2022年5月27日 (金)

益田のひとづくりおしらせ地域づくり生きがい益田20地区,高津

田舎だからこそ自分軸で生きる。海、仕事、子育ての循環の中で

「『型にはまりたくない』『自分軸で生きたい』そこは本当にずっとこだわってきたかもしれない。」


自分色でデザインする益田暮らしを紹介するインタビューシリーズ。第二弾は、【仕事】と【子育て】を大好きな海に囲まれた【自然】のある町でデザインする「ますだのひと」、中嶋綾果さん。

強い信念を感じる冒頭の言葉とは裏腹に、どこに行っても人を惹きつけるくらい笑顔と気さくさが印象的な人物です。

肩書きを鍼灸師として、下は0歳から上は94歳まで、文字通り老若男女に愛される「あや鍼灸堂」を切り盛りしつつ、益田の恵みを拠り所に暮らしの循環を創っています。

そんな綾果さんを突き動かしてきたモチベーションは、自分でも納得できる生き方、納得できる仕事をしたいという強い信念。

 

「ただこなすだけの仕事をしたくない。」

「そのためにも暮らし方を整えられるのは益田なんじゃないか。」

 

この直感は、輝かしいキャリアを築いた大阪という拠点から益田への移住を後押ししたのだそうです。

 

益田は、自分の”スタイル”を持ってると暮らしやすい場所だと思う。もちろんとやかく言われることもあるよ、でも全然そんなの気にしなきゃいい。都会にはないもの、お金で買えないものがたくさん揃ってるからね。

 

そう語った綾果さんの真意と、その”スタイル”の保ち方について話を伺いました。

 

 


今回の主人公:中嶋綾果さん

「あや鍼灸堂」の経営者・施術師。
高校卒業までを益田で過ごし、鍼灸師の資格をとるため大阪の専門学校へ進学・就職。その後26歳の時にUターンして以来、島根県益田市を舞台に、仕事だけでなく私生活全般を通して、自分のスタイルを貫いてきた。現在は2児の母としても日々奮闘中。


 

自分が一番納得できるような仕事がしたかった

鍼灸師という職業に出会ったのは、水泳に打ち込んでいた高校時代。親の影響からか、当時から「自立すること」「型にはまりたくない」という意思を持っていた綾果さんは、鍼灸師という専門性に憧れ、大阪の専門学校に進学

その後順調に免許を取得し無事卒業することになるが、そこで始まったのは「先生」としての多忙な日々でした。

当時は、考える余裕もなかったから忙しかったな。もうひたすら経験を積むだけ、ひたすら数をこなしていくだけっていう感じで、なかなか納得のいく治療はすぐにはできなくて。なんか人の役に本当に立ってるんかな、このままでいいんかな、ってずっと思った。

 

そんな焦りがあったからこそ、とにかく大阪でできること、やりたいことはひととおり経験しようとがむしゃらに駆け抜けた綾果さん。


仕事の合間を縫って、リフレッシュをしに通ったのは、決まって海だったそうです。

写真を見返してみるとね、海外にもよく行ってたなあって思い出した。海外旅行に行く時は、いつでもまた遊びに行けるように、現地の友達を必ず作るっていうルールを自分に設けたりもして。とにかく一息つく暇もないくらい、仕事して、遊んでた大阪時代は充実していたかもしれないけど、帰宅後ふとしたときにすごく孤独感を感じたのは今でも覚えてる。

 

怒涛の日々を経て、ようやく自信がついたころにやっと胸を張って地元の益田に帰ろうと思ったのは、故郷を出てから8年後のこと。当時26歳にして、夢だった個人院をお気に入りの海の近くで開業しました。

初めの頃は、お金をかけて宣伝をした訳ではなかったそう。

鍼灸自体が益田であまり知名度がある治療法ではなかったものの、お客さんの口コミが広がり、仕事は軌道に乗っていきました。

 

もうピタっとはまった感じ。お金を稼ぐことよりも、納得のいく施術がようやく思い通りにできるようになって。今では、0歳から94歳までの老若男女のお客さんに来てもらっています。まあ、実は仕事的には思ったよりも忙しくなっちゃったんだけど・・・(笑)


環境が変わっても疲労はつきもの。ストレスがたまった時、モチベーションがなくなりそうな時は、必ず海に足が向くんだとか。

綾果さんにとって、益田の海がさらにかけがえのない存在になっていきました。

帰ってきて感じた人の温かさ。子どもたちには、出会いの中で視野を広げていってほしい。

地元に帰ってくるのにも、色々友達が助けてくれて、ものの一ヶ月で仕事を再スタートできたのは、本当にありがたかった。一人で家を借りて、一人で仕事をしようと思っていたけど、実際は血も繋がってない周りの人がいないと成り立たないことがたくさんあったと思う。こうやって人がつながれば繋がるほど、こういう温かさを実感できるのは、改めていいなあと。

 

やがて二児のお子さんに恵まれた今、これまで以上にひしひしと感じること。それは・・・

親も今こっちにもういなくて、結局色んな人に頼ってるんだけど、どうにかなってるの。
むしろ私は親だけで子育てしない方が理想的だなと思ってる。仕事柄、保育園が休みの日に働く時も、患者さんが娘にいっぱいお話ししてくれてね。
少し教えてもらったことや、ちょっとした会話が、娘にとって新しい刺激になるんだなってすごく感じるんだよね。



「自分のスタイルで生きる」

この価値観は、結果的に子育てにはどのように影響したのでしょうか?

 

かっちりこうしたい、っていうのはあまりなくて、一番の願いは、かつて私がそうしてきたように、色々な出会いで自分の視野を広げていってほしいっていうこと。親以外のいろんな人を見て、『自分がこうしたいな。あーいう人になりたいな。』って自分の可能性を広げていったり、人に頼れるようにもなってほしいな。

娘をよく色々なところに連れて行くのには、もちろん人もなんだけど、自然に触れて欲しいっていう想いもある。色んな手作りの食べ物をもらう度に、すごく美味しそうに食べるのよね。

そう語りながら見せてくださったのは、海だけではない、様々な益田の自然の姿を体いっぱいで感じて成長していくお子さんの姿でした。

益田だからこそ理想を叶えられた理由



新鮮で美味しいご飯を食べること。海に遊びに行くこと。色々な人や考えに触れること。

そして、仕事と子育て。

 

これらは大切な暮らしの要素であるだけでなく、それぞれがそれぞれの要素を補い合って、綾果さんのライフスタイルの調和を作っているようです。

 

益田って、自然や人との繋がりが手の届く距離感にあると思う。

だから、何か『こう暮らしたいんだ』っていうスタイルを持っていれば、それに合わせてバランスを考えて調整できる、そんな場所なんじゃないかな。

 

こうして綾果さんが益田で描く暮らし像は、子育てと仕事の両立を考える人々にとって、一つのロールモデルとなっていく気がします。

現在益田市公式チャンネル(Youtube)では、インタビュー動画バージョンを公開しています。
中嶋綾果さんの語りと共に、映像ならではの情景をお楽しみください。

取材:一般社団法人豊かな暮らしラボラトリー
文責:益田市連携のまちづくり推進課

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