UIターン者のライフキャリアシリーズでは、県外からUIターンされ益田市でいきいきと生活されている方を紹介し、自分なりの豊かな暮らしについて考える機会をお届けします。今回紹介するのは、うみかぜ工作室の大石啓子さんです。
大石さん夫婦が営むうみかぜ工作室は、鎌手地区の海が一望できる高台にある工房で、廃材となる木材を活かして器をはじめとする各種木工品を製作・販売しています。うみかぜ工作室の詳細は、こちらからご覧ください。
家族でつくった、海の見える高台の家
-本日はよろしくお願いします!最初に、これまでのご経歴を教えていただけますか。
大石啓子です。今は、「うみかぜ工作室」という工房を営んで、木の器を作って販売しています。
出身は、京都市の伏見という、伏見桃山城があるあたりです。結婚を機に島根に移住するまでの30年間、ずっと京都に住んでいました。島根に来てからは、夫が転勤族だったので、松江、出雲、松江、益田、そしてまた松江と、県内をずっと転々としていました。
その後、夫の実家が久城にあったという縁もあり、ここに土地を買って家を作り、老後まで2人で楽しめるような住まいを設けようと考えました。それが今の家につながっています。今は、家族4人で住んでいます。
-お家の場所は、どうしてここに決めたんですか?
もともと「家を自分で作ってみたい」という気持ちがあって、海の見える高台に土地を探していたんです。その当時、色々な不動産屋さんを回りながら、希望を口にしていたところ、ある日、「いい物件が見つかりましたよ」と紹介してもらって。それがここですね。すぐに決めました。
-海に臨む工房はそうして生まれたんですね。ここから見える景色、本当に素敵です。
京都出身の私にとって、海は遠い存在だったこともあり、海がある暮らしに憧れていました。朝起きて魚釣りして、その魚が入った味噌汁を飲む、海沿いで犬の散歩をする、みたいな生活がしてみたかったんです。益田の海の美しさは本当に魅力ですね。
-大石さんのご自宅(母屋)と工房(離れ)は、塗装や内装などを自分で自らが手掛ける「ハーフビルド」というやり方で建てられたと伺いました。そのときのお話を詳しく教えてください。
最初に母屋を建てるときは、基礎工事と外装を専門業者にお願いし、内装を家族で仕上げたんです。ゆっくりみんなでできたらいいな、と思ってやってみたら、とっても楽しくて。その後、家でできることを生業にしていこうという話になったことから、離れを建てることになりました。それがこの工房です。
-このかわいい壁もご家族で作られたということですか?
木の板を一枚ずつ貼って、2年以上かけて仕上げた壁です…!実はまだ、出来上がっていないところもあるんですけど(笑)
母屋は内装のみを手がけたのですが、次につくった工房の方は、外壁もやってみたくなって。業者の方には基礎と梁と屋根だけ作ってもらい、あとは自分たちで作り上げました。
-すごい!外まで自分たちで、というのはなかなかできることではないように思います!
ご縁が広がるまちでの暮らし
-実際に益田に住んでみていかがでしたか?益田暮らしの魅力など、教えてもらえたら嬉しいです。
私にとっての益田の魅力は、なんといっても、いい人が多いところですね。「与えらえること」がとても多い場所、という印象です。そして、人との距離が近い。鏡のようなもので、自分がちゃんとしていたら、それがちゃんと返ってくるというか。まあ、何もしてなくても恩恵を受けちゃっている感じもあるんですけどね(笑)
そして、そうした関係性の中でも、いい意味であんまり気を遣わなくていいというか、かっこつけなくていいというか。素の自分のままでいられる、という気楽さは日々感じています。
実は、家を作っている時にも、建築会社さんや建材屋さん、多くの方が、いろいろなものをくださったんです。床材にタイルに……、本当にもらってばっかりで(笑)
また、家づくりの中でご縁があった方を介して、新しい人との出会いや仕事が舞い込んでくることもありました。たとえば、内装のために情報収集をしていたとき、タイルについて教えてくれた方と出会ったんですが、その方とのちに「とよかわの家(豊川地区にあるお試し居住施設)」でタイルアートワークショップをすることになったり……。そうそう、まさに昨日この工房にシャワーを新設する運びになったのですが、そのシャワーをくださったのも、その方なんですよ。
-ええ!シャワーってもらうものなんですか!?(笑)
私もびっくりしましたが、本当にありがたいことに、やってみたいことやほしいものを口にしていると、誰かが持ち込んでくれることが一度や二度ではないんですよね。木工の仕事に必要な木材も、地域の方がどんどん持ってきてくださって……。車の荷台いっぱいに木を積んで、突然いらっしゃるんです。そこに山積みになっている木は全部、そうして持ってきていただいたものなんですよ。器になれなかった端材は薪ストーブで燃料に。そうして出来た灰は畑に撒いて野菜を育てる。本当に、ありがたいな、と思って大事に使わせていただいています。
-そうなんですか!豊かな関係性のなかで、うみかぜ工作室さんの素敵な器も生み出されていたんですね。
子ども時代から育まれた、ものづくりへの愛着
-ここからはものづくりへの思いについて伺いたいと思います。ご自宅や工房もハーフビルドで手がけ、また現在は様々な器づくりをされていらっしゃいますが、以前からものづくりをしたいという思いがあったんですか?
