生を呼んだ。「豊川の将来をどうしたい?」と問いかけると、大人が思っていた以上に活発に議論に参加する子どもたちの姿に衝撃を受けたそうだ。子どもたちがそれだけ地域のことを思っているなら…!と、中高生地域ボランティアグループ「とよかわっしょい」という団体が立ち上がった。小野さんは立ち上げから「わっしょいサポーター」として関わっている。

「『わっしょい』という掛け声とともに、自分たちがお神輿を担ぐように、地域を盛り上げていく。そんな思いを込めて、子どもたち自身が名付けました。地域のために、自分たちにもできることがある。そんなことをわっしょいでの活動を通して子どもたちに学んでいって欲しいと思っています。」

地域での活動を通して、子どもたちは自分なりに社会に参画していくことを学んでいく。活動の中で、自分自身の得意なことややりたいことを見つけていき、自信をつけてこの地区を旅立っていく。

実際に小野さんの息子さんも、大学進学を機に東京へ旅立って行った。その進路を選んだ根底には、豊川での活動の経験があったそうだ。

「この地区を旅立つ際に、『僕はこれを勉強するために東京に行ってくる。』としっかりとした目的意識を持って話してくれたんです。そんな息子の姿を誇らしく思うと共に、『この子は地域に育ててもらったな。』と心から思いました。」

お子さんが、大学生・高校生と大きくなり、地域を飛び出していく中、小野さん自身のこれからについて伺った。

「これからは、親ではなく、地域の人として、地域の子どもたちに関わっていきたいと思っています。できる範囲でできることを、私なりにできたら。頂いたご恩を返せたらな、という気持ちです。」

みんなの中に、豊川がある。
親だけじゃ、家族だけじゃできなかった子育てができたと語る小野さん。

「子どもたちのやりたいを実現するには、家庭だけでは限界があると思います。どうしても、仕事や家事に追われてしまう。でも、それを地域に開くことで子どたちの成長の可能性が広がるんです。それを経験させてあげられる土壌が豊川にはある。そこが一番の魅力だと感じます。」

今回取材をさせていただいた「とよかわの家」。築100年の古民家をリノベーションし、市外からの移住を考えている方を対象としたお試し暮らし住宅として活用している。豊川地区での暮らしの体験ができる。

取材:一般社団法人 豊かな暮らしラボラトリー
文責:益田市人口拡大課

facebook twitter
NEW

2021年3月31日 (水)

益田のひとづくり地域づくり益田20地区,都茂生きがい

正解がない中で、自分たちなりの農業を

同カテゴリーのエントリー

益田20地区のエントリー