2024年11月29日 (金)

益田のひとづくり生きがい,趣味仕事,働くひと

「UIターン者のライフキャリア」MASCOS HOTEL 藤山涼子さん

UIターン者のライフキャリアシリーズでは、県外からUIターンされ益田市でいきいきと生活されている方を紹介し、自分なりの豊かな暮らしについて考える機会をお届けします。今回紹介するのは、MASCOS HOTELの藤山涼子さんです。

藤山さんが勤めているMASCOS HOTELは、地域に寄り添いながら、単なる宿泊施設にとどまらず、新しいカルチャーを発信する拠点となることを目的とした、島根県益田市発のライフスタイルホテルです。また同時に、空間デザインやインテリア、器、ファブリックなどすべてにおいて、窯元や家具職人、縫製メーカーなどの、地場産業と共同で開発することにこだわりぬいた、新感覚の「クラフトホテル」でもあります。企業の詳細は、こちらからご覧ください。

 

 

「こんな暮らしがしたい」がぼんやりと見えた学生時代

-今日はよろしくお願いします!最初に、自己紹介とこれまでのご経歴を教えてもらえたらと思います。

はじめまして、藤山涼子です。益田で生まれ、親の仕事の都合で幼少期は一時期、飯南町で過ごしました。小学校3年生のときに戻ってきて、それからは、ほぼずっと益田にいます。横田の出身で、西益田小学校に通い、横田中学校、益田高校と地元で学生生活を送りました。高校卒業後は島根県立大学に進学し、卒業後MASCOS に就職しました。社会人2年目です。

 

-子ども時代はどんな子だったんですか?

なんというか、結構「わかってる子」だったと思います。相手が期待していることを察したり、自分の言葉が相手にどう受けとめられるかを考えて話したり。ちょっと「いい子」に振舞うことを知っているというか……。

たとえば、小さいころに「将来なりたいもの」を聞かれたときには、「『お花屋さん』って言っとけばいいか」「『学校の先生』って言ったら『えらいねー』って言われるんだろうな」といったようなことを考えて返答する、そういうちょっと冷めた子だったと思います(笑)

 

-期待に応えたいという気持ちがあったんですね。口にしている言葉とは別に、「本当はこういう仕事がしたい」という思いはあったんですか? 

ありませんでしたね。ないから、「こう言っとけばいいかな」って。やりたいことがなかったんです。保育園の頃も、小学校に上がってからも。

中高生になって、これからの進路を考える段階になっても、相変わらずやりたいことは特にないままでしたね。口にする職業は「お花屋さん」から「公務員」に変わっていきましたが(笑)

ただ高校時代には、具体的な仕事のイメージとは別に、漠然と「こういう暮らしがしたいな」という思いを抱くようになったなと思います。

 

-どのような暮らしをイメージされるようになったんですか?

学生時代、 親の帰りが遅いときには近くの家に預けられていたんです。その家のおじいちゃんやおばあちゃんと過ごすうちに、これからも一緒にいたいな、つながっていきたいなと思うようになりました。

私にとって、そんなふうに「誰かと支え合いながらつくっていく暮らし」が少しずつ理想になっていきました。

 

 

恩師との出会い・バスケ三昧の学生時代

-クラブ活動や部活動は何かやっていらっしゃったんですか?

小学校の頃は吹奏楽をやっていましたが、身長が高かったので中学校ではバスケットボール部に勧誘されてそのまま入部しました。益田高校に進学してからもバスケに明け暮れて、部活一色の高校生活でした。バスケのために寝て、食べて、休憩して、学校に行って。

 

-部活動において、印象的だったことはありますか?

高校3年生のときにお世話になった顧問の先生との出会いですね。それまでもバスケ中心の生活を送っていましたが、その先生と出会ってから、一層バスケにのめり込んでいきました。私にとって、とても大きな存在です。

 

-素敵な出会いがあったんですね。その先生はどんな先生だったんですか??