幼少期からものづくりがとても身近な環境にあったことはあったんですけど……、実は、自分がものづくりを仕事にすることはないかな、と思っていたんです。
私の父はマネキンの造形作家だったんですが、その職人気質の父が、なんというか「作らずにはいられない人」で。テーブルも椅子も、みんな父の手作りで、小屋を作ったりもしていました。それを目の当たりにしていると、ものづくりには憧れるけれど、「私はあんなふうには作れない」という気持ちが強かったんですよね。それで、そういう道を選ぼうという考えには至らなかったんです。
-マネキン作家!?そんなお仕事があるんですか!
そうそう、粘土で人体を造形して、マネキンにするんです。父がゼロからものを生み出す様子を見て、「私には無理だな」と思っていたんです。
だから、社会人になってからも、ものづくりとはあまり関係のない職種を渡り歩いていたんです。でも、あるとき父が「早期退職して、自分で造形の仕事をしたい」と口にしたんですよ。それを聞いて、最後に親孝行をしようと思い、私も当時の仕事を辞めて、父親と一緒にものづくりの仕事をすることにしたんです。結婚するまでの間の3年間です。
-ものづくりをされていない時期が長かったことは意外でした。京都ではお父様とどういったものを作っていらっしゃったんですか?
色々なものを作りましたね。例えば、オムツや生理用品を開発する際の実験に用いるダミー人形の原型を多く作りました。下半身だけの透明な人体を作るんです。それが家にたくさんあるの、ちょっと面白いですよね(笑)
あとは、アニメキャラクターの等身大人形とか、大きなバスタブとか。いろいろつくりましたよ。
-どれも想像を超えるものばかりでとても面白いです…!ご結婚を機に島根にいらっしゃたということでしたが、ものづくりは続けていたんですか?
いえ、結婚してからは、ずっと専業主婦をしていました。転勤族で、益田に住まいを定めるまでは実家に子育てを頼りにくい状況でもあったので、子育てに専念していたんです。
-益田にいらっしゃってからその生活が一転した、という感じですか?
益田に来てからは、まずこの家づくりですよね。何か仕事をしようかなと思い始めたんですが、ずっと専業主婦だったし、子どももまだ見守りたいし……と思って。「外に働きに出るより、家を作ろう」と思いたったんです。
仮に業者に発注して壁を貼るのに20万円かかるとしたら、それを自分で手がけてしまえば20万円稼いでいるようなものじゃないですか。専業主婦なりの稼ぎ方ですよね(笑)
-確かに……!でもその発想がすごいし、それで実際にやってしまったこともすごいです。木の器を作り始めたのはいつ頃ですか?
木の器は4年ほど前ですね。体験教室に参加をしたのがきっかけです。そのときの師匠が、「一緒にやる人を探しとるんじゃ」って言ったから、「私やってみたいです」と立候補したんですよ。
-お師匠さんも、益田の方なんですか?
益田の美都にいらっしゃいます。元々宮大工さんをされていたそうですが、誰かと一緒に木の器づくりをしたいということで、私が手を挙げたので話が進みました。
でも、器づくりにおいて、私たちが師匠の手法を完全になぞっているわけでもないんです。師匠は「乾燥材」でしか造形をしない人なのですが、私は生木から作っています。乾燥材というのは、ちゃんと板の状態で乾燥させた材木で、きれいな円形の器ができます。生木から作ると、造形してから乾燥させるため、その過程でちょっとずつ形が変わっていくんです。だから私の器はみんな歪んでるんですね。
器づくりを始めようとしたときに、地域の方が選定した庭木や、伐採した丸太を持ってきてくださって、それを活かしたものをつくりたくて…!それで生木を活かす方法を調べているうちに、グリーンウッドターニングという手法があることがわかったんです。それで、生木での造形に特化していこうと決めました。
だから師匠と作り方とは全然違うのですが、自由な発想を許してくれる方だったので、私の作品も「それがいいよ」って受容して褒めてくださって。それでそれで1年ぐらい勉強させてもらったのちに、「もう好きにやりんちゃい。卒業!」、となり。そこから独り立ちした、という感じです。
-生木や廃材から器を作ろうという現在のスタイルは、そのころからすでにあったんですね。体験教室が器づくりとの出会いだったとのことですが、最初は趣味としてやっていこうというつもりで始められたんですか?
趣味ではありますが、いつかは仕事にしてみたいという思いはずっとありましたね粘土の素材で0から全部作っていく父親をみて、私にはできる気がしていなかったけれど、器づくりであれば、木材の塊が先にあって、そこから引き算で削っていく。なんだか、「それならできる!」という思いを抱いたんです。
ものをつくる人に憧れていたので、それができたという喜びは大きかったですね。いつからでも遅くはないんだと思いました。
「捨てずに活かす」のがうみかぜ工作室流
-この器には色がついているんですか?可愛いですね。
それは、木が割れてしまったところに、和紙を貼ったんです。生木で作るデメリットは、割れやすいこと。乾燥の過程でかなり割れてしまうのですが、うちでは補修をして使える状態にしているんですよね。
ほかにもたとえば、節の部分がくぼんでしまっているものなども、埋めてしまえば問題なく使える。私の造形は、「物を捨てたくない」というところからきているように思います。修復がどんどん上手になりましたね。「捨てない、極力使う」、私にとってはそれがテーマです。
-だから、端材でキーホルダーの製作などもなさっているんですね。器の和紙も、お話を伺うまではデザインだと思っていました。
そうそう、実は補修なんですよ(笑)
-とても素敵な直し方ですね!
うちの器は丈夫で、台所洗剤で洗えるんです。普段使いをしていただきたいので。実験を重ねたうえで、コーティングもしっかり施して、一つひとつ手間をかけて作っています。穴やひびが入った作品でも、「愛してくれる人のところに行け」って送り出したいんです。
-大石さんの作品は、穴もひびも、その不揃いな感じのなかに可愛さが感じられます。
私もこういうものの方が好きなんです。綺麗に整ったものよりも、なんだか、「生きてきた」って感じがするんですよね。
もとは廃棄されるはずだった材木を使うこともあります。建物を建てるための木材として切り出されたものだったのに、ここに筋が入っていたことではねられてしまったんです。これだけで、もう、建材には適していないとされちゃう。でも、木工作品であれば、こういう木目が、かえってアクセントになっていいな、と思うんですよね。
-捨てたくない、全部生かしたいという思いは、どういうところから生まれてきたのでしょうか。
どうしてでしょうね…!もともと、もらうという経験が多かったからかもしれません。服もお下がりが多いし、それ以外にもいただいたものが多かった。せっかくいただいているし、無駄にはしたくない、という思いが強いんでしょうね。
あとは、私の関西人らしい部分のようにも思います。関西圏には、いかに得したかが自慢になるような文化があるんですよね。「なんぼで買った。ええやろ。」「ただで手に入れたのはこうなった。ええやろ」みたいな(笑)
「楽しいこと」に乗っかりながら暮らす
-あるものを活かし、大切に使おうという思いは、大石さんの作品にも、また、この工房にも反映されているんですね。いただいたものを大切にして生きていくという、大石さんの生き方そのものが実現しているように感じました。
そうですね。でも、私は別に「叶えよう」と頑張ってはいないんですよ。そんなパワーも持っていないので。でも、ストライクゾーンが広いから大体なんでも楽しくて、益田で出会ったパワフルな人たちが生み出す流れに、「楽しそう」って乗っかってみるうちに、思い描いていたことが叶っていった、という感覚に近いんです。なんとなく好きなことを口に出してたら、うまい具合になった、その繰り返しです。巻き込まれ上手ではあったのかもしれません。
-それは大石さんに「この人と一緒にやりたい」と思わせる何かがあるんだろうな、と感じました。最後に、益田で暮らすなかで大切にしていらっしゃること、これから大切にしていきたいと考えていらっしゃることを教えていただけますか?
楽しく過ごすことですね。益田だからということもないのですが、とりあえずもう、死ぬまでの時間は一定だから、その時間は楽しく過ごしたい。嫌なことでさえも楽しいと思えるような気持ちでありたい。どんなことがあっても、そこにちょっと楽しいことを見つけられる。 見つけて暮らす。
こんなふうに笑っていますけど、私の日常にも、大変なことはたくさんあります。でも、そこで腐っててもしょうがないから、日々1個は、楽しいこと、笑えることをみつけながら日々を送りたいなと。
-貴重なお話ありがとうございました!
文責:益田市連携のまちづくり推進課
文章:一般社団法人豊かな暮らしラボラトリー