UIターン者のライフキャリアシリーズでは、県外からUIターンされ益田市でいきいきと生活されている方を紹介し、自分なりの豊かな暮らしについて考える機会をお届けします。今回紹介するのは、たばら助産院の田原恭子さんです。
たばら助産院は、産前産後のケアを中心とした助産院で、ベビーマッサージ教室や親子で楽しむ音楽会、子育て世代の心身のケアにつながる各種ワークショップなどを開催しています。
また、「益田のママたちの笑顔を増やしたい」「益田をママにやさしいまちにしたい」という思いから、田原さんとフリーアナウンサーの原田笑さんが立ち上げた「益田ママリトリートプロジェクト」は、ママが益田で癒されて子連れ旅を満喫できるようなモデルコースの作成や、益田の子育て環境の充実に向けた様々な活動に取り組んでいます。
たばら助産院の詳細はこちら、益田ママリトリートプロジェクトの詳細はこちらからご覧ください。
自分の「好きなこと」に気づいた小学生時代
–本日はよろしくお願いします!最初に、これまでのご経歴を教えていただけますか。
田原恭子です。広島県呉市の出身です。瀬戸内海側の、益田と同じように海が見える町で育ちました。海の方を眺めると、島と造船所が見えて、「崖の上のポニョ」に出て来そうな感じのところです。高校を卒業するまでその町で過ごし、大学進学を機に一人暮らしを始めました。大学の4年間で助産師の国家資格を取得し、病院で助産師として勤務した後に、たばら助産院を開院しました。助産師としての経験は20年以上になりますね。3人の男の子の母でもあります。
-呉市で過ごされた幼少期について聞かせてください。
両親と12歳年の離れた兄と、4人家族で暮らしていました。好奇心が旺盛で、人と接するのが好きな子どもだったように思います。チャイムが鳴ると玄関に駆けていってお客さんとお話をするような。
小学校4年生のときには、親の転勤のため、一時期横浜に住んだことがあって、そのときは慣れない環境の中で、少し苦労もしましたね。
-横浜にもいらっしゃったんですね。その頃のお話をもう少し聞かせていただけますか?
小学校4年生から6年生までの3年間、団地住まいをしていました。そのときは、都会で生まれ育った周囲の子どもたちと、自分との間に雰囲気の違いのようなものを感じて、1人でいることが多かったんです。
そんなときに、同じ団地の赤ちゃんとよく遊ぶようになって。赤ちゃんのママともお話しするようになって、小学生だったけど、ママたちのお茶会にも呼んでもらったりして(笑)いつのまにかおやつをいただきながらママのお話を聞く時間が、私にとってとても楽しい時間になっていました。思えばその頃の楽しかった記憶が、今の私に深くつながっている気がします。
-小学生の頃から小さい子のお世話をするのがお好きだったんですね!
そうですね。その頃は保育士になりたいと考えていました。小さい子の面倒を見るのも好きで、保育園の先生に憧れを抱いていました。
-それから助産師というお仕事に就くまでには、どのような経緯があったのでしょうか?
家族に医療系の仕事をしている人が多く、中学生になると医療系の資格を取得して自立して働きたいという思いが強まりました。助産師という職に就きたいと考えるようになったのは高校になってからですね。友人のお姉さんが助産師で、赤ちゃんを取り上げる仕事をしているという話を聞いて、この職への興味がわきました。
職業として携わりたいという思いももちろんありますが、自分自身もいつかは結婚して子どもを産みたいと思っていたので、自分のこととして赤ちゃん誕生の不思議について知りたいという思いも強かったです。
ハードな大学生活を経て助産師の道へ
-そこから大学で助産師資格を取得されてお仕事にされるに至ったんですね。大学時代のことについてお話を聞かせていただけますか?
大学時代はとにかくハードでした。助産師資格を取るために広島大学医学部の保健学科に進学しました。看護師資格を有していないと助産師にはなれないので、看護学を専攻して、保健師の資格も取れるということでそれも目指そうと思って。一度に国家試験を3つ受験することになるので全然休みがないんですよ。
周りの大学生は楽しそうに遊んでいる子もいる中、実習に行って、論文を書いて、国家試験対策をして……。実習が夜遅くに及んだり、レポートに追われたりで、泊まり込みのこともありましたね。でも、その時期に仲間と一緒に頑張ったからこそ今があるし、あのときに頑張って良かったな、と、今は心から思います。
-忙しい大学生活だったんですね。その日々を乗り越えようと頑張る上では、同じ志をもった仲間の存在が大きかったということでしょうか?
本当に大きかったですね。助産師を志している子は、同級生50人中6人しかいなかったので、互いに「頑張ろう!」と声を掛け合い、助け合っていました。今はそれぞれの道を歩んでいますが、ときどき同窓会を開いて交流しています。
-大学を卒業した後は、助産師としてお仕事に就かれたということでしたが、ずっと憧れてた職業に実際に就いてみて、どうでしたか?
最初は広島市内の総合病院に就職して、7年間助産師として働きました。仕事は多岐にわたっていて、お産を取り上げたり、赤ちゃんのお世話をしたり、産後のママのケアをしたり、マタニティクラスをしたり。
現場に出ると、助産師という仕事に伴う「命と向き合う」責任を強く感じました。命がけで出産されるママをケアしていく仕事なので、緊張感も常にあります。でもその分、無事に出産されたら、心から私も嬉しくて、その充実感も大きかったです。
ただ、もっと一人一人に深く関わりたいという思いも生まれて。たとえば、病院では勤務交代制で勤めていたので、自分が対応をしていた方がもうちょっとでお産になりそうなとき、勤務交代の時間になってしまうと見届けることができないということもあるんです。
-広島市内の総合病院で勤めた7年のあとは、どのような道を歩まれたのですか?
結婚を機に仕事を辞めて益田に来ました。当時はこのまま専業主婦になろうと思っていたんです。それで、1年は仕事に就かないまま益田で生活していたのですが、やっぱり人とのつながりがほしいし、助産師のいう仕事が好きだということが離れてみてわかったので、益田の病院に再就職しました。
子育て経験を通して膨らんだ「ママをケアする場づくり」という夢
-田原さんご自身の益田での子育てについても、ぜひお話を聞かせてください。
結婚から5年経ち、第1子を妊娠しました。結婚後なかなか妊娠できず、子どもを望んでいるのに授からないことに悩む日々は、私にとっては出産以上に辛かったです。仕事では妊婦さん、ママ、赤ちゃんに関わりながら、自分は妊娠できないという事実を突きつけられる思いでした。それだけに妊娠したときは本当に嬉しくて、重かったつわりさえ妊娠の証だと喜べるほどでした。
-現在は3人のお子さんを育てていらっしゃる田原さんにも、そんな時期があったんですね。
そうなんです。第一子を出産してからは、ぽんぽんと授かって、ありがたいことに今は三兄弟の母です。。これも長男が道を作ってくれて、子育て中の子どもに合わせた健康的な生活で妊娠しやすい体づくりができたおかげだと思っています。こんなに愛おしい存在が生まれてきてくれて本当に幸せだと心から思っています。
-そうだったんですね。とはいえ、やっぱり3人のお子さんを育てるのは、大変ですよね。お子さんが小さかった頃の思い出などを教えていただけますか?
妊娠、出産、子育て、また妊娠を繰り返す日々は、本当に大変で、それまで仕事としては出産に立ち会ったり、赤ちゃんやママのケアをしたりしていましたが、いざ自分となると、外から見るのとは違う世界がたくさんありました。リアルな赤ちゃんは、24時間自分のタイミングで泣いたりぐずったりして自分の欲求を伝えます。赤ちゃんの生活に合わせて自分自身の生活を変えていくことも、上の子と下の子の思いに寄り添っていくこともマニュアル通りにいかないことがたくさんあると痛感しました。
-ご自身の子育て経験を経て、大きな心境の変化があったんですね。それが今のお仕事にもつながっているのでしょうか。
そうですね。Iターンしていることもあり、頼る人がほとんどいないなかで子育てをすることの難しさを感じていました。実際、核家族で子育てをされている方もたくさんいらっしゃいますよね。そこから、「ママたちが安心して子育てできるようなサポートや環境を作りたい」と思うようになりました。
-それが今の助産院を開院されるきっかけだったのでしょうか?
根底にあったのはこうした子育て経験や、そのときに抱いた思いだったように感じています。子育て中に勤務していた病院を退職し、益田市の事業で赤ちゃんの体重を測ったりママの相談を受けたりする仕事をしはじめました。そのなかで地域のママたちとの繋がりができ、ベビーマッサージの資格を活かしながら、赤ちゃんやママのケアができる場所づくりをしてみたいと教室を開いたのが助産院の始まりです。
でも、実際に一歩を踏み出すに至ったのは、あるイベントで出会った高校生の言葉があったからなんです。
高校生の言葉が一歩を踏み出すきっかけに
-高校生がきっかけだったんですか!そのお話、ぜひ聞かせてください。
益田版カタリ場(現在は、「対話+」という名前で益田市内の学校で実施されている、ライフキャリア教育事業)という、高校生と地域の大人が対話をするイベントに参加したときのことです。
事前に「人生グラフ」といって、自分の人生を時間軸と満足度で表した図を書き、当日はそれを題材に、自分について話すんですね。横軸が人生の時間で、どのときにどれぐらい幸せを感じていたか、あるいは感じていなかったのかについて、波線グラフにしたものですが、そのグラフを書いていたら、三児の母として育児に打ち込んでいたその時の幸福度があまり高くなくて、自分でもびっくりしたんです。
-人生グラフに書いたことで、自分の気持ちを俯瞰してみることができたということでしょうか?
そうなんです。「今が一番幸せ」って思えていないということに、その時気づいたんですよね。グラフで表してみると出産した時はもちろん幸せに感じてましたが、その時子どもたちは6歳、3歳、0歳、3人の育児に追われてもう毎日が忙しすぎて……。先のことについて考えるだけの余裕もない日々でした。
そのグラフを持って益田版カタリ場に行き、イベントの終わりに生徒さんから感想のお手紙をもらったんです。そこには「私は、いつでも今が1番幸せと思える人生にしたいです。」と書いてありました。
それを読んだとき、本当にはっとしました。イベント中に高校生から「いつが一番幸せでしたか」という質問が投げかけられて、私は「独身でバリバリお仕事をしていた頃が1番楽しかった、今は毎日をこなしていくだけで精一杯だから」と答えたんですよね。その子はその言葉を聞いて「自分ならこう生きたい」と伝えてくれたんだと思います。
その手紙を読んだことで、何が自分にとっての一番の幸せなのか、これから自分は何をしたいのかをもっと考えながら生きたいと思うようになりました。この忙しい子育ての間でも、自分らしい小さくても一歩が踏み出せることはないかと考え、ベビーマッサージ教室をやってみたいと思ったんです。それが今の活動につながっています。その時の高校生は、大人を変えることになるなんて思ってなかったでしょうし、思ったままを書いただけだったと思いますが、あのときの素直な言葉をもらえたことがきっかけとなったので、とても感謝しています。
-本当に高校生の言葉が大きく影響したんですね。素敵なお話をありがとうございます。
ママたちの笑顔が一番のやりがい
-ベビーマッサージ教室から今の助産院の形になるまでにはどのような経緯があったのでしょうか?
赤ちゃんにふれながら親子の絆を深めて、発達を促すベビーマッサージ。そんなベビーマッサージのプレ教室をやってみると、そのうちリピーターの方ができたり、お友だちを連れてきてくれる方がいらっしゃったりして、私も続けてお仕事として取り組んでいきたいと思うようになりました。そして、2019年5月にたばら助産院を開業しました。
-助産院を続けるなかで、やってて良かったと思う瞬間、やりがいを感じる瞬間はどのようなときでしたか?
ママが笑顔になって帰られる瞬間ですね。本当に忙しい日々を送るママのケアを一番大切にしたいので、来院した方に、「癒された」「楽しかった」「いい時間を過ごせた」と言ってもらえることに1番やりがいを感じます。ママが元気で笑顔でいられたり、自分らしくいられると、それは家族の笑顔にも幸せにもつながっていくと思うんです。
ママは家で赤ちゃんと向き合って生活してる時間が長くなるので、どうしても孤独になりやすいんです。赤ちゃんって、どのタイミングで眠たくなったり泣いてしまうかわからないから、大きくなるまでは、外出さえも難しい。そうなると、気持ちの切り替えもしにくくて、ずっと気持ちが沈み込んでしまうママもいて。だから、安心して過ごせる場所を地域で作れるといいな、という思いが強いです。「どんなにぐずっても、オムツ替えや授乳もここだったら大丈夫」という場所が家以外にあれば、ママの出かけるハードルが下がると思うので。
-小さい子連れの外出って、周囲に迷惑をかけないか心配してしまいますよね。
そうなんです。だから安心して過ごせる場所を作りたくて。あとは、同じ子育て世代同士で繋がり合って友だちを作ってもらいたいな、とも思っています。共感しあえる仲間ができることは、ママにとって本当に心強いことですし、安心にもなります。。益田市の委託事業で行っている産後ケアは、1対1なので、細やかにケアできて、ベビーマッサージ教室だと集団での開催になるので、ママたちのコミュニティができていきます。
1対1でないと話しにくい相談や授乳などは個別にうかがって、一緒に楽しみながら子育てを頑張ったり成長を喜び合ったりできる場はベビーマッサージのコースで、という感じで、個と集団それぞれの良い面を大切にしています。ママのニーズも様々で、いろいろな場がある方が、いろいろな思いを引き出せて、それぞれのママに合ったケアができると感じています。
-最近は、ベビーマッサージのコースでコミュニティ作りをされているとうかがいました。
今は1ヶ月に1回集って、ベビーマッサージ講座の4ヶ月間のコースを開催しています。
スタートから一緒で、回数を重ねる中でお互いを知っていくことのできるベビーマッサージコースは自然と仲良くなっていて、それぞれの赤ちゃんの成長を一緒に喜び合えるんです。寝返りなど赤ちゃんが新しくできるようになったことを「すごいね」って褒め合ったり、赤ちゃんのご機嫌が斜めのときは「そういうときもあるよね」って声をかけあったり。温かいコミュニティができているように感じます。私から教えることもありつつも、ママ同士でお悩みを解決できてたり、ママたちが自分で対処できる力をつけられるように、私は手伝いすぎず、見守り、寄り添うということも大事にしてます。
毎日頑張るママたちに癒やしとエールを届けたい
-ありがとうございます。続いて、益田ママリトリートプロジェクト(略称:ママリト)についてもお話をうかがいたいと思います。ママリトの活動内容と、どのようなきっかけで始まったのかについて教えていただけますか?
益田ママリトリートプロジェクトは、私と、フリーアナウンサーの原田笑(はらだ・えみ)さんの2人が、大好きな益田でママの笑顔を増やすために立ち上げたプロジェクトです。
私も原田さんも、Iターンでやってきた益田の地で子育てをしているという共通点があって。原田さんは都会での子育て経験もあるのですが、益田に移住してきたときに、自然豊かで、子どもをのびのびと遊ばせてあげられ、地域や保育園でいろいろな経験をさせてもらえるというところに感動したそうです。それで、こういった益田の良さを都会のママたちにも感じてもらいたいと考えるようになった原田さんと、益田で子育てサポートのお仕事をしていた私で、一緒にママが癒されるような旅のプランをご提案したり、益田をママに優しいまちにしたいという思いで立ち上げました。
-ママの笑顔をもっと増やしたいという思いが活動につながったんですね。プロジェクトについて、具体的にどのようなことをされているのか教えてください!
このプロジェクトは、2年前に募集のあった第3回萩・石見空港利用促進プランコンテストに応募して最優秀賞をいただいたんです。そこで、まずは空港をママに優しいものにしていこうと紙おむつ等が購入できる自販機の設置に向けて働きかけたり、授乳室のプロデュースを行ったりしました。また、首都圏にいらっしゃる子育て世代の方々を対象に、益田を楽しんでいただくためのモデルコースを作っています。
萩・石見空港は、もともとママに優しい要素をたくさんもっているんです。市街地の近くにあり、直行便で東京まで行けて、空港自体もコンパクト。子どもが迷子になる心配も少ないですし、降りた後も空港内で借りたレンタカーを受け取ってすぐに出発できるんですよね。
空港を出てすぐのところには風の丘広場という公園があって、飛行機を見送ったり草滑りで遊んだりもできます。今後は首都圏に向けたPR活動や発信を継続しつつ、益田のママたちにも益田での子育てをもっと楽しんでもらえるように、新たなイベントを企画開催していきたいです。
-田原さんのお話で、益田や萩石見空港の魅力にあらためて気づくことができたように思います。田原さんご自身が子育て経験の中で感じた、益田の魅力はどのようなところにあったのでしょうか。
自然豊かなので、「思いっきり走っておいで」と子どもたちを送り出せるような場所がたくさんあることが1番の魅力だと思います。川も海も山もあって、どれも近くて行きやすい。海も川もあるって、なかなか他にない環境だと思います。来年はママ向けの川流れ遊びのイベントも企画していきたいと考えているんです。
-お子さん連れの外出や旅行って、どうしても保護者の方が疲れてしまいがちだと思うので、ママの楽しさや癒やしにスポットを当てた企画は子育て世代に喜ばれそうですね。
そうですね。都会からお子さん連れで来られたご家族の方には、この地でリフレッシュしてまた頑張れる、そういう場所にしてもらえたら嬉しいですし、リピーターになってもらえて、中期滞在してもらったり、いずれは移住につながってほしいと考えています。
-ありがとうございました。
最後に、これからの田原さんご自身の目標や展望について教えてください。
益田を、「ここで子育てして良かった」「もう1人産んで育てたい」と思ってもらえるような場所でありたいと思っています。人を一人育てるという「子育て」は、かけがえのない命を育てていく本当に大きなお仕事ですよね。だからその子育てを一生懸命頑張っているママたちを癒やしながら、応援したい、その一心です。
いろいろな繋がりや子育ての知恵は、子育ての楽しさを倍増させてくれますし、気持ちも前向きに切り替えていくこともできます。私がこれまでに得てきた経験と知識をもって、これからもママと赤ちゃんをケアしていきたいです。そのために私自身も学び続けて、いつでも力になれる準備を万端にしていたいですし、私と同じようにママたちの力になりたいと思ってくださる子育て支援者の輪を広げていきたいです。
-貴重なお話、ありがとうございました!
文責:益田市連携のまちづくり推進課
文章:一般社団法人豊かな暮らしラボラトリー