2021年1月13日 (水)

仕事,UIターン者サポート宣言企業仕事,働くひと

自分が関わる人と暮らしを楽しみたい

益田市UIターン者サポート宣言企業 公益社団法人 益田市医師会 社員紹介 川﨑 訓明さん

鎌手地区出身で、益田市医師会で作業療法士として働く川﨑 訓明さん。
大学進学と就職のため、益田を離れた経験を持つ川崎さんにUターンしたきっかけ、現在のお仕事や趣味についてお聞きしました。

幼い頃からあった、人の役に立つ仕事がしたいという思い

川﨑さん 父が野球をやっていたことから、小学校から野球をしていました。
自分の意思よりも親の意思で続けていましたが、市内の高校に入学をした時にこのまま野球を続けていいのだろうかと考えるようになりました。自分の意思でやりたいことがないかと考え、表現することがしたいと思い、自分の声や表情、身振り手振りで表現できる合唱部に入部しました。

合唱部の中で男性は少なく、女性がほとんどだったので、周りからの目を感じ、異質な存在としてクラスの中で浮いたりしました。ただ、それ以上に、周りのパートがある中でいかに自分を合わせていくか、綺麗なメロディーを自分の体を使って表現できることがすごく楽しかったです。

高校生活で勉強だけではなく、部活にも一生懸命に取り組んでいた川﨑さん。
今のお仕事である、医療に興味を持ち始めたきっかけを聞いてみました。

川﨑さん 中学時代に祖父が脳梗塞になったことが1番のきっかけでした。
その時にリハビリという仕事があり、その中に理学療法、作業療法、言語聴覚療法があることを初めて知りました。漠然と人の役に立つ仕事をしてみたいというのは幼ながらにあり、祖父が脳梗塞を患い、入院しているときにリハビリをしている風景を見たことが大きかったです。

益田を離れるという選択

原体験を持ったまま、高校に進学をし、部活や勉強に励んでいた川﨑さん。
実際に高校卒業後はどういった選択をしたのでしょうか。

川﨑さん 高校卒業後は、リハビリの国家資格をとるために福岡の大学に進学しました。
三隅にもリハビリテーションカレッジがありましたが、そこではなく親元を離れて一人暮らしがしてみたかったというのがありました。

ただ、漠然とですが、30歳を過ぎたら益田に帰ってきたいという思いは持っていました。

はっきり帰りたいと思うきっかけは、大学在学中に母が肝臓を悪くしてしまったことです。母が生体肝移植を受けることになり、私が提供者になったことで、リハビリの仕事として医療職につきたいと強く思いました。

親元を離れ、福岡の大学に進む道を選んだ川﨑さん。
お母さまが病気になられた時に、両親の思いを汲み取り、30歳を過ぎたら益田に帰ろうという気持ちも強まったと言います。

川﨑さん 同世代は、益田を離れてそのままそこで暮らす人もいれば、益田に戻ってくる人もいました。私は、益田に戻ることを選びましたが、田舎に戻ること自体のマイナス面は特に感じませんでした。
自分の中で30歳という基準は、知識も技術も一般レベルに到達しているのではないかということで設定しました。

大学時代で印象に残っていること、
その後の進路選択をどのように決めていったのかをお聞きしました。

川﨑さん リハビリの仕事に就きたいという思いで大学に入ったものの、ぶれていた時期があり、そのタイミングでアメリカのデンバーの短期研修に行き、アメリカの最先端の医療を見れたことが大きかったです。

大学卒業後は、益田に帰るという気持ちがあったからこそ、それまでは自分が望むところで自由に働きたいと思い、佐賀県の病院に就職しました。
目に見える遊びやお金を使って洋服を買うなど、自分が手に取れる範囲にいろいろなものがある生活圏で暮らしてみたいということも、職場選びに影響しました。

自分が求めていた仕事環境が医師会病院だった

佐賀の病院でキャリアを積まれたのち、医師会病院に就職した川﨑さん。
益田には多くの病院がある中で、なぜ医師会病院を選んだのでしょうか。

川﨑さん 私の友人が医師会病院で働いていたので、彼からいろいろな情報を聞きました。
佐賀県の病院では、脳卒中による運動麻痺がある患者さんに対して、最先端のリハビリを行っていたのですが、より実践的にやっていたのが医師会病院でした。さらに、医師会病院では、主治医と一緒に、患者さんが動きやすい体の状態にするための注射を行うなど、麻痺改善に取り組んでいました。そういった最先端の取り組みを行っていたのが、家から近いこの医師会病院だったことを当時は知りませんでした。もし知っていたら、真っ先に就職をしていたと思います。