かつての私は、「言われたとおりに、一心に取り組む」という姿勢だったように思います。示されたメニューをひたすらやり込んで、「先生に言われた通りうまくなれたな」とか「まだまだ練習量が足りないな」というふうに自分の取り組みを振り返る、それがバスケだと思っていました。

でもその先生と会ったときに、「もっと頭を使って考えることが大事なんだ」と気づいたんです。そこからバスケの中に、それまでとは違った楽しさが生まれました。習ったり調べたりするのにも一層身が入るようになり、習ったことを人に教える面白さも感じられるようになりました。

高校生としてその先生と部活動をしたのは3年生の1年間だけでしたが、島根県立大学に進学してからは益田高校のバスケットボール部指導者として関わり続けました。

 

-藤山さんのバスケットボール観を変え、大学時代にまで大きく影響した先生だったんですね!

 

 

お客様一人ひとりの宿泊と旅の楽しさをサポートしたい

-続いて大学生活について教えてください。島根県立大学へ進学されたのは、どういう進路を考えてのことだったのでしょうか。

当時は、「なんとなく」ですが公務員になろうと思っていたので、島根県立大学は地域との連携に力を入れているということも考え合わせて、総合政策学部に進学しました。そのときは大学卒業後は、益田市役所に勤めたいなと漠然と思い描いていました。

 

-地方公務員として勤めようと思うと、地域との関わりも大切になってきますよね。大学生活はいかがでしたか?

1〜2年生の頃は浜田市に住んでキャンパスに通っていましたが、その後はコロナ禍で授業がリモートになったので、それで益田に戻ってきたんです。大学生活も大半をバスケに捧げていたように思います。ずっとバスケの本を読んで指導力を上げることばかり考えていました。

実は私、大学に5年間通ったんですけど、途中コロナ禍で思うように活動できないときがあったものの、基本的にはずっと益田高校の体育館に通い続けました。

また、益田に戻ってきたタイミングで、今働いているMASCOSでアルバイトを始めたんです。

 

-大学に5年間在籍されたのはどういう経緯だったんですか?

実は、大学4年生も折り返しというタイミングで、MASCOSの社長から「就職する?」と声をかけてもらったんです。

 

-そうだったんですね…!でも、当時は市役所職員志望で公務員試験を受けようとしていらっしゃったんですよね?

そうですね、3年生の終わりぐらいから夏に実施される試験に向けて勉強していました。でも、社長の言葉で、「このまま就職という選択肢もあるんだな」と思うようになったんです。アルバイトをする中で、MASCOSを訪れるお客様から色々なお話を聞いたり、益田のことをお伝えしたりする、そんなやり取りが私にはとても楽しく思えていたので、ここで働いてみるのもいいかなという気持ちが芽生えてきました。

それで悩み始めてしまったので、社長には「考えさせてください」と伝え、4年生の秋学期を休学して考える時間にすることにしたんです。

 

-最終的にMASCOSに就職されたのには、どのような心境の変化があったのでしょうか?

休学中には、社員とほとんど同じ働き方をしていたこともあって、就職してからの自分の暮らしが思い描きやすかったんです。業務内容や、自分の時間がどれぐらいあるのか、など。

わたしにとっては、「仕事」だけではなくて、それを含めた「暮らし」全体が自分にとっていいと思えるかがとても大事で…!MASCOSで働いていると、そのイメージが湧いたんです。この暮らし方が自分に合っていると思えたことは就職先を定めるうえでの一つの要素でしたね。とはいえ最終的には、なんとなく自分の中で「ピンときた」という感覚的な部分が大きかったように思えます。

 

-「暮らし」を軸に選んでいらっしゃるんですね。MASCOSでのお仕事では、どのような業務をされていたのでしょうか?

アルバイトを始めたころから今に至るまで、主にフロント業務にあたっています。基本は事務連絡が中心にはなるのですが、そこから会話が広がってお客様とお話をするのが大好きで、働くうちに「この仕事がしっくりくるな」と思うようになっていきました。

 

-お客様とはどのようなお話をされるんですか?

お客様から「こういうところを巡ろうと考えているんだけど、どういう行き方がある?」といった観光について尋ねられることもあり、そこから会話が広がっていくイメージですね。お客様からの質問やちょっとした一言を受けて情報をお伝えして、喜んでいただけるというのが嬉しくて、宿泊のサポートに加えて自分なりに調べて観光案内をしているという感じです。

 

-お仕事をする上で、大切にされているのはどのようなことでしょうか? 

「お客さんに気持ちよく帰っていただくために何ができるか」を常に考えています。例えば観光に関するご相談の場合、年齢層やご本人の希望などを踏まえ、目の前のお客様に喜んでいただけそうなルートや、分かりやすいお伝えの仕方を意識してご相談に応じます。



-藤山さんの考えるMASCOSの魅力はどういうところにあるのでしょうか?

