皆さんが普段使うスマートフォンやパソコン。これらには、「半導体」が搭載されています。かつて、“産業の米” と呼ばれていた半導体は、わたしたちの生活にはなくてはならないものとなり、今では “生活の米” と呼ばれるようになりました。
そんな半導体は現在世界中で不足していますが、国内の半導体メーカーの生産拠点は労働力の安価な海外に移りはじめ、半導体製造を行っていた会社そのものが海外の会社に譲渡されるなど、日本国内で半導体の製造を行う会社は少なくなっています。海外に生産や研究拠点を移す企業が増える中、シマネ益田電子株式会社(以下、SME)は、半導体の研究開発から製造までを一貫して行っている日本で希少な企業です。
今回は代表取締役社長の平谷 太さんに、事業戦略や半導体業界について、さらには益田への想いなどをお聞きしました。
少量多品種とラボ&ファクトリー
平谷社長 弊社の特徴に、ラボ(研究室)で研究開発ができ、それをもとに製品を量産できる工場があることがあげられます。さまざまな先端開発について協議・実験を繰り返しながら、実製品にしていく中で、ラボを拡張し、ラボ&ファクトリーと銘打っていきたいです。
一般的な半導体メーカーは、同じ製品を大量に作る為に労働力の安い台湾・中国などを使っています。
一方で弊社は、変わった形・材質で半導体を作って欲しいというオーダーをいただく、特殊な企業で「少量多品種」に狙いを定めています。
同一製品を大量生産する方が効率的であり、会社としての経費も安上がりになる。にもかかわらず、なぜ少量多品種に舵を切ったのかお聞きしたところ、半導体メーカーとしてだけではない、国内企業としての悩みが出てきました。
平谷社長 かつては国内企業と戦っていましたが、国内だけではなく海外の企業とも戦わなければいけない時代となりました。国内で競うならば、製品の不良率を下げて利益を増やす方法でよかったかもしれませんが、海外は日本に比べて人件費が圧倒的に安い。ならば、製品の差別化をするしかないと思いました。
人件費は最低賃金が決められているため、変えられない。
そこで、少量多品種を研究開発から製造までを自社で行っていたことを強みに捉え、受注する仕事や仕事先を変えていったそうです。
平谷社長 皆さんが普段使う製品(民生品)への参入を辞め、半導体メーカーと付き合うことも辞め、その代わりに、半導体を使った完成品(商品となる物)を持ち、世界でもシェアの高いメーカー(お客さん)と付き合って行く事を決めました。
製品を作っている会社は情報伝達のスピードも速く、生活に必要不可欠な医療・食料・産業機器といった分野の仕事はどの時代になっても無くなるものではない。だからこそ、そういった会社さんの仕事を選んでいます。
弊社のような会社も、お付き合いする会社を選ぶ時代が来ていると思います。自分たちで取引する会社を選んでいかないと、会社が潰れていく可能性がありますし、何よりも最先端の技術に触れながら、ものづくりに関する知見を得ることで研究分野の仕事につながり、そこで浮かびあがった課題を解決するための製品作りがスタートする。まさに、連関関係が生まれますよね。
多くの知見を自社ブランドに活かす
1984年に創業し、半導体デバイスの受託生産を行ってきたSME。
受託企業として、さまざまな会社の半導体製造を担ってきたからこそ、得られた知見が豊富にあります。その数、なんと2,000件。
そこで得た知見をもとに、総合デパートのようにバラエティに富んだ提案ができるそうで、それが会社の強みの一つだと、平谷社長は話します。
平谷社長 これまでは、OEMを中心にきましたが、大手企業がものづくりを捨てた今、製品開発から協力し、製品も作る弊社は、大手企業にはできない仕事を行っていると自負しています。お客さんが要望した形・材質を踏まえ、デザインし、製品に仕上げ、その製品の永久サポートをする。これが弊社のDMS(Design・Development・Manufacturing Service)事業です。DMSでさまざまな知見を得ながら、自社ブランドの製造を増やしていく。それが今後の目標です。
この戦略をとるに至ったきっかけは、国内の半導体市場の動向と新型コロナウィルスの感染拡大。コロナによって海外との往来が禁止され、輸送費はコロナ前に比べ10倍近くに高騰。タイに工場を有していたSMEも、例外ではありませんでした。
平谷社長 従業員が長く勤めるので有名だったので、タイ工場の閉鎖は苦渋の決断でしたが、日本の工場を守らないといけなかった。それと同時に、会社も転換していかないといけないと思い、事業戦略の転換に舵を切りました。
