地域づくりの拠点として昨今注目が集まっている、公民館活動。
中でもその存在が一際目立つ島根県益田市の豊川地区には、公民館にて20年以上もの間活躍し続け、「巻き込みのプロ」という異名を持つ方がいらっしゃいます。
自分色でデザインする益田暮らしを紹介するインタビューシリーズ。
本特集の第3弾の主人公は、【仕事】を通じて【地域】でのワクワクを生み出しデザインする「ますだのひと」、石田和美さんです。
今では、地域内にどっぷり浸かり、日々人と人の繋ぎ役を行っている石田さんですが、実は移住当時は地域柄に馴染めないことも多かったのだそうです。
正直いうとね、今でこそ若い子たちがここを気に入って、「何もないのがいい」って言ってくれることがあるけど、私の当時の若い頃の感覚では、そんな風には全く思わなかったのよ。
同じ中国地方の広島で育った石田さんにとっては、島根県西部に位置する益田市は、遠い存在。その後だんだん長い期間をかけて、魅力を発見していったとのことですが…。
例えば、同居していたお義母さんの畑仕事。
普通朝ごはんを作るっていったら、冷蔵庫から食材を出すじゃない?でも、お義母さんは、味噌汁作るからって畑に出て行って、ナスやらネギやら持ってくるのよ。『ええ?!』ってすごい衝撃じゃない?
このような地域に残る「なんでもつくる」文化は、後に石田さんにとって、驚きとアイデアを生む大切な要素になっていきます。
私なんかだったら『どこに売ってるかな』っていうことを先に考えるのに、ここの地域の人たちは、『それなら誰々がこれを持ってるから、どう作れるかな』っていう思考なのよね。それが未だにビックリで面白くてね!『まさかこんなことができるの?』っていうコトが豊川には溢れているなあって思う。
今では地域でワクワクを見つけ、創り続けるキーパーソンの石田さんに、今に至るまでの旅路をお話いただきました。
今回の主人公
石田和美さん
数十年前、結婚を機に、夫の出身であった島根県益田市の豊川地区へ移住して以来、「ほとんどの時間を豊川地区の公民館で過ごしてきた。」歳関係なく、子どもや高齢者の方ともフラットに関係を築きながら、多くのアイデアを実現してきた。
「なるべく目立たないようにしていた」そんな広島時代から、豊川に
石田さんが生まれ育ったのは、広島県のいわゆるニュータウンの住宅地。
名前も知らない同級生も多くいる学校生活を送っていたからか、今の活躍ぶりからは想像もできないような子ども時代を過ごしていたそうで・・・。
当時は、何もやる気とかなくて、なるべく目立たないように周りとも人と違うことをいったりするのはしなかった。自分に自信もなかったからかな?
そんな石田さんの運命をガラッと変えることになったのは、結婚を機にたまたま移住した豊川地区(島根県益田市)。そしてその地で働くことになった、公民館主事という仕事でした。
当時の私は『こういうことがしたい!』っていう訳でもなく、ただ子育てをしながら働ける場としてたまたま紹介してもらったの。
田舎の生活も、経験したことのない小規模校にも少し不安を感じていた当時の石田さんにとっては、奇遇にも地域のこと全般を知る上で、好条件な職場だったようです。
生まれ育った広島みたいなとこでは、『あんな人が住んでるらしい』以上のことは知らないものでしょ?
でも、一緒に働いてた豊川の館長さんは、地域のことや人を本当によく知っとってね。悪い意味じゃなくて、全部把握しておられることに、初めは驚いた。
地域の人も、何かあったら公民館にきてもらえることが多いので、少しずつ繋がりを知って、”地域のパイプ役”はだんだんできるようになったかもしれんね。
その人の”何か”を活かせる場を作る、公民館主事としての使命
他に、地域で驚いたエピソードを聞き進めていくうちに、記憶に蘇ってきたのは、数々の思い出でした。
例えば、
高齢者の方対象のワークショップで、逆に参加者の方々に昔ながらの”生きる知恵”を授けてもらったこと。
地域の人皆さんの力が合わさって、大きなプロジェクトを行った時のこと。
皆さん本当に色々な経験や特技を今までの人生の中で培っておられて、それがまた人それぞれ違うでしょう?
