2022年5月27日 (金)

益田のひとづくりおしらせ地域づくり益田20地区,都茂

田舎”でも”ではなく、田舎”だからこそ”見つけられた、叶えられる夢

「僕がUターンしたのは、『長男が家を継ぐ』っていう価値観が無くなってきた時代。『逆に外に出てこい!』って言われる人が多くて、同級生がどんどん外に出ていった中で、僕は逆に『地元に残らないけん』、ってひしひしと感じていたのかも。」

 

「これまでの進路は全部自分で決めてきたくらい、私は愚直に突き進むタイプ。でも、ここは、初めて自分の意思がなく来た場所でした。だから最初は本当にドキドキでしたね。やりたい仕事がここでもできるのかなあ、と少し不安でした。」



今回こんな赤裸々な移住ストーリーを話してくださったのは、それぞれU、Iターン移住者のお二人。

島根県益田市の1000人の町、都茂地区在住で、普段から交流があるお二人だからか、率直な移住時の心境を語ってくださいました。

 

今や地方移住ブームに合わせて、多くのメディアにはキラキラした移住エピソードが取り上げられています。

しかしその裏には、きっと誰しも前向きな気持ちや楽しさだけでなく、不安や戸惑いも入り混じる思いを持っているのではないでしょうか。

 

例えば、
田舎ならではの人の繋がりや風習。
若者に期待される地域活動。
キャリアのこと。

都会からの移住であれば尚更、戸惑いも大きいことは想像に難しくありません

お二人もそういった経験がありつつ、移住後の新しい出会いを繰り返す中で、プラスな方へと気持ちが変わっていったのだと二人は教えてくださいました。

別々の場所で生まれ育ち、それぞれの道の先でたまたまある地域に落ち合った二人が見つけたというのは、それぞれの「この地域だからこそできること。」

果たしてそれはどういったものだったのか、そこには一体どんな共通点があるのか。とある休日の昼下がり、お二人にお話を伺いました。


今回の主人公
井上真彩さん

東京の下町で生まれ育ち、以降、韓国、大分、アメリカ、北海道、と「キャリアウーマン」的思考のもと、進路を選んできた。結婚を機に、パートナーの就職先であった島根県益田市の美都町に移住。新しい趣味としてもともと興味のあった動画制作を始め、今では町のデザイン会社で働いている。

廣兼重孝さん
20代前半で生まれ育った島根県益田市美都町にUターン。3児の子育てと、仕事、複数の地域活動に奔走する、まさしく地域の若い担い手である。今や地域の秋の風物詩となった、赤タイツを着て地区を練り歩く文化は、会長を勤める「もてつも(もてなす都茂心)」が始めた新しい伝統。


 

田舎暮らしの不安、地域の課題

− なんと今日お話してくださるのは、生まれも育ちも正反対のお二人!

廣兼さん
僕はここ、美都町の都茂が地元で、昔ながらの行事がたくさんあるような環境の中で生まれ育ちました。子どもの時は街中鬼ごっこして遊んだりして、自然も人も近かったかな。

 

真彩さん
お祭り盛んですもんね!楽しそう〜!

 

廣兼さん
一度進学のために県外に出るんですが、地元の美都町へUターンしてきて、15年目。今は、地域の自動車整備会社で働きながら、外で商工会の青年部、ロータリークラブ、地元では自治会の事務局と若手の「もてつも」っていう団体で役割をいただいてます。

 

真彩さん
廣兼さんは本当に大忙しそう・・・。

 

廣兼さん
イエスマンだから引き受けていたら、いつの間にかこんなに(笑)
最初は大変だなって正直思ってたけど、これも田舎ならではの、濃い繋がりがある証拠かな、と。
それがいい!っていう人と、合わないなあっていう人、どっちもあり得るだろうな、と思う。

真彩さん
私は生まれも育ちも東京の下町。緑はなく、家の真上は高速道路、お酒飲んでるサラリーマンたちが道端にたくさんいるようなところで育ったので、最初は特にお裾分けとか、家族でも友達でもない地域の人との関わり方に戸惑っちゃいました。どう見られてるんだろう、って緊張したり、こんなよくしてくれるはずがないって少し疑ったり。(笑)

 

廣兼さん
本当に真逆だ!!!

 

− 真彩さんの移住前はどういった生活をされていたんですか?

 

真彩さん
島根に来る前は、札幌でコンテンツ業界のお仕事をしていました。
多分昔からやりたいことには愚直に突き進むタイプだったので、高校生の時は、学校を辞めて韓国留学に行かせてもらったり、そこで色々な国の人と出会うのが楽しかったから、今度は日本国内の国際大学に進学したり。仕事も昔から好きだったキャラクターを制作している会社に就職して、働いていました。

 

廣兼さん
すごい!!

