2023年2月9日 (木)

益田のひとづくり仕事,働くひと生きがい

「恩師のライフキャリア」明誠高校 立小川慎先生

恩師のライフキャリアシリーズでは、益田市でいきいきと生活されている高校教員の方を紹介し、自分なりの豊かな暮らしについて考える機会をお届けします。今回紹介するのは、明誠高校の立小川先生です。

学校法人 益田永島学園 明誠高等学校は、普通科(特進コースと一般コース)と福祉科、及び通信制課程を設置している、私立高校です。
SDGsを取り入れた学校運営、留学や海外ボランティアの機会提供、ICTの導入、多様な大人と出会う学校設定科目キャリアサポート活動の展開など、時代の変化に対応した教育活動を積極的に行なっています。また、部活動も力を入れており、卓球部を中心に全国大会出場の常連校でもあり、全国から生徒が集まっています。高校の詳細は、こちらからご覧ください。

「好きなことは、とことん」という師匠の教え

-まず最初に、簡単に自己紹介をお願いします。

立小川 慎です。現在は明誠高校にて、国語と書道を教えています。
出身は、島根県大田市の温泉津町です。

中学では野球部に入りましたが、入る部活がなく仕方なく入ったということもあり、野球自体はそんなに好きではありませんでした。

そんなときに「しおかぜ駅伝」という、浜田市から益田市までの42.195kmを走る市町村対抗別の駅伝大会で、温泉津の代表に選ばれました。
そこから長距離走が好きになり、高校では陸上部に入りました。
高校も大田市内の高校に通っていたので、18歳までは地元を出たことがありませんでしたね。

好きなことは、書道と釣りです。
あとは、3歳の娘がいるので、家族と過ごす時間も大切にしていますね。

-素敵ですね。
書道や釣りは、いつからやっていらっしゃるのですか?

書道は、小学5年生のときに始めました。
もともと字を書くのが好きで幼い頃から書道にも興味を持っていたのですが、問題児だったこともあり、高学年になってやっと書道教室に通わせてもらえるようになりました。
高校生になってからも、部活をやりながら教室に通い、ずっと続けていましたね。

釣りも子どもの頃からやっていました。
ただ、高校1年生のときに知り合いに「この人は釣りのプロだ」とある人を紹介してもらって。
本業は散髪屋の方なのですが、「山陰の釣り」という雑誌にも掲載されるほど釣りが上手な方で、釣りの道具である「ウキ」の作り方を習いました。

今でも”師匠”として慕っていますね。

当時から、「同じ”やる”なら、とことんできるとこまでやれ。上手な人のやることをちゃんと聞け!」という教えだったので、おかげで自分の好きなことはとことん突き詰めようと思うようになりました。

書道とともに過ごした20代

-高校卒業後は、どのような進路に進まれたのですか?

高校の書道の非常勤講師が、書道の専門で大学へ行った方でした。
そのことを知って「大学で書道を学ぶことができるのか」と思い、自分自身も同じように書道の道を目指すことにしました。

ただ、どちらかというと実技よりも研究のほうに興味があって。
書道教室に置いてある雑誌のお手本を見て「この全体像がどうなっているのか知りたい」と考え、古い拓本や文物の研究をしてみたいと思うようになりました。

書道の専門に進むには、実技試験があったので、技術も磨かなければなりませんでした。
そこで、浜田在住の書道教室の先生のところまで習いに行き始めました。

親にも何も相談せずに大田から浜田まで突然習いに行こうとして、進学を含めて最初は猛反対されましたが、なんとか無事に説得しました。
そして、浜田でお世話になった先生に「本格的に書道を学びたいんだったら、東京の大学に行け」とすすめられたのが、母校に出会った最初のきっかけでした。

その後、無事に志望校に合格することができました。

そうだったのですね。大学生活はいかがでしたか?

「書道の東大」と異名がつくような大学の学科だったこともあり、同級生や先輩、上手な後輩との実力差を感じました。
島根と全国だとレベルが全然違うなと思いましたね。

ただ、僕自身は実技よりも書道の研究がしたいという気持ちで大学に行ったので、そこまで落ち込みませんでした。
「研究の分野であれば、自分のほうがよく知っているな」と思えていたのも大きかったように感じます。

大学では玉村霽山という師匠に習っていて、師匠のさらに師匠が宇野雪村という昭和の大書家の方で。
玉村先生は宇野先生の書庫にも特別に入るのが許されていた方で、当時の貴重な話をたくさんお聞きしました。

あとは、仕送りがきたらすぐに神保町の古書街に出向いて、届いたお金がみんなすぐに本に化けていくような大学生活でした(笑)
新しい本を見つけては、「こんな変わったものがあったよ!」と師匠に見せて。ずっと書道に向き合い続けた4年間でしたね。

また、教員になりたいという気持ちがあったわけではなかったのですが、国語と書道の教員免許の取得もしました。
あとは、本格的な競技からは引退していたものの、変わらず「しおかぜ駅伝」には参加していたので、島根にはしょっちゅう帰っていましたね。

-そうだったのですね。
そのまま、書家になろうとは思わなかったのでしょうか?

書家になりたいとは思いませんでしたね。
大学院で学びたいなという気持ちはあったのですが、4人兄弟の長男ということもあり、弟たちのことを考えたらそんな道楽はできないなと諦めました。
卒業後の就職も深く考えず「とりあえず島根に帰ろうかな」という気持ちで帰ってきました。
最初の1年間は書道の非常勤講師として、近所の高校を何箇所か掛け持ちしていました。
非常勤だったこともあり、なかなかそれだけで生活していくのも難しいなと思っていたときに、近所のおじさんから児童相談所の児童指導員の仕事をすすめられました。

嘱託職員という非正規雇用ではあったのですが、教員免許を持っている人がほしかったようでした。
その後、7年ほど勤めましたね。
現在教員をしている上でも、当時様々な事情の子どもたちと向き合ったことは、すごく大事な経験だったなと思っています。

-そうだったのですね。7年後にお仕事を辞めるきっかけは何かあったのでしょうか?