一番の魅力は「人」ですね。スタッフが明るく、話をして楽しくて、とても居心地がいいんです。そのことはアルバイト時代から感じていて、ここで働きたいと思った理由のひとつでもあります。

 

 

 

 

心地のいい暮らしを大切に生きる

-ここからは未来のことについてお話をうかがえたらと思います。これから先、挑戦してみたいことや、将来のイメージについて教えていただけますか?                            

そうですね。自分が理想とする暮らしができているか、自分が気持ちよく生きることができているかということを、私は一番大切にしたいと思っています。仕事も楽しくて、私にとって大切なものですが、それは生活の中の一部であって、自分の時間や、暮らし全体が心地のいいものであることを何よりも大切にしたいんです。

 

-藤山さんにとっての、理想の暮らしとはどのようなものなのでしょうか?

「自給自足」をしたいと思っていて。自分でいろいろな作物を育てて、周囲と助け合って生きていく、といった暮らしを送りたいんですよね。そういうことを考えたり、実際に畑仕事をしておすそ分けしあったりしている時間が、私にとってはとても楽しい時間で、幸せを感じます。

 

-今も実際に農作物を作っていらっしゃるんですか?

そうですね。一軒家を借りて野菜作りをしています。家にある小さな畑でも作っていますが、それとは別に、ほかの土地にある畑を借りているんです。今の時期だと夏野菜ですね。たとえば、トウモロコシ、オクラ、ピーマン等です。

 

-すごい!お仕事をしながら、野菜作りまでされているんですね!

小さい規模で、いろいろな方の力を借りながら、気ままに適当にやってるだけですよ(笑)でも、私がしたいことは、こういう時間のなかにあるように感じていて、こういう暮らしを大切にし続けたいと思ってるんです。

 

-そう思われるようになったのには、なにかきっかけがあったのでしょうか? 

大学生のときに、私の父の手伝いで高齢のご夫婦と生活をともにしたことがあったのですが、そのご夫婦がなんでも自給自足していたんです。お野菜は全て自分たちで育てたものですし、お魚も釣りに行くし。「なんだろうこの幸せな暮らしは」って思ってから、私自身もそういう生活を送ってみたいと考えるようになりました。

また、農業を営んでいる友だちがいるのですが、その手伝いをしているときにも、自分たちで作ったものを食べると「美味しいな」「幸せだな」と感じます。そういうことが重なるうちに、やっぱり自分でもやってみたいと思って、畑仕事を始めました。

 

 

-今の藤山さんは、自分の理想とする暮らしの全体像を抱き、生活のあらゆる面で、その暮らしを大切にすることを第一に、自分の道を選んでいるという印象を受けました。

そうですね。仕事を通じても、自分のしたい暮らしが実現できたらいいなと思っています。

たとえば、一つの理想を言うと、朝、外でコーヒーを楽しめる暮らしっていいですよね。雨の日だったりすると憂鬱だけど、 そんな日でも外でコーヒーを飲めたら気持ちよくなるかもしれない。思ったら、益田市にアーケード街を作りたいな、あったら楽しそうだなって、いつのまにか考え始めているんです。こんなふうに、「こんな暮らしをつくれたら楽しそうだな」というのを考えるのが好きなんです。

 

-ライフスタイルの多様化が進んでいますが、自分にとってどういう時間を大切にしたいか、どういう時間を積み重ねていきたいかについて自分なりの答えをもつことは、たやすいことではないようにも思えます。藤山さんはどのようにしてそれを実現しているんでしょうか?

色々な人と出会って、「この人の暮らしいいな」と思ったら、どんどんその「暮らし」のイメージを吸収していく感じです。ちょっとした出会いのなかに、惹きつけられる暮らしがたくさんあるんです。

犬の散歩中によく顔を合わせる人と次第に仲良くなる、とか、友人のちょっとした紹介がご縁で知り合うとか。旅先でふらっと入ったお店で言葉を交わした方に影響されることもあります。そんなご縁を大事にして、自分の中に取り入れていくのを続けていきたいですね。

 

-素敵なお話、ありがとうございました!

 

文責:益田市連携のまちづくり推進課
文章:一般社団法人豊かな暮らしラボラトリー

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