2024年1月22日 (月)

仕事,働くひと益田20地区,東仙道

美都いちごを活用した新たな仕事づくり

企業紹介「空と小さな屋根の農園」

 ゆずの町として有名な美都町に令和4年に誕生したのが今回紹介する「空と小さな屋根の農園」です。
 「農業を通して人口減少などの課題解決の一助になりたい。」と語る代表者の藤原大巌さんに事業概要並びにこの事業に賭ける思いについて、お聞きしました。

自身で栽培から販売までこなすハイブリット事業

藤原さん 令和4年にこれまで関わりがなかった益田市美都町に移住し、美都いちごの栽培と自社のいちごを使用したスイーツなどをキッチンカーで販売しています。現在は、私と妻とスタッフ1名で主に働いてますが繫忙期には、市内の福祉事業所にお手伝いをお願いしています。今年の夏は初めてメロン栽培に挑戦しました。

どうしてこれまで関わりがなかった益田市で起業したいと思ったのですか。

藤原さん 私はこれまで約22年間東京都でIT関係のベンチャー企業を経営してきました。IT関連のハードウェアの新規開発を得意とし、ホテル客室のテレビインフォメーション機器の分野では国内1位のシェアを持っていましたが、50歳を目前にし、「日本の食料自給率の低さ」と「大都会への人口集中」が気になるようになり、自分の仕事人生の最後を「地方での一次産業を中心とした新規ビジネス」に賭けたいと思いようになりました。せっかく東京という過密都市から移住するなら人口が一番減っている県にしようと考え、島根県に決めました。まず、島根県内のすべての市町村の移住者向けパンフレットを取り寄せてみたところ、益田市のパンフレットが一番魅力的であり、高津川、豊かな綺麗な海、広大な農地、美都の森林、匹見の秘境などダイナミックな景色の変化が素晴らしかったので益田に決めました。

沢山の農産物がある中いちご栽培を選んだのはなぜですか。

藤原さん 40歳になる頃、国内食料自給率が低下していることを聞き、東京の人口約2,000万人の中の何人が一次産業に従事しているのか、すごく気になるようになり、農業や漁業といった一次産業に興味を持ちました。妻に相談したところ、漁業は反対されたので農業をしようと決めました。益田に移住を決意し、特産品であるブドウ、メロン、いちご農家すべてを見学したところ、いちごは設備投資が大きく、利益を出すことが難しい農業ですが、最先端の農業が実践でき、コンピューター関係の仕事をしてきた自分には向いていると思い、いちごに決めました。

「農家」から「農業」へ

今までの農家にはなかった自身で栽培したいちごを商品化し、キッチンカーで販売する事業を開始した藤原さん。その背景には農業を通して人口減少といった地方の課題を解決したいという思いがあったそうです。

藤原さん いちご栽培を始めることとし1年間研修を受け、益田市の特産品の生産者(いちご、メロン、ブドウなど)と多く知り合いになれましたが、メロンとブドウは島根の特産品として出荷され、いちごは市外に出ると農業関係者の中でもあまり知られておらず、農産物が「益田」のイメージアップに貢献出来ていないことがわかりました。この状況を打破し、いちごを「益田市」の特産品としてPRすべく、生産したいちごに付加価値を付けて自力で販売する手段として、農場にキッチンカーを置き、スイーツやランチを楽しみながら農園でいちご狩りをすることにしました。最初は固定店舗も考えたのですが、いつでもどこでも販売できるキッチンカー事業も始めました。そして現在では、広島県や山口県など県外にも出店しており、地元ではイベントに出店するなどキッチンカーの強みを生かして積極的に営業しています。

最後に将来のビジョンを教えてください。

藤原さん 私たちは「農家」ではなく、「農業」を目指しています。“家(ファミリー)”から”業(ビジネス)“に変わっていく必要があります。商品開発などを積み重ねて、売上や利益を少しずつでも拡大していき、益田市の「業化に成功した農家」第一号を目指しています。

文責:産業支援センター

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