釣りの師匠に呼び出されて、「これからの人生を、どういうふうに考えとるのか!」と怒られたのがきっかけでした(笑)
正規採用ではなかったため、フラフラしているように見えたんでしょうね。

親には特に何も言われなかったのですが、釣りの師匠が唯一本気で僕のことを叱ってくれました。
「どこまで行っても、魚釣りは遊びだ!ええかげんにせえよ」と。

そこで初めて、公務員試験を受けて教員になろうと思うようになりました。

つながりが導いてくれた教員の道

-なるほど、そこで初めて教員を目指されたのですね。

はい、そうです。
実は父親が中学校の教員だったのですが、それがとにかく嫌でした。
家のことは何ひとつせずに放ったらかしで、部活だなんだと忙しくしていて。それなのに、家にいるときは偉そうなことばっかりで。

結局その後両親は離婚してしまったこともあり、「絶対自分は教員になんかなるもんか」という気持ちが根底にずっとあったのだと思います。
ですが、そんな父親の姿を反面教師に書道の教員になろうと決めて、採用試験を受けました。

ただ、その時は落ちてしまって。
数年後に通っていた書道用品店の社長から「あんた明誠高校で勤めんかね」と突然お声がけをいただきました。

明誠高校では寺井史明先生という書道界でも有名な方が非常勤講師として書道を教えていたのですが、還暦を迎えるためにちょうど後任を探しているタイミングだったようで。
「後任は、立小川しかおらんがな!」と、書道用品店の社長が名前をあげてくれたのです。

三十歳が目前に迫ってきたこともあり、国語と書道の教員を兼務すれば常勤として働けるという話だったので、受けることにしました。

そして無事に採用をいただいたときは、親よりも先に釣りの師匠に「受かったよ」と見せに行きましたね。
師匠はただ一言「よかったのう」と言ってくれて、すぐにお祝いの場を設けてくれました。

-素敵な関係ですね。
ここまで、いつもターニングポイントの際には、お世話になった方が導いてくれているように感じました。

確かに、そうですね。
気にかけてくれるナナメの関係の存在がたくさんいるのは、恵まれていたなあと感じます。

たまたま紹介してもらえて、たまたま自分がそれを手繰り寄せたというだけの話ではあるのですが、最終的に色々なことがつながった感じはありますね。

-確かに、これまでの出会いがつながっていますね。
それでは、これから先、どんな教員になりたいですか?

まずは、くだらない冗談を生徒と一緒に言い合って、笑っているような教員でいたいですね。

今は書道教員をしていますが、書道家を育てるためにやっているわけではなくて。
生徒たちには、色々な経験をして、生きる知恵を身につけてほしいなと思っています。

もちろん、採用試験までは学力が必要かもしれません。それに、できないこと探しをしたがる大人も多いです。
けれど、目の前のひとつひとつの出来事に対して、「どうやったら達成できるのか」「そのためにはどうしたらいいか」と、自分の頭で考える経験を重ねるほうが、大事なのではないかと思っているんです。

なので、くだらない冗談を言い合いながらも、そういったことを伝えていけるような教員でいたいですね。

益田だから、できること

-益田での暮らしはいかがですか?

住みやすい街だなと感じています。
適度に自然もあり、身近に空港もあるので、子育てをする土地としてとても良いですね。
こんな間近で、日常的に子どもに飛行機の発着を見せてあげられることもなかなかないだろうなあと思います。

-確かに、そうですね。
現在3歳のお嬢様がいらっしゃるとのことですが、お子様が生まれて変わったことはありますか?

変わったことはそんなにないかもしれません。
強いて言えば、魚釣りに行く回数が減ったぐらいですかね。当たり前ですが家庭優先になりました。ただ、少しの間行けなかったぐらいで魚も逃げはしないと思っているので、そんなに気にしていないです。

子どももだんだん大きくなってきたので、最近では一緒に魚釣りに行けるようになって、先日、キスを釣りに行きました。

釣った魚を前任の寺井先生のところに持って行ったとき、「おじちゃんにも今度魚釣りを教えてね。どうやったら釣れるの?」と聞いてくださって。
「投げて巻いときゃ、釣れるよ!」と偉そうに答える娘に、冷や汗をかきましたね。
先生は「こりゃ大物になるよ」と笑ってくれていましたが(笑)

あとは、うちの親父と同じようにはならないようにしようという気持ちもあるので、18時には保育所に迎えに行き、帰るようにしていますね。
生徒にも「お迎えがあるけえ、18時以降は厳しい」と伝えていて、理解もしてくれています。

仕事が忙しいときは、結局お迎えのあとにまた学校に戻ったりもしているのですが、なるべく家族の時間は大切にできるようにしていますね。

-なるほど、素敵ですね。
最後に、これから先やりたいことはありますか?

仕事面では、クビだと言われない限りは任されている仕事は一生懸命頑張りたいですね。
プライベートでは、家族仲良く暮らしたいです。

あと、実は最近神楽も再開していて。
5年ほど離れていたのですが、後輩が神楽のためにUターンで帰ってきたこともあり、一緒に頑張りたいなと思っています。

今のスケジュールに加え、所属先が隣の浜田なので休日や夜の時間に稽古が加わると大変になるとは思いますが、それも楽しみですね。

-神楽は、まさに石見ならではですね。貴重なお話ありがとうございました!

取材:一般社団法人豊かな暮らしラボラトリー
文責:益田市連携のまちづくり推進課

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