2022年5月27日 (金)

益田のひとづくりおしらせ益田20地区,益田地域づくり

「伝統を繋げることは、進化していくことでもある」日本酒の可能性を信じ、未来を模索する

自分色でデザインする益田暮らしを紹介するインタビューシリーズ。

本特集の第5弾では、【仕事】×【伝統】×【地域】の時間をデザインする「ますだのひと」、右田隆さんをご紹介します。

舞台は、島根県益田市の中でも、中世日本の姿が色濃く残る益田地区。

ここに右田隆さんが15代目杜氏(とうじ)を務める、県内最古の酒蔵・右田本店があります。

朝早くからお米を蒸す湯気がもくもく上がっていたり

機械が動いている音がしたり。家と酒蔵が近い環境で子ども時代を過ごしていました。

 

一度県外に進学するも、27歳で帰郷してからは、常に新しいお酒造りにチャレンジし続けており、2019年に益田市が「中世日本の傑作益田を味わう」日本遺産に認定された際には、「中世の食再現プロジェクト」に参画し、当時の日本酒を再現するなど、伝統を重んじながらも目新しい取り組みを行ってきました。

 

そんな右田さんも、かつては「地元を出て、都会に行きたい」気持ちが強かったのだといいます。

 

上京してからは、全国から集まってきた大学の同期達によく『益田ってどんなところ?』って聞かれるんですよね。
でも、僕は『何もないから、遊びに来るのは辞めといたほうが良いよ』って答えてしまっていました。
益田の魅力を知らずに、そう答えてしまっていたことへの後悔の気持ちが大きいです。

 

今となっては、「右田本店のお酒を愛してくださっている地域のために」「基本を守りつつ、日本酒に馴染みのない人を引き込めるように」と、奔走する右田さん。

そのような考えに至るまでには、どのような変化を経てきたのか、また現在は地域に対してどのような想いを馳せているのでしょうか。

 


今回の主人公

右田隆さん
島根県益田市出身。1602年創業の「宗味」の銘柄で知られる県内最古の老舗酒造会社「右田本店」15代目で杜氏(とうじ)として、また2児の父として日々奮闘中。「中世日本の傑作益田を味わう」日本遺産に認定された際には、「中世の食再現プロジェクト」に参画した。「益田の歴史文化を活かした観光拠点づくり実行委員会」の会長も務める。


 

育った風景、心の距離

中世日本の街並みが残る益田地区、商店街、益田川、右田本店の酒蔵。
そんな環境と共に育った右田さんは、当時をこう振り返ります。

 

酒造りのピーク、冬前になると、10数人の蔵人さんたちがやってきて、段々と賑やかになってくるんです。

子どもながらにその時期を毎年楽しみにしていて、仲良い蔵人さんたちに遊んでもらった日々が思い出深いです。

当時はまだ幼く、家の延長線にある一つの遊び場にしか過ぎなかった酒蔵も、中学に上がった頃から、少しずつその環境が指す意味について理解していったのだそうです。

 

担任の先生、友達のお母さんたちに、家業のことを『すごいね』と言ってもらったり、『跡取りになるんか?』って聞かれたりするうちに、
『ああ、この地でお酒を作るっていうのは、すごいことなのかな』って。

 

しかし、進学した高校が進学校だったこともあり、「都会に、県外に出ること」がステータスとなっていた当時。

右田さんも同級生達と同じく、とりあえず県外に出ようと、高校卒業後は東京農業大学の醸造学科へ進学を決めます。

 

醸造学科って全国見てもあまりないんですけど、ちょうど東京に一つ大学があったんです。東京に出る立て付けもできるし、説明しやすいというか・・・。周りの人たちにも応援してもらって、上京することになりました。

地域への想い

期待を胸に都内での生活を始めた右田さん。

初めの数年は、目新しい環境での暮らしを謳歌していたものの、時たま故郷・益田の良さを実感していくようになったのだそうです。

 