何かしらそういう秀でていらっしゃることがなんかの拍子に『すごいねー!』ってスポットライトが当たった時のその方の誇らしげな表情が、すごく印象的だったことがあって。
ずっと昔の話だけど、忘れられないことの一つ。
そのような体験を重ね続けた石田さんには、知らず知らずのうちに「この人のここ活かせんかな?こことここ繋げたら楽しいかな?」を妄想をする時間が、日に日に増えていきました。
それからも、やっぱり『えっへん』じゃないけど、表情とかで、満足されてるかなって伝わってくるような瞬間があるから、そういう時に『よっしゃあ!』って思う。
これは、皆さんの力が結集するような地域の行事やプロジェクトにて特に発揮されています。
例えば、お試し暮らし住宅「とよかわの家」。
ここは、残されていた築100年の古民家を、地域住民自らの手による改修作業によって完成させた、豊川地区の宝物です。
建物内の随所に、地域の方の手作りインテリアや手作り小物が溢れています。
私なんかはいつも思いついたことを言いっぱなしでね(笑)
身振り手振りで『こういうのはどう?』とかって言ってると意を汲んでくれる人がたくさんいて、気付いたら形になってることばっかり。『まさかこんなことができるの?』っていうことが、一人の力じゃなくて、いろいろな人の力が合わさってできるのよね。
それまでの過程を本当に楽しませてもらってる。これが仕事なんか分からんくらいよ。(笑)
しかしこれには、日頃の数知れないコミュニケーションの積み重ねが基盤になっているはず。
やはり、日々の業務の中で石田さんが特に大切にされていることの一つは、一人一人の地域の方に対する声の掛け方を見極めることなのだそうです。
その人それぞれが気持ちいい誘い方っていうのがあると思ってて。役職とかイベントのお誘いをするにも、『ここをくすぐったら、引き受けてくれるかな?』っていう勘を頼りに声をかけるかな。
中には二回誘われたい人や、逆に、絶対に誘われたくない人もいるのよね。
そういうのは、だんだん付き合う中で理解できるようになってきたんだけど、今でも気をつけなきゃいけんなと思ったりする。
このように人々の細やかな感情に寄り添い、対応する姿は、少し石田さん自身の子ども時代と重なる部分があるような印象もあります。
正直私だって移住した当初は、何かの活動に誘われるのに慣れてなくて。
都会だったらそんな風に意図しない方向に巻き込まれることなんてあんまりないよね。
でも、逆に本当に興味があることしか世界が広がってなかったのかな、とも思って。
実際に、地域の人からも『興味なかったけれど、参加してみたら楽しかった」って声もよく聞くけんねぇ。
誰かの存在にスポットライトが当たる場面や、新しい可能性が生まれるきっかけ。
そのどれもが、石田さんにとっての「こういう場を設けてよかったなって思う瞬間」を形作っているようでした。
「誰でも主役になれる町、豊川」の魅力
アイデアを口には出さない、多くの主張をしない性格の子どもだった石田さんが今、子ども達に伝えたいこと。
それは、とりあえず口に出してみることの大切さなのだと言います。
もし都会にいたら埋もれてしまうようなアイデアも、益田にいたら背中を押してくれたり、実現してくれることが多い、豊川は特にそんな地域かな、って思う。
私の経験上、例えその一人が同じ考えじゃなくても、誰かしらはいいなと思ってくれるからね。実際に、今の中学生から『豊川は自分のやりたいことを叶えてくれる地域だ』って言ってくれたことがあって、それがすごい嬉しかった!
地域内の縦のつながりが、知らず知らずのうちに連鎖を作ってくれてるんだなぁ、って。
人は、きっと誰しも何か輝くものを持っている。
それは”地域”という比較的小さい規模だからこそ、光があてられ、輝きやすいのかもしれません。
和美さんが豊川地区でキラリと輝いたように、
その他にも様々な役割を通じていきいきとしている大人たちの存在、そして一人一人が力を合わせながら創られていく地域の姿を垣間見ることができました。
取材:一般社団法人豊かな暮らしラボラトリー
文責:益田市連携のまちづくり推進課