社員を一番に据えたことで、人の良さが会社の強みに。
SMEで長く働き続ける理由は何だろうかと考える中で、社訓である「和」が大きく起因しているのではないかと感じ、質問をぶつけてみた。
平谷社長 創業者が合言葉に「和」を掲げていたんです。トップが掲げたことで、会社の雰囲気も和を意識したものになっていきました。
かつて血気盛んだった頃は、「仕事がなくなったら雇い止めをすればいい」「人手が足りなくなったら雇えばいい」と思っていました。でも、学び続けることで自分の人格が変わり、和が大切だと考えるようになりました。
わたし自身、和の大切さを人材塾で学びました。そして、会社経営において一番大切にしないといけないのは、社員とその家族、二番目がサプライヤー(供給業者)、三番目がお客さん、四番目が地域住民の方々、その次に株主だと認識しました。お客さんを一番にし、社員を粗末に扱ったら、絶対に良いサービス・良い製品は生まれないですし、社員は会社を裏切りますよ。だからこそ、お客さんより社員を優先しないといけない。もし、お客さんに無理難題を突きつけられたときには、社員を守るためにも断ることもあります。
この順番を守ることが、巡り巡ってお客さんのためにもなると思っていますし、そういったスピリットを会社に注入したことで、社員の人の良さに繋がっていると感じています。
「和」を大切にしているチームだからこそ、「SMEで働く人は良い人ばかりだね」と取引先から言われることが多いといいます。それに加え、トラブルが起きたとしても取引先に正直に事実を伝える “誠実さ” もSMEの魅力の一つで、サプライヤーの評価にもつながっているのだそうです。
平谷社長 社員には、失敗しても自由にやらせてあげたいです。
やりたいことを実現できるのが会社であってほしいし、失敗からいろんなことを学び、成長してほしいので、会社としてお金をかけたり、挑戦できるフィールドを整えてあげたりしていきたいです。人間の能力はそこまで変わらなくて、どこで能力が活かされているか。そこが重要なんです。その人が持っている能力を最大限発揮できる環境を整えてあげることこそ、会社の使命だと思います。
従業員が成長する場を、提供し続ける
益田に本社を構える企業として、益田の地域の方々、益田に対して、どのような思いを持っているのかをお聞きしました。
平谷社長 何か新しいことをやりたいとなった時、やりたいことをスクスクとできる場所で、「やりたかったらやれよ!」というオープンマインド、新しいもの好きな人が多い。それに加え、性善説が広がっている街が益田の良さで、わたしが益田を好きな理由でもあります。
その一方で、空港もあり、自然も豊富。自由で窮屈感がないので、出張から益田に帰ってくると、解放されます(笑)
だからこそ、ここに人が集まるために会社がなくてはいけないし、従業員が成長する場が会社なので、成長するきっかけを提供し続けることがわたしにとっては必然なんです。
真っ白いキャンバス持った人と、わたしは働きたいです。
色がついていたとしても、真っ白いキャンバスの状態で入ってきて、ここでの仕事や人とのコミュニケーションを通じて、色を塗っていく。自分がこう生きていきたい、この仕事で活躍していきたいというピュアな気持ちを持った人を待っています。
最後に、今後の目標を聞いてみました。
平谷社長 中高生が弊社の従業員との関わりの中で、仕事とか、人との付き合いってこうなんだと大人との距離感を覚えていく流れを作っていきたいです。学校から学びのバトンを受け取って、企業がその人を育てていく。その過程に地域の人が関連すればいいと思いますし、益田周辺に住んでいない人にも関わって貰えばいいと思うんですよね。
企業が一つあるだけで、いろんな人が関わるきっかけが生まれますし、他の企業にも弊社の考えが広がれば、街が変わっていく。益田は人口が小さい街ながらも、なんでも揃いますし、課題だった医療面もリモート医療に変わっていくことで、田舎でも大丈夫な時代が来る。そう考えています。
ある程度揃っている街で、企業に凛としたものがあれば、
次第にこの街へ帰ってくる人が増える。そんな形を実現していきたいです。
::::::::::
「益田市UIターン者サポート宣言企業 宣言内容」(シマネ益田電子株式会社)
①UIターン者や若者求職者へ積極的に会社見学やインターンシップを実施します。
②新入社員の定着に向けた研修制度やメンタルヘルスケアを実施します。
③社員が働きやすい職場を目指して、ES向上活動に努めます。
取材:一般社団法人 豊かな暮らしラボラトリー
文責:益田市連携のまちづくり推進課