やっぱり、一つは食べ物。特に新鮮なお魚なんかは、実家では当たり前のように食べてきて、なんなら『また刺身か』、くらいには思っていたんですよね。(笑)
そうやって美味しいご飯が日常的に食べられることや、海が近いこととかがいかに貴重だったかということが、東京に出てみてようやく初めて分かりました。

 

さらに、大学の同期から受けた刺激も、その後の進路選択に影響します。

 

こういう専門学科って、やっぱり日本全国の酒場の跡取りが進学してきて集まっていたんです。そこで『負けたくない』じゃないですけど、僕も地元に帰って、周りの人よりも美味しいお酒を作って販売していきたい、という意識が芽生えてきました。

正直、社長である父親からは、『跡を継げ』とは言われていなかったし、そのまま東京で会社員になることも考えたんですけど、どうせなら家業を継いで、益田でお酒を作りたいな、と。



そうして京都での5年間の修行を経て、27歳で帰郷。

 

本当の意味で”地域のため”を理解できるようになったのは、やっぱり実際にこの酒造でお酒を作るようになってからですかねぇ・・・。

頑張って作ってできたお酒を『おいしくなったね』、とか『右田くんのお酒美味しかったよ』とか直接声をかけてもらえると嬉しいですし、お酒と地域に対する想いは日に日に強くなっていきます。

 

創業から400年の時を経て、地元のファンに愛され続ける、右田本店の日本酒。

これからも変わらず美味しいお酒を作り続け、楽しんでもらうことが1番の恩返し、と右田さんは繰り返し語りました。

手探りでも、進化し続ける

右田さんが持つこの強い意思は、右田本店で製造される一つ一つの商品はもちろん、その他の取り組みを通じて、実現されていきます。

中でも特に代表的な取り組みの一つ、「中世の食再現プロジェクト」では、文献より古来の製法を再現した新商品開発。

また、それだけではなく、地域の様々なスポットにて当時の食事と共に歴史を感じるイベントの企画、参画され、お酒を楽しむ可能性を広げてきました。

イタリア料理とのコラボレーション企画も行った。

このように常に新たな試みに挑戦する右田さんの根底には、日本酒と地域に対する一種の危機感と愛があります。

 

うちのお酒のほとんどは地元の方に飲んでいただいたり、お土産に使っていただいたりしてきた分、日本酒の人気が全体的に下がる傾向の中では、間口を広げなきゃいけないんじゃない、と思いました。これまで日本酒に興味がなかった人にも興味を持ってもらえるような。

この考えは、「何を造るか、どう造るか」にこだわりつつ、「どう飲むか、どんなシチュエーションで飲むか」という楽しみ方の提案に繋がっていきました。



様々な食べ物や、その環境の組み合わせによって、日本酒の魅力を更新し続ける、この右田さん発案の取り組みは数知れません。



伝統的なお酒って、必ずしも同じ味を作り続けて愛されてきたわけではなくて、酒造りの技術、洗米の技術とかって、研究と進化が進んでいって、美味しくなってきたお酒をみなさんは楽しんでくださっていると思うんですよね。

さらに、酒と一緒に嗜む食事自体も、年々変わってくる。

そういう技術と文化が常に変革し続ける中で、感謝の気持ちを忘れずにお酒も進化させていくのが、大切だと思っています。

 

またこれは、地域に対する想いにも共通しています。

 

中世の街並みが残る益田が日本遺産に認定された際も、話や建造物はたくさんあるんだけど、それに関連する商品やお土産品がないなあ、と思ったり、歴史に興味がない人にしたら、正直とっかかりづらい部分もあるような気がしていました。
その代わりに、食を通して魅力を発見してもらえたら、と。

 

右田さんは、15代目杜氏として続いてきたからこその歴史の重みを感じ、この伝統を活かしながら、さらに試行錯誤を繰り返して進化していきます。

そこには、日本酒だけではなく、地域の未来も重なって見えた気がしました。


取材:一般社団法人豊かな暮らしラボラトリー
文責:益田市連携のまちづくり推進課

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