 

− そういった経歴からの島根、だったんですね!

 

真彩さん
本当にまさか自分が島根に住むなんて思ってなかったです。付き合っていた人が島根に就職して、そのまま住みたいって言って譲らなかったので、私が折れる形になったんですよね。だから正直、前向きな移住だった訳ではなくて・・・

 

− うんうん、なるほど。

 

真彩さん
でも、益田にただ行くだけじゃもったいないなあと思ったので、ずっと好きだった、物を作ったり、デザインしたり、動画を作ったり、物事を発信するといったことは続けていきたいな、って思っていました。でも正直、そういうクリエイティブなことって、こっちではあんまりやってる人がいないかな、とか、できるかなって不安も。

 

− 確かに、やりたいことを0から実現していくって、なかなかハードルが高く感じてしまいますよね。
対して、廣兼さんがこの地域で行っている「もてつも」は、とても奇抜な活動をされているとお聞きしています。

 

廣兼さん
そうですね!
「もてなす
都茂心」、通称「もてつも」は地区全体の若い人の有志の団体なんですけど、ここらへんで一番大きい秋祭りで、神輿を担ぎながら地区内を練り歩いて、道ゆく人に餅を投げてお祭りを盛り上げる「仁輪加 (にわか)」っていう地域の伝統を受け継ぐっていう活動をしています。
でも、それだけだとつまらんから、赤タイツを着ちゃおうって(笑)

真彩さん
若い方ならではの視点で、すごく面白いですよね!益田の人に「都茂に住んでます」って言うと、「あ、あの赤タイツの!」という反応をよくいただきますよ!

 

廣兼さん
え〜、そんなに知られてるんだ!!

 

真彩さん
うんうん、私はまだ実際には見れていないけど、噂になってます!

 

− こんなにも斬新なアイデアってどのように実現されたんですか?



廣兼さん
初めのきっかけは、前の公民館長の声かけだったかな。若い人らで集まって何かやってみんか?って言われたものの、やることは決まってなかったんだよね。
そこで、都茂地区内のうち6つくらいの自治会に行って、自治会長さんから地域の課題を聞いて回ることにしました。もちろん、最初はプシュって開けて乾杯して。(笑)

 

真彩さん
ここらへんで何事にもお酒は欠かせないですよね!

 

廣兼さん
そうそう、正直なところ、みんな飲みたいだけだったかもしれん(笑)

まあでも、自治会の現状みたいな硬い話も、飲みながら聞いてみたからこそ、祭りの担い手がいないっていう本音が聞こえてくるようになった。
ただ、それを聞いて『自分らに今から何ができるんだろう?』って行き詰まったこともあったかなあ。

「ここだからいい」そう思える理由

− お話を聞いていると、お二人とも育った環境は違えど、これまで新しい場所や人との出会いを求め続けているっていう共通点があるのかな?という印象を持ちました。
お二人がそう考え、行動されている理由や経緯などがあったら、ぜひ教えてください!

 

真彩さん
私は高校生の時に挫折したことがあって、その時は、真っ暗な部屋に一人で、「どん底だわ」って、「もうこの後の人生どうなるんだろう」って思ってました。
けど、その時に参加することになった海外研修が「世界ってこんなに広くて、自分の悩みってちっぽけなことなんだな、生きてるうちにこういう広い世界を見てみたいな」って思わせてくれたんです。
その時興味があった韓国にとりあえず行きたいなと思って、高校卒業後に留学へ行きました。

 

廣兼さん
すごいね、それは!親御さんも衝撃だっただろうね。



真彩さん
そうですね。出発前には、韓国語中級レベルまで習得して、お金も自分で貯めたので、「もうそこまでするなら止められないね」っていう感じだったと思います。(笑)
その後進学したり就職した大学や北海道も、色々な国の人に出会えたり、オープンな環境であるところが好きでした。

− 対して、廣兼さんも「イエスマンだ」っていうお話があったと思うんですが、そうやって色々な人に会おうと思えるようになったのは、いつからだったのでしょうか?

 

廣兼さん
それは実は最近かもしれないですね〜。
実は、僕も高校に入ってからすぐに挫折を味わって、不登校になった時期がありました。
優等生だった地元の中学から進学校に入ったら、周りがすごくて。勉強が手に付かない、部活にも力入らないっていう悪循環で、どんどん自分が落ちていっちゃったんですよね。
その一番暗いところの自分に戻りたくないっていう気持ちがすごく強いです。

 

真彩さん
同じ時期に同じ経験をしていたんですね!

 

廣兼さん
そうみたいね!でもそこで「もういいじゃん部活だけやろうよ」っていう方に向かわせてくれたのが高校の友人達でした。
ほとんどの同級生は県外に出ていてここに残っていないけど、ときどきは集まって近況報告するような関係を持ててるのは嬉しいです。
それに、そのどん底の当時に戻りたくない!っていうのが頑張るためのエネルギーになってます。

 

− それこそ廣兼さんにとって救いになった”繋がり”は、Iターンの真彩さんにとっては、もともと不安の種でもあったのかな、という印象を受けましたが、実際移住当時はどう感じていましたか?

真彩さん
そうですね、お裾分けとかそういう田舎ならではの文化に最初戸惑ってたんですけど、最近になってやっと、お返しをすることが第一目的じゃなくて、お互いのことをよく思っているから、初めてお返しをするっていうことになるんだな、と思えるようになりました。
「あ、嬉しいな」という気持ちで素直に受け取っていいものなんだな、と思ってからだいぶ楽ですね。

水道管を間違えて壊しちゃった!っていう緊急事態でも、知り合いの人に電話して助けてもらうこともありますし、安心感が全然違うなと思います。

 

廣兼さん
うんうん、なるほど。

 

真彩さん
田舎の中でも、ここら辺って仲はいいんだけど、無理な付き合いはしないというか。私のような若い移住者でも、ここはすごくちょうど良かったです。
こういう都茂地区だから、益田暮らしが楽しいなって思えたかもしれない。

 

− 人の暖かさも感じつつ、プライベートな空間もあるということですか?

 

真彩さん
そうですね、仕事をしに益田の市街地に出て、帰ったらこういう空間があって。もともとやりたいと思ってたような、物を作ったり、デザインしたり、動画を作ったりも、いざやろうと思ったら全然できたんです。

移住当初は趣味でやっていた動画編集を、色々な方にいいねと言ってもらって、今は近くのデザイン会社で働かせていただけるようになりました。
こうやって、都会とは違って、田舎では他にやっている人がいない仕事だったからこそ、田舎ではチャンスがあるんだなあと思いました。

 

廣兼さん
ほ〜!そうなんだ!

 

真彩さん
そうやってみなさんがやりづらいことで、なにか力になれたらいいなあ、と思います。

 

− なるほど・・・ここで、「もてつも」の活動の新しさ、斬新さにも通づるお話なのかな、と感じました!

 

廣兼さん
うーん、「もてつも」は、自分たちも楽しいことをやってみんなにも喜んでもらえたらいいなっていうのが一番根底にあるかもね。

最初は地域の課題を洗い出して、どうしていくかってやろうとしたこともあったんだけど、やっぱり楽しくないと、続けていかれんと思う。

 

真彩さん
私も、需要ばかり考えるんじゃなくて、好きなことやり続けることが大切なのかな、と感じていました。そうすると、自分だけじゃなくて、周りの人や、そのまた誰かのためになるのかな、って。

 

ワクワクと挑戦のその先

− 最後にお聞きしたいのは、今後楽しみにしていること、やってみたいこと。いかがでしょうか?

 

真彩さん
やっぱり、私の夫も、こちらにIターンで来て「もてつも」に入ったので、”赤タイツ姿”を見れるのがすごい楽しみです!

 

廣兼さん
本当ね、二人がこっち来てくれてからずっとコロナで、祭りができてないけえねえ。だから、僕が楽しみにしてるのは、とにかく人が集まってもいい環境で祭りをまた再開することかな!

 

− コロナが流行り始めて1、2年経った今、もういいかあってなっちゃう地域や人もいると思うんですが・・・

 

廣兼さん
そうだね、特にご高齢の方はそうなっちゃうと思うんだけど、僕らはまだみんなうずうずしてると思う!

 

真彩さん
それはきっと若い人もみんな、もともとやらされじゃなくて楽しんでたからこそ、ですよね。

 

− 「もてつも」のそういう魅力が発信されていったら素敵ですね!!ラインスタンプとか、Tシャツとかも作ってみたり?!

 

真彩さん
楽しそう〜!握手会とか?ファンイベント?

 

廣兼さん
これからはそうやって外に魅力を発信をしていくのが必要になるので、確かにいいですね!!やっていきましょう!

 


 

都市の生活を経験したことがある人こそ感じる、田舎とのギャップ。
このようなある意味ネガティブにもなりうる部分を、お二人はそれぞれの道を思い描き、開拓していました。

真彩さんの「田舎ではできないかな、と思っていたことは、田舎『でこそ』できたらかっこいい」という考え方。

そして、こういった思考の変換には、「結局、何事もいかに楽しむか」という意識の持ち方が鍵になるという廣兼さんの言葉。

このような暮らしを味わうためのヒントは、実は立場を超えて共有されるものであるような気がします。

これからお二人がどのような新しい挑戦を試みることになるのか、注目です。

取材:一般社団法人豊かな暮らしラボラトリー
文責:益田市連携のまちづくり推進課

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