UIターン者のライフキャリアシリーズでは、県外からUIターンされ益田市でいきいきと生活されている方を紹介し、自分なりの豊かな暮らしについて考える機会をお届けします。今回紹介するのは、二条地区で農業に従事され、つろうて子育て協議会の一員としても様々な地域活動を展開されている豊田美絵(とよた・みえ)さんです。
自然豊かな環境で育った子ども時代

–本日はよろしくお願いします!最初に、自己紹介とこれまでのご経歴を教えていただけますか?
豊田美絵です。「杉の町」の異名をもつ、鳥取県八頭郡智頭町の出身です。自然豊かで杉林がたくさんある町で生まれ育ちました。
–小中学生の頃はどんな子どもでしたか?
とにかく勉強が嫌いで、遊ぶのが大好き。山で遊んだり、秘密基地を作ったり。川や田んぼでもよく遊びました。小さな滝のようになった水路で修行ごっこしたり(笑)毎日が楽しくて、自分をとりまく環境すべてが大好きでしたね。
–自然豊かな場所で生き生きと楽しんでいらっしゃる姿は、今に通じるものがあるかもしれませんね。
そうですね。一方で、あの頃はずっと“社会に出たい病”にかかっていたんです(笑)幼少期から、働いてみたいという気持ちがとても強かったんです。自分でお金を稼いで、その対価をもらうことに憧れて、その日が来るのを心待ちにしていました。
–そんなに小さな頃から働くことへの期待に胸を膨らませていらっしゃったんですね。実際には、どのような進路をたどられたのでしょうか?
農業高校に進学し、高校の教室に張り出された求人票からバスガイドの仕事を見つけて応募したんです。晴れて採用となり、卒業後はバスガイドになりました。就職してからは名所のいわれや歴史について一生懸命勉強しましたね。人生で一番勉強した時期だったかもしれません。学べば学ぶほどお客様への説明も馴染んできて、やりがいも感じられる仕事だったのですが、数年働いた頃、ライフステージの変化もあって退職することにしたんです。
子育てしやすい仕事を探して農業の道に
–益田にはどういう経緯でいらっしゃったんですか?
知人の紹介で働いていた会社が益田に新店舗を出すことになり、オープニングスタッフの一人として派遣されたんです。期間限定の派遣という話だったので、その時はまさかIターンすることになるとは思っていませんでしたが、当初予定より長く働くことになりました。そのうちに、様々なご縁があり、益田で今に至るまで暮らすようになりました。
–期間限定のはずがIターンに!今は、二条地区の横尾衛門さんで農業に携わっていらっしゃいますが、どういう経緯で就かれたんですか?
益田で働くようになって数年が経った頃、子育ての関係でそれまでと同じ働き方をするのが難しくなったんです。当時の仕事も好きだったのでずいぶん悩みましたが、「この子たちの親は私しかいない」と思って、他の仕事を探すことにしたんです。それまで接客業・サービス業を転々としてきた私でしたが、子育てとの兼ね合いを考えて、事務職に就くことにしました。
ただ、6年ほど勤めたときに子どもたちが小学生になり……、そこで再び、育児と仕事の板挟みになったんです。どうしても、子どもだって、学校にいきたくない日もありますよね。そういう時、どうしても自分も出勤時間が迫っているから気が急いてしまって、じっくり話をしないまま送り出してしまっていて。そういう日々を重ねる中で、私の中で「このままでいいのかな」と葛藤が生まれていったんです。
–お子さんが辛そうな様子を見ながら出勤するのは後ろ髪を引かれてしまいますよね……。
そうなんです。本当に思い悩んで、当時の上司に相談したのですが、「何が1番大切?」って聞かれて。その時、涙が止まらなくなりました。「大事な家族のためにも、まずは自分自身にゆとりが必要なのかもしれない」と思うようになったんです。
まさにその時、今住んでいる地区が「集落営農」という形態で農業をしていて、当時、その代表が義理の父でした。
またその頃、現在の代表の方がUターンされたんですよ。私と近い世代の方なのですが、その方が集落営農の一員として次世代を担おうとしても、年齢構成的に孤軍奮闘状態になってしまう。そうした状況を見る中で、「自分もやらないといけない」と思うようになったんです。
–それで今のお仕事に!その決断、二条地区の方はとても喜ばれたんじゃないですか?
義父は「ほんとにできるんか」と心配そうな顔をしていましたが……(笑)でも、私は頭で考えるよりとりあえず行動してみたいタイプ。できるかどうかはやってみないとわからないし、いろいろな仕事をしてきたからパッションがあればなんとかなる!と思ったんです。「ここで生計を立てたいです」「なんでもやります」と言って、いろいろなことを教えてもらいました。
トレードマークはピンク!地域の人とつながりながら働く

–お仕事をされる中で感じたことや新しい気づきなどはありましたか?
この業界の高齢化を痛感しました。就農されている皆さんは、それぞれにノウハウをもっていらっしゃるのですが、それを引き継ぐ次の世代が抜け落ちているような状況です。今のうちに技術を盗んでおかないと、という思いが強まりましたね。私がそれを教わっておくことが、これからの人たちのためになると考えるようになったんです。
–益田の農業をこの先にも繋いでいけるように、ということですね。農業というお仕事の良さはどんなところに感じますか?
子育てをするうえで、時間の融通が利きやすいというのはとてもありがたかったですね。それまでの働き方と比べると、ずいぶん柔軟に子どもとの時間が確保できているように感じます。
地域に住んでいる、働いている大人の一人として、地域の子どもから高齢者の方まで、様々な方と関わることができるのも、この仕事の魅力だと思います。働いていると子どもたちが通りかかったりもするのですが、そういうときに「おーい」って声をかけて、わかってもらえるようにアピールしています。
–豊田さんの作業着といえば「ピンク」の印象が強いのですが、もしかしてそのために?
そうですね。よくある作業着って、野山に溶け込んでしまう色合いじゃないですか。農作業の様子を遠目から見たら『ウォーリーをさがせ』みたいになっちゃう(笑)
でも、この色ならすぐに私がいるのがわかるから、お互い気にかけやすいし声もかけやすい。仕事をしながら、この地域の方たちと繋がり、気にかけあっていきたいという思いがあるんです。
–豊田さんの蛍光ピンクは、地域の方とつながりながらお仕事をされるうえでの一工夫だったんですね。豊田さんは地域活動や子どもたちの体験を豊かにするためのまちづくり等にも関わっていらっしゃいますよね。そうした活動はどのような流れで参加するようになったんですか?
上の世代に学び、引き継いでいきたいという思いが大きいですね。私がここに来た15年前は、当時60歳前後くらいだった方たちがエネルギッシュに色々なことをやっていらっしゃいました。「すごく活発な地域だな」と思いましたが、私たち世代がしっかり教えてもらっておかないと、こうした活動を残せないのではないかという気持ちも生まれました。
また、義父が地域で知られた存在だったこともあり、「〇〇さんのところのお嫁さんね」と声をかけられることが多くて。もちろん、そのおかげで早い段階からよく知ってもらえたのはありがたかったのですが、私は「〇〇さんの嫁」や「〇〇ちゃんのお母さん」と呼ばれるより、「美絵」というひとりの人間として認識してもらいたいなと思ったんです。だからたくさん活動して、これが私だって知ってもらおう、と思ったんです。そういう思いから地域活動に熱を注ぐようになりましたね。
「自分らしさを生きる」まずは大人が楽しみ輝く姿を見せたい

–地域活動のなかで印象深かったことがあれば教えていただけますか?
やっぱり子どもたちの活動ですね。私が関わるようになった当初は、子どもたちが楽しい時間を過ごせるように大人が環境を整える、といった形でした。大人は準備を頑張って、当日は子どもたちを見守ろう、みたいな感じです。
でもそれだと準備に当たる大人が苦しくなったり、疲れてしまったりすることもありますよね。それで、大人も子どもも一緒になって楽しめることをやればいいと思ったんです。大人も童心にもどって遊べば、子どもたちだってついてくる。そう確信していたので、「なんだこの輝いてる大人は!」って思ってもらえるような場づくりしようと思ったんです。
–大人たちの様子って、子どもたちはよく見ているし、その内面も伝わりますよね。特に思い入れのある企画について聞かせてください。
「つろうて子育て協議会」の一員として運営したイベントが思い出深いです。なかでも忘れられないのは「つろうてキャンプ(以下「つ~キャン」)」です。子どもたちの活動を考案しようというときには、大人になったときに「子どもの頃、こんなことしたんだよね」と振り返ることができたり、「これからこんなことしてみたい」と思い描く出発地点になったりする時間になればいいなと思っています。そういう場を、気負いすぎることなく、子どもたちの声に耳を傾けながら、大人も楽しめるように企画したい。「つ~キャン」はまさにそのコンセプトで変遷を遂げた企画でした。
「つ~キャン」の前身は、子どもたちが外泊から学校に登校する、という通学合宿だったんです。他の自治体の事例を模して始めたものの、地域の実情に合わない部分もあり、運営や子どもたちの受け入れに当たっている地域の方々にも疲れが見えてきたのが気になっていました。「ほかの自治体でうまくいっていたから」「やった方がいいといわれているから」という理由で現状維持をするよりも、楽しめる部分を抽出して、新しい企画を作っていこうと。
–それで、今の形になったんですね!
そうです。宿泊や登校が大事なのではなく、地域の子どもと大人で集まり、まずはキャンプを楽しむことを大事にしよう、というところから始めました。宿泊も、かつては地域内に分散させていたのを、小学校や宿泊施設に泊まる形に変えたんです。今となっては「親子キャンプ」ではなく、「子どもチャレンジキャンプ」になっています。
今の地域や子どもたちの状況に合わせて、みんなで楽しむ方法を模索し続けたいです。
–もともとあった活動を、大人である自分たちも楽しめる形にブラッシュアップしながら開催してきた末に、今の形があるんですね。最後に、今後のビジョンや、挑戦していきたいこと、やってみたいことについて教えてください。
挑戦で言えば、これまでもずっと挑戦してきましたし、これからもそのスタンスは変わらないんだろうな、と思いますね。何歳になっても、やったことのないことには果敢に挑戦していきたいです。
また、「自分らしさを生きる」ということを大切に、これからの日々を過ごしたいですね。「自分らしく生きる」というより、「自分らしさを自分がわかって、そのままを生きていく」というイメージです。心地よく、自分が好きだと思える「自分らしさ」を見つけて、それを実現するために生きていきたい、そう思っています。
–貴重なお話、ありがとうございました!

文責:益田市地域振興課
文章:一般社団法人豊かな暮らしラボラトリー