自分が働きたいのはこの病院だというはっきりとした思いがありつつ、
30歳くらいまでに益田に戻りたい思いが重なったと川﨑さんは話します。

以前働いていた病院では、制約上できないことがある一方で、医師会病院では患者さんの実生活を意識したリハビリを主治医許可のもとで出来る環境だったことで、医師会病院への転職につながったそうです。

医師会病院で働き始めて、3年経ちましたが、
現在は作業療法士として患者さんのリハビリに関わっています。

川﨑さん 作業療法の「作業」は、遊びや仕事、料理などの一連の生活行為全般を指します。作業を通して日常生活は成り立っており、作業を媒介にして人の心や体を改善していこうというのが作業療法の考え方です。

具体例として、お父さんに朝昼晩ご飯を作って一緒に食べることが楽しみという女性の方がいた場合、立って料理をするためには包丁を握ることが必要で、包丁を握る筋力を鍛えたり、立つ筋力をつけたり、献立を頭の中で考える力も必要だということを細かく分析します。その上で、何が患者さんに必要なのかを実際にやりながら不足部分を補って、その人が生きたい生活をサポートすることが私の仕事です。

医師会病院で働き始めて、3年。
今のお仕事のやりがいについてお聞きしました。

川﨑さん 実際に関わるのは短期間ですが、患者さんの人生の一部分に微力ながらも携われることは大きいです。

突然、半身麻痺状態になり、片手しか動かせなくなってしまった人は、その直後は絶望感を抱くかもしれません。
しかし、片手しか動かせない人で日々の生活を楽しんでいる方は世の中にはたくさんいるので、楽しく生活したいという正の方向にいかにして持っていけるか、その過程に携われるところに私は誇りを感じています。

益田だからこその楽しみ方

作業療法士として、患者さんが日常生活に復帰できるようにサポートしている川﨑さん。仕事外でも自分だけの楽しみを見つけているようです。

川﨑さん もともとファッションが好きで、大学時代も楽しんでいました。
益田に帰ってきてからは「ユニクロ研究家」としてファッションを楽しんでいます。

仕事やプライベートを含め、いろいろな場に出るため、TPOをわきまえた服装を選ばないといけません。行く場所や会う相手によって服装が変わるので、それを益田でもユニクロという素晴らしい店を通じて、自分の個性を相手の範囲内で表現することが楽しいです。

日々出勤するときも服装を考えることで仕事へのモチベーションを整えているので、自分の好きなファッションに着替えて、仕事に行くのが大事な瞬間です。今は、ネット通販も整っているので、田舎にいても好きなことは出来るんだと感じます。

衣料品店がユニクロしかないという考えではなく、
今あるお店で、自分らしさを発揮する楽しみを見つけている川﨑さん。
その他にも地元鎌手の地域活動にも関わっているそうです。

川﨑さん 鎌手の地域自治組織内の「魅力づくり部会」の部会員として、立ち上げから関わっています。益田圏域に住んでいる地域の方とリハビリを通じて関わる中で、自分自身が益田のことや鎌手(大浜)のことを知っているつもりで知らないことに気付きました。

そんな時に、同じ職場で魅力づくり部会の部会長である、野村 道徳さんにお声がけいただき、益田で暮らしている人や魅力を理解する絶好の機会だと思い、部会に入りました。

大切な人と益田暮らしを追体験したい

鎌手の事業内容の活動に関わる中で、
一度益田を離れた経験を持つ川﨑さんに、益田の魅力やこうなったらいいなと思うところを聞きました。

川﨑さん 何かやってみよう!という時に背中を押してくれる人がたくさんいて、これがしたい!となった時に協力してくれる人が多くいると思います。

また、他県から移住してきた人の歓迎会を開催するなど、現代では希薄になっている地域内のつながりや温かみが益田にあることに、高校時代までは気付きませんでした。

自分からアクションを起こしたら、自分が思っている以上に良い反応をくれる人たちが多い地域なのかな、と益田に戻ってきてから強く感じました。

最後に、川﨑さんがこれから目指したいビジョンについてお聞きしました。

川﨑さん 地域や仕事で担当している患者さんには、目を向けられていますが、Iターン者である妻をはじめ、自分の近しい人に向き合い切れていない部分があると感じています。

今までは自分中心でしたが、自分が一番理解してほしい人たちと一緒に益田で暮らすことの楽しさや魅力を体験したいです。

取材:一般社団法人 豊かな暮らしラボラトリー
文責:益田市人口拡大課

facebook twitter
NEW

2021年1月13日 (水)

仕事,UIターン者サポート宣言企業

寄り添い続けることで地域に明るい未来を届ける。

同カテゴリーのエントリー

仕事